第一章『画家は真顔で人の笑顔を描く』

どうせ、画家の才能は無い。

「なんですの、この絵は——ッ!」


 高貴な女性の声と同時に、成人女性が見ていた歪んだ世界はまばたきと共に元に戻った。今、目の前にいるのは、オレンジをベースにした綺麗なドレスを身に纏う貴族令嬢。メルヘンな家々が立ち並ぶ茶色い石畳の街を背に、令嬢は手に持った布地のキャンバスに対して怒りをあらわにしていた。


「この街に、珍しく画家がいらっしゃると聞き——描いて頂いてみれば……全然似てないじゃない!」


 キャンバスを今にも叩きつける勢いで言葉をぶつける先には、オーバル型の黒縁眼鏡に、覇気のない瞳。だらしなく黒髪が乱れる、後ろ一つ結びの成人女性が小さな木箱に腰掛けて木製バインダーを手に持っている。


 そんな彼女の服装は暖色系のチェックのブラウスと、紺色のオーバーオールに茶色いシューズを履いて、どこかこの街の世界観に合っていない雰囲気を漂わせる。すると、高貴な女性に対して気怠そうに言い放った。


「そうでしょうか? 団子鼻は貴女の一番の特徴です。揃ってない眉毛、ボリュームのある髪、完全に再現させて頂きました。四文字で表すなら、軽裘肥馬けいきゅうひばと言いましょうか」

とか、って何よ! ワタクシに対する、侮辱の言葉じゃありませんわよね⁉︎」


 貴族令嬢が抱えるキャンバスには似顔絵師お馴染みである、漫画調の似顔絵にがおえが描かれている。その基準であれば、人物の特徴をそっくり書き起こしていて、非常に完成度が高いのだがこの世界には理解の無い絵柄のようだ。


 その証拠に後ろにいる護衛の騎士達が笑いをこらえたり、奇怪な物を見るように眉を顰めている。


「ブフッ……よく描けてるじゃねぇか、傑作だと俺は思うぜ?」

「おい、アレックス! シャルロットお嬢様に聞こえるぞ……ッ!」


 そんな騎士達の気の緩みを一掃する様に、シャルロットという名の令嬢は、バアァンッとキャンバスを石畳に叩き付けた。布地で割れる事はないが、丁寧に描かれた似顔絵が乱雑に地面に転がされる。


「こんな肖像画で画家なんて、聞いて呆れますわッ!」


 丁寧に描き上げた絵を、そこまで粗雑ぞんざいに扱われても、成人女性は顔色一つ変えない。そしてシャルロットは未だに木箱に座ったままの彼女に迫り、心底呆れた様な顔で見下げた。


「あなたに、画家を名乗る資格は——」

「ないですよ。だから、何ですか?」


 成人女性は反射する眼鏡の奥から、光のない瞳を向ける。その無気力かつ厭世的えんせいてきな雰囲気にシャルロットは怖気付いて唾を飲み、騎士達に護衛を催促する。


「ふ、ふん! いきますわよ!」


 逃げる様にシャルロットは、騎士達を連れてその場から離れていく。消えていく人集りを横目に成人女性は木箱から立ち上がって、地面に放置された似顔絵を拾いに向かった。

 腰を下ろして布地に付いた汚れを手で払いながら、成人女性はこの世界で唯一通用する愚痴をこぼす。


「どこまでいっても……私はこうなる訳ね」

「おまえ、名前なんていうんだ?」


 ガシャンと、鎧が擦れる音。女性が顔を上げると、目の前にサッパリした短髪の素顔を晒した騎士が、落ちていたキャンバスを拾ってニシシと笑っていた。


「俺ぁ、アレックスってんだ。色々な金持ちさんの護衛で、飯食ってる。ちなみにセノーテ宿屋の看板娘、マイアは俺の嫁で——」

「……いいんですか、お仕事を放棄して」


 アレックスの一方的な自己紹介をぶった斬り、拾ってくれたキャンバスを受け取ると、離れていく騎士軍団を横目に見ながら女性は無関心な口調でそう言った。


「たった一人の御令嬢守るのに、十五人もいらないさ。んな事より、お前の名前だよ、名前!」

「……はぁ……、三宅みやけです」

「ミャーケ? おんもしれぇ名前だなぁ!」

「だから三宅みやけですってば」

「んでよ、ミャーケ。俺に免じて、絵をぶん投げた事を許してやってくれや」


 悪りぃ悪りぃと、アレックスは無理矢理謝罪に持ち込んだ。何を言っても彼のペースから抜け出せないと察した三宅は、渋々話を合わせる。


「許すも何も。私の絵が、お気に召さなかっただけの話でしょう」

「あのちんちくりんお嬢様は、なんだよ。だからビシッ決めたかったのに……ブフッ、これだもんなぁ」


 笑いを堪えながら、キャンバスを指差すアレックス。しかしこの似顔絵自体は気に入ってるようで、顔を覗かせてじっくり見ようとしていた。それを感じた三宅はスッと右手でキャンバスを撫でる様に動かすと、シャルロットの似顔絵は水に溶ける様に消えていった。


「おおお。そりゃ画家だけが持つっていう、創造エイルクの力か!」


 アレックスは魔法によって、絵が一瞬で消えたキャンバスを見つめて関心を示す。だが、キャンバスが白紙になってしまった事を時間差で認識すると両手で頭を抱えた。


「……ってもったいねぇえ! 何で消しちまうんだ、いい肖像画だったのによぉ!」

「描かれた本人が受け取らない絵なんて、残しても仕方ありません」

「はぁ〜……画家って奴はなぁんで、そう——」


 呆れるアレックスを無視して、三宅は再び木箱に腰掛けた。そこは露店が並ぶ人通りが多い街通りの筈だが、路地裏のような影を落としている三宅に誰も目を向けない。


「おいミャーケ、お前飯食えてるか?」

「……。あなたには関係ない事です」

「俺の嫁も心配してんだが、最近セノーテの街は出稼ぎに来る田舎者の行き倒れが、深刻化していてな」


 腕を組み、三宅を観察するアレックス。彼女は飲まず食わずが続いているのか、顔色が悪く、座るのも辛そうな様子が伺える。


「放っておいて下さい。さっさと持ち場に戻ったら、どうなんですか」

「いーや。ちんちくりんより、ミャーケが優先だーッ!」


 ガッッとアレックスは無理矢理、屈強な肉体を駆使して三宅を右肩で担ぐ。その場から連れ去られそうになって必死に暴れるが、力無き抵抗は彼女が餓死寸前である事を証明している。


「な、なにを……離して下さいッ」

「今から宿屋に来いッ! 貴重な画家さんを死なせてたまるかってんだ!」

「四文字で表すなら、放辟邪侈ほうへきじゃしですよッ!」

「はぁ? なーにが、ホヘキアン・ジャージだ。とにかく行くぞ」


 本来就くべき護衛を放棄して、アレックスは右肩で三宅を抱え、左手で真っ白なキャンバスを持ち出すと強引に街の宿屋へ連れ出した。

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