終.生き人形 上

 今日もまたあの女の五月蝿い声がする。


 こじんまりとした部屋に、一つの影が見える。


 バチバチに濃い化粧をし、これから出かけるのかと思われる露出の多い服装を身にまとう成人済みの若い女性。

 女の視線の先にはまだ幼い子供が怯えながら佇んでいる。


 ボクはそれだけであの子だと認識できた。


 あの子と女は血の繋がりのある所謂家族と言うものだ。家族と言うにはかけ離れたように、関係がギクシャクしているけどね。


 女の白い肌に似合わない奇抜な赤の唇が大きく開かれる。


「どうして私の言うことが聞けないの!?」


 女はバンっとテーブルを叩きながら叫び散らす。


 遅れて数秒後。


 ビクりとあの子の肩が揺れる。


 張り裂けるような叫び声があの子をいつも苦しめている。狭い部屋で女はあの子を責める。

 罵詈雑言が部屋中に飛び散る度に、あの子は酷く悲しみ泣き出す。子供が泣く姿に興奮した女の声は更に荒くなる。


 女は時々暴力を振るいそうになるが、大抵は家の物を壊したり散らかしたりと鬱憤を晴らしている。


 ボクは、いやボクはそれをで見ることしか出来なかった。



◆◆


 やがて、女が家を出るとあの子は自分の部屋に急いで戻る。

 静かで温度の低い部屋にあの子は閉じこもる。


 どうせ女は一晩帰ってこない。いつもそうなのだから。 

 でも、決まってあの子はとても寂しそうな顔をする。


 ボクたちはそれがどうしてなのか全く分からなかった。


 どうしてそんな顔をするんだろう。そんなにあの女が大切なのかな。自分を大切にしてくれない奴なんかを大切に思っても碌なことがないのにね。


 それでね。そうした時に、あの子は決まってんだ。

 

 あの子の名前はアリス。耳が痛くないのに高くて透き通った声。

 そして、アリスはよく笑う子だ。あの女によく泣かされるから、笑った顔が余計に華やかに見えるのかもしれない。


 初めてアリスと喋った時は、本当にびっくりした。まさか、アリスの方から話しかけられるんだもん。

 ボクも、マーキュリーもマーチもアイも。

そして、チシャも。


 みーんな、アリスと話せることを心から喜んだ。


 でも、話すのにはどうやら時間制限があるらしく暫くお喋りしているとアリスはいつの間にか消えている。


 ある日のこと。アリスがこんなことを言い始めた。


「不思議ね」

「何が不思議なの〜?」ボクは首を傾げる。


「だってここはのはずなのに、こうやってお喋りできるんだもん」

ですか?」


 マーキュリーも疑問を抱いた。マーキュリーだけではなく、他の奴らもきょとんと惚けている。

 それでもアリスは嬉しそうにしている。


 それは一体どう言う意味だろう。ボクたちがアリスの夢の中にいるだなんて考えたことがなかった。


 まぁ、アリスが時はアリスを遠目で見ることしかできないけど。話しかけてもアリスは気付いてないし。もしかして、それと関係しているのかもしれない。


「でもね」アリスが更に言葉を続ける。


「ユキたちがあそこにいたら、危ないから居なくて良かった」


 アリスはそう言ってにこやかに笑った。ボクはそれを素直に言葉を返すことが出来なかった。いや、ボクだけじゃない。ここに居るアリス以外の全員が反応しにくそうな表情を浮かべている。


 みんな、黙ってアリスを見つめていた。アリスはボクらの反応に気が付き首を傾げる。


「どうしたの? みんな」


 どうしたのってさ……。

 何で、そんなに、平気な顔で言えるわけなの?


「じゃア、ジブンたちがここから出ればアリスと話せるんじゃないかナ?」


 突然、チシャが口を開いた。ボクとマーキュリー、アイは目を見開かせた。マーチは「えっ?!」と声を上げている。


「おいチシャ、一体どうやってやるんだよ。方法なんてあるのか〜?」

「本当?!」


 チシャの提案にアリスは食いつく。マーチの言葉は虚しくも遮られ、密かにがっくりと項垂れていた。隣にいたアイは、そんな彼を構わず無視している。


 それでもアリスの明るい声は続く。


「それってみんなに会えるってことだよね?!」

「うン。そうだネ」

「そしたらね! みんなで一緒に遊びたい!!」 

「遊ブ?」

「うん。私、ずっと家に居るからつまらないんだ」


 そんなこと知っている。ボクたち全員、アリスのそばにずっと居たんだから。

 でも、アリスはボクたちの存在には気付かない。


「それに、友達も居ないから寂しい……」

「じゃあ、ボクたちと友達になろうよ!」


 我慢出来なくなったボクは、アリスに勢いよく言う。

 うるさいとアイに注意されるも、そんなことは構わない。アリスは目を点にさせ、ボクをずっと見つめている。数秒後に、「え……」という掠れた声が聞こえた。


「ククク、ユキは相変わらず突然だよネ」

「ユキ。アリスがびっくりしてます」

「全く、少しは声を小さくしてくださる?」


 後ろでチシャとマーキュリーとアイが何かを話している。それも、どうでもよかった。


「アリスの初めての友達はボクたちで良いじゃん!」

「本当……? 本当にいいの?」


 アリスの声色が徐々に高くなる。期待の目を見せられ、ボクはその期待に応えるように大きく頷いた。


「もっちろん!! ね、みんなも良いでしょ?!」後ろに確認をする。


 マーチは愉快そうに笑った。マーキュリーも静かに頷いた。


「まっ、オレは良いけどー」

「ワタクシも異論ありませんよ」


 アイとチシャも嬉しそうな表情になった。


「アタシも」

「うン。ジブンも構わないヨ」


 その反応にボクも綻ばせる。アリスはマーキュリーたちの言葉に口角を上げた。そして、元気なソプラノの声が響き渡る。


「ありがとう。みんな!! 大好きだよ!!」

「うん! ボクもアリスが大好きだよ。ずっと、ずーっと友達でいようね!」


 そう言って見せるアリスの笑顔は、花が咲いた様に明るくて守りたくなるような思いになった。


 その反面、アリスを酷い目に遭わせるあの女が憎くて堪らなかった。

 

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