25.生き人形
一週間後。
「それでは、凛ちゃんの持ち主が見つかったことのお祝いとして……」
「乾杯!!」
はっきりとした声と共に、職員が一斉に「かんぱーい」と倣う。グラスがカチャンと重なる音と共に、辺りが騒ぎ始めた。食堂の長机に、家事担当の麦を含めた職員たちが次々と料理を運ぶ。
その中心には、生き人形の凛。隣には持ち主の有栖がジュースが入ったグラスを持ち、落ち着かない様子でいる。
今日は、凛の持ち主が発見されたことによるお祝いと共に、彼女たちとお別れ会を催していた。当然、主役である凛は他の職員に囲まれている。
凛は施設にいる間、色んな方と交流を築き上げてきた。そのお陰なのだろう。
(随分と賑やかですねぇ……)
その様子を納は何とも思うことなく、遠くから見つめる。グラスに注がれた烏龍茶をぐいっと飲むと、それまで少しだけ渇いていた喉が潤される。
「納ちゃんも行ってらっしゃいよ」
同期の春が料理を片手に納に促す。皿には、色鮮やかな果物が切り分けられている。後から磊もやってきた。しかし、磊の表情は何処か寝ぼけ眼で瞼がゆらゆらと動く。
「磊ちゃん、ちょっと寝てきたら? 仕事で疲れてるんでしょう?」
「うーん……」
磊は春の肩に顔を寄せる。彼の力なく持つグラスが今にも溢れそうだ。どうしたのかと納は聞いた。
「磊ちゃん、今回の仕事が少し遠めの場所だったみたいなのよ。確かね……パーティーが始まる一時間前に帰ってきたんだわ。それでそのまま準備をしてたわけ」
「それはそれは、大変でしたね。磊さんお疲れ様です」
「どうも」
眠気も増し、磊はお辞儀か分からない頭を上下に揺らす。それにしても、春は凛たちの方へと視線をずらす。
「今日で凛ちゃんたちとお別れだなんて、なんだか寂しいわね」
「まぁ……良いんじゃない? やっと持ち主がみつかったんだから……。納」
「はい、何でしょう?」
「納、行かないの? 凛のところ……」
欠伸をしながら磊は呟く。納は人だかりになっている場所をじっと見た後、その数秒後に口を開いた。
「少し落ち着いてきてから行きましょうか」
「その方が良いわね。アタシたちもまだお別れの挨拶をしてないから一緒に行くわ」
「おや、そうでしたか。それなら一緒に行きましょう」
◇
納は春たちと共に凛たちの所へと向かう。彼らの姿に気がついた凛がこちらに駆け寄った。
「おさむ」
「凛さん? ……おや?」
凛は納の姿を見つけるとすぐに、納の足に飛びついた。突然の足の違和感に一瞬固まるが、納は表情を見せなかった。凛は頭をぐりぐりと押さえつけた。
「おさむ、ありがとう。おさむが居なかったら、ママと仲直りはできなかった」
「凛さん……」
納は凛の頭を優しく撫でた。隣で有栖も納に声をかけた。
「お兄さん」
「有栖さん、昨日はよく眠れましたか?」
「うん。ありがとう」有栖は柔らかい笑みを浮かべる。心なしか青いクマが引いている。
公園で凛と有栖は仲直りを果たした後、二人は一旦施設に預けられた。本来、
凛たちが施設にいる間、他の職員が団地に向かい部屋の中を調べて、異変がないかを確認していた。だが、そこに見えたのは有栖が出て行ったことによるガランとした物抜け殻の部屋。
特に家具も割れているということもない。
それだけではない。同じ居住者の怪異たちが特に怪しい者を見かけたという情報もなかった。あまりの変化のなさに、不審を覚えるも念の為一週間はここにいることになった。
「それにしても本当に大丈夫かしら? いつ危ない目に遭うかも分からないんだから、ずっとここに居ればいいのにねぇ」
春の表情が曇る。そう言えば春を含めた職員はユキたちの存在を知らないのだと納はふと思い出す。
団地で起きた出来事をユキたちの存在を伏せ、銀が伝えたため団地に変な怪異がいるということしかはっきりしたことは伝えていなかった。
何故、銀があえてその様なことをしたかは不明だが納はそこまで気にしなかった。
「そう言えば銀さんは一体どちらに?」
パーティーには参加すると言っていた彼が何処にも見当たらないことに疑念を抱く。春が不満気になった。
「研究室にいるみたいよ。全く、折角のお別れなのに勿体無いわ」
「ここ最近外せない仕事が入ったんだって。資料がどうとか言ってたよ。偶に、外出していたし」
磊がそういやと思いついたように挙げる。
「しろがねと、ばいばいしてきたよ」凛がそう言う。
「昨日、運よく銀お兄さんと出会って挨拶をしてきたんだ」有栖がそう付け加える。
「あら、そうなの。なら、良かったわ〜」
「心配してくれてありがとう。春お姉さん、磊お兄さん」
「また来てね」
「そうよ。アタシたちはいつでも待ってるわ」
磊と春がそう言うと、有栖も嬉しそうな表情になった。それから、磊たちが離れると、納と凛と有栖の三人だけになる。
「お兄さん。凛を見つけてくれてありがとう」
有栖は深々と頭を下げる。
「いえいえ、私は仕事をしただけです」
「まぁ、そう言うことにしておくよ」
「そう言や、あれからユキさんたちは見ませんね」
「大丈夫。今も居るから」
「今も?」
納は首を傾げた。有栖は「うん」と力強く頷く。
「なんか、暫く大人しくしてるって」
「そうですか」
「私、やっと気づいた。ユキたちはきっと寂しかったんじゃないかって。私は凛と出会う前はずっと一人だったから、どんどん凛の方向に行っちゃうのが怖かったんじゃないかなって」
凛の頭を撫でながら納は耳を傾ける。
「今も居るよ。私の中に」
そう言って有栖は自分の胸に手を当てた。
納にはその言葉の意味がなんとなく理解ができた。
◇
凛たちと別れたその次の日。非番であった納は、銀に呼ばれ研究室へと足を運ぶ。中へ入ると銀が人懐っこい笑みを浮かべてこちらへ招き寄せる。
相変わらず物が溢れた部屋だ。近くの目に留まった物も恐らく、実験器具の一つだろう。薬品の匂いが鼻につく。研究を行う机には開き掛けの本が何冊も重ねられている。
「散らかってるけどお、ごめんねえ」
「いえ、大丈夫ですよ。銀さんも仕事で忙しいでしょうに……」
「別に平気だよお。今回は僕が呼んだんだからあ気にしないでえ」
「コーヒーでいいかなあ?」銀の言葉に納は甘えることにした。
「それで、今日は一体どのような用で私を呼んだんですか?」
「ああ。そうそう」
銀は机から何かを取り出した。納は首を傾げた。
「それは……?」
「昨日調べたんだけれどお。ちょっと、これを見てくれるう?」
銀は何枚も重ねられた資料を、納に手渡す。帽子のメッシュ越しから納はそれを凝視した。それは、とある建物の情報がまとめられたものだ。
写真と共に文字が並べている。
『ひまわり団地
「これ……」
「あの団地の昔の情報を探ってみたんだあ。もう随分前に廃団地になったみたいなんだよねえ」
「廃、団地」
「次のページに住民情報があるから見てみてえ」
銀に促され、ページを捲る。そこにはかつての住民と思われる名前がずらりと書かれていた。納は一人一人の名前を確かめる。
そこで、とある人物の名前で納は読むのを止めてしまった。
『
生年月日 20××年 7月4日』
「死因、栄養失調による餓死……」
「虐待」
銀の丸眼鏡がギラリと光ったような気がした。
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