終.生き人形 中 その1

 アリスが姿を消した後、ボクたちは一斉にチシャに詰め寄った。


「ちょっとアンタ、一体どうするつもりなんだよ」


 マーチが珍しく焦りの表情を見せている。それでもチシャは余裕そうな表情を浮かべている。チシャはいつも、何を話しても動揺する素振りを見せない。


「どうするって何のこト?」

「オレら、アリスに気付いて貰えてないのに現実でどうやって会話するの〜?」

「まァ、平気だヨ。そんなこと起きると思うかイ?」

「あら? 騙したのね?」アイが不機嫌そうに言う。


「騙したとは人聞き悪いナ」


 チシャは軽く笑った。そして、彼の口が再び開かれる。


「ジブンは別に出来るとも出来ないとも思ってないヨ。出来たら出来たで良いシ、ダメだったらダメでいいんじゃなイ?」


「相変わらず変な方ですね」マーキュリーは呆れていた。流石のボクもそれは思うよ。



◆◆



 そして、数日後。その日は雨が降っていた。


「それでさぁ〜、あの人ったら私を放っておいて仕事ばっかりなのよぉ? 


 女は誰かと楽しそうに電話をしている。普段、アリスには向けない馴れ馴れしそうな笑みを浮かべている。

 きっと電話の相手も碌でもない奴だ。こいつの話し相手なんてそこら辺のゴミと同じくらい汚いんでしょ。廃棄処分寸前の野郎なんだから。


 雨の降る雑音で会話が途切れ途切れに聞こえてくるのが救いだ。


「私も大好きよぉ」


 うげぇ、気持ち悪い。


「うん……うん。そうよねぇ。早くこんな貧乏臭い所から出たい。……え? 子供? 有栖のことかしら」


 最後の単語にボクは素早く反応した。女は「ん〜」と曖昧な唸り声を上げる。数秒後に、ねっとりとした口調で女が喋り続けた。


「別にって感じ。あの人に、有栖が聞かん坊で嫌だからって適当な理由で押し付けちゃえばいいし」


 聞かん坊なのはオマエの方だよ。

 大人の勝手な都合で左右されるなんて。

 大人なんて辞めたら?

 それ以上に人間辞めたら?

 いっそのこと、消えたら?

 

 オマエが一人いなくなった所で悲しむ奴なんて一人二人しかいないんだし。


「まぁでもぉ、生活費とかはほぼくれるからぁそこまでって感じぃ? あの人が経営している旅館って一応繁盛してるし。えぇ? 私だって働いてるわよ。やっぱり、そうよねぇ。問題は、有栖よね」


 あの女の声が徐々に低くなる。こいつが次どんな言葉を発するのかをボクは聞き耳を立てていた。女はううんと唸る。数秒後、聞こえてきたのは意外にも明るい声だった。


「捨てちゃう? 良いんじゃない? 私、別にもう良いかなぁって」


 ……は?


 ボクは耳を疑った。


 コイツ今、なんて言った?

 すてる? ステル?


 捨てる? アリスをってこと?


「……最悪じゃん」


 ボクの声など届くわけがなく女の愉快げな声は止むことはない。それ以上は聞きたくなくてボクは女のいる部屋を後にした。

 行き先は勿論、アリスの部屋。ボクはドアを開ける動作などしなくても勝手に入れるから別に良い。


 部屋を覗くとアリスは隅っこで絵本を読んでいた。

 『不思議の国のアリス』と言うらしい。アリスの一番好きな本なのだそう。そう言えば、その本に出てくる登場人物はボクたちに似てるのだそう。


「結局、ボクたちは一体何者なんだろう」


 幽霊でもないし、人間でもないし。お腹も空かないし、眠くないし。塩を見ても何も思わないし。だからと言って、チシャたちと会話も出来るけど。


 と言うか、ボクたちは気が付いたらこの狭い部屋に居たんだっけ。


 アリスは夢の中だって言うけれど、もしかしたらボクたちはアリスの一部なんじゃないかと薄々察してはいる。

 この狭い部屋を暫くの間散歩して飽きたら、目を長く閉じる。そうすると、アリスの部屋とは違った空間に行ける。そこで時間を潰すと、偶にアリスがやってくるのだ。


 勇気を出して話しかけたら話が通じたし、今の今までアリスに話しかけて後悔したことは一度もない。


 寧ろ、アリスには同情しかない。


 家族と呼ぶには似合わないくらいの人たちと生活しているだなんて、愛情なんて生まれるどころか「愛情」そのものもないんじゃないか。


 女はいつもあんな調子だし、もう一人は忘れたがどうせ有栖を引き取った所で放っておくに違いない。


「可哀想な子」


 どうしてアリスは産まれたんだろう。そんな態度を取られ続けるくらいならいっそのこと、死んだ方がマシなんじゃないかと思うくらいだ。


 ……アリスの部屋にいるのも飽きたな。


 ボクはマーチたちの所に行く為にアリスから離れようとした。


「ユキ……?」


 ボクは全身固まらせた。全身だけではなく、思考も呼吸することも忘れてしまった。開いた口がカラカラに乾燥し始めたことを認識したことでボクの意識は現実へと戻る。ボクはゆっくりと振り返った。


 有り得ない。有り得ない。

 そんなこと、そんな訳がない。


「アリス……?」


 ボクは震える口を抑えながら目の前の人物の名前を呟く。アリスは目を見開きボクを凝視させていた。


「ユキ……」

「ボクのこと見えるの?」


 ボクが恐る恐る尋ねるとアリスはこくりと頷く。


 信じられない。

 アリスが、アリスが、ボクのことが見えている。


 その言葉が口から込み上げることはなく、ただただ呆然としていた。それは相手も同じでボクを舐め回すように見ている。アリスは控えめながらも、今の現象が本当なのかを確かめたいようでこちらに近づいてくる。

 読みかけの絵本をそっちのけ、床に転がっていた。


「本当に……ユキなの?」

「うん。そうだよ、アリス……アリス!!」


 ボクは今まで積もっていた気持ちが込み上げてきて、アリスの方へと飛び付いた。だが、アリスの温もりを感じることはなく、するりとすり抜けてしまう。


 あ……。


 ボクはそこで改めて知ることになった。アリスは正真正銘の人間で、ボクは、ボクたちは幽霊でも何者でもない透明な存在ということに。


 ボクの目の前に小さな手が伸びてくる。瞬時にアリスのものだと分かった。


 血色の悪い青白い肌が見える。あの劣悪な環境に居るせいで碌に栄養も取ってないのだ。手の甲の骨が浮き出ている。


「分かるよ。ユキがそこに居るって分かる」


 ボクはアリスの手を掴めない手で必死に触ろうと縋り付く。


 アリス。アリス。アリス。

 やっぱり、ボクはアリスが居なきゃ生きていけないかも。

 だから、死なないで。

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