25.生き人形 2

「虐待、ですか?」


 納が聞き直すと銀はコクリと頷く。


「その資料に団地のことが書かれてあるだろお?」

「はい、そうですが……。もしかしてこれは……」

「うん。納の察した通り、有栖くんと凛くんが住んでいる所だよお」

「じゃあ、この人物は……」


 資料をもう一度見直し、納はハッとする。納が有栖の家に入る時、『伏木』と書かれた表札が掛かっていたのを思い出す。


「有栖くん。本名は、伏木有栖ふしぎありす。彼女は幼くしてこの世を去った。その資料は有栖くんを含めた、以前そこの団地の住人のリストなんだあ。ほらあ、ここに有栖くんの上にお母さんと思われる人物が載っているだろお?」


「ここだよお」銀に指摘され、納は資料に視線を落とす。同じ伏木と言う苗字の女性を見つける。


伏木ふしぎ 黄美香きみか 20××年時点で28歳 娘の有栖を虐待で死亡させたことで逮捕状が出ているも


「この方が、有栖さんの母親ですか」

「何でもその女性はあ、よく違う男性と繁華街を歩いているところを目撃されていたってえ」 


(そう言えば、有栖さんのお母さんはずっと出掛けていたって有栖さん本人が……)


 銀の言葉と、過去に有栖との会話で得られた情報が次々と繋がっていく。

 有栖の母親が男性を取っ替え引っ替えしながらいつも外出していたのなら、その間有栖は部屋にいつまでも一人きりだったと言うことになる。


「つまり、有栖さんはお母さんから虐待を受けていてそれが原因で亡くなったということでしょうか」

「虐待と言ってもお、ネグレクトだよねえ。まだ、幼い有栖くんを放置していたんだからあ」銀は更に続ける。


「何でも有栖くんのお爺さんは元々旅館を経営していたらしいんだあ。どうやら、お父さんはその後継者として修行に励んでいたんだってえ」

「だから、ずっと居なかったんですか」

「きっとお、子育ては母親に任せていたんじゃないかなあ。母親の方は旅館で仕事をしていなかったみたいだしねえ」

「そうなんですか」

 

 納は理解の為に頷く。有栖が父親がいないと言っていたことから、随分前からこの男性は旅館に付きっきりだったということになる。

 後継者だからと言って一人の父親だった訳である。家庭事情をほっぽり出し、母親に全て押し付けることは首を縦に振ることは難しい。母親が投げ出したくなるのも無理はない。

 だが、痛い思いをして産んだ娘を放置して欲望のために彷徨い歩く母親の行動も良いとは言えない。

 実に無責任な親だ。


(随分と可哀想な生涯だったんですね)


 これで有栖が辿ってきた短い人生の詳細が分かってきた気がした。

 

 そこで銀の、「話を戻すねえ」という発言に会話は続きを迎える。


「その旅館は街ではとっても人気があったんだあ。でもお、詳しいことは分からないんだけれどお、その旅館はどうやら変な宗教にハマっちゃったらしいんだよねえ」

「宗教?」

「うんうん。それでえ、当時の旅館の社長さんである有栖くんのお爺さんが可笑しくなっちゃったんだってえ」

「それで、その旅館はどうなったのですか?」

「売り上げも落ちてえ、結局倒産しちゃったらしいよお。それで、旅館に関係者の何人かは旅館のどこかの部屋で無理心中をしたんだってえ」

「ちなみにどんな死に方を?」

「確かあ、首吊り……らしいよお。部屋一面に大量の首吊り現場があったんだってえ。何だか、可哀想だよねえ」


「でもお、ぼくたちには関係のない話だもんねえ」銀は他人事にそう付け加えた。


「所で、その情報は一体どこから手に入れたのですか?」


 納が尋ねると、銀は苦笑交じりになる。


「少しねえ。情報伝達担当の子に協力して貰ったんだあ」

「あぁ、成る程」納もつられて笑顔を取り繕った。


 白い湯気が漂うコーヒーを一口飲み、銀はほっと一息を吐く。ほんのり苦味のある香りが納の鼻を通し呼吸しやすくなった気がした。


「外部からの情報を得るには手っ取り早いからねえ」

「確かにそうですね。あの方なら有益な情報を掴むのに良い方法かもしれません」

「次から次へと大量の資料を持ってきたときは驚いたよお。まあ、噂好きな子だから仕方ないのかもねえ」


 銀は現在、この部屋にいない職員の顔を浮かべて優しい笑みを浮かべていた。



 暫くしてそれは起きた。研究室の扉からコンコンと叩く音がした。


「おや?」

「どうやら誰かが来たみたいだねえ。いいよお、入ってえ」


 銀が扉に向かって声を張り上げる。するとその返事を返すかのように、ガチャリとドアが開かれた。

 中に入ってきたのは、受付係の葉だった。

 納は椅子から立ち上がり彼に視線を向けた。


「葉さん?」

「納、やっぱりここに居たのか。全く、無駄に施設内を歩かせやがって……」


 元から目つきの悪い吊り上がった目頭を更に、角度を上げて見つめる葉。彼は溜息を吐きながら、コツコツとこちらに向かってくる。銀は意外な登場人物に微かに口を空けるもすぐに人懐っこい笑みを浮かべる。


「君がここに来るなんて珍しいねえ。一体、どうしたのお? いつもの怖い顔が更に引き立っているよお」

「お前に用はない」

 

 銀を払い除け、納へと肩を向ける。時折聞こえる彼のデリカシーのない発言には、葉はとっくの昔に慣れてしまったらしい。

 眉間に皺が出来ているのがその証拠だ。葉はジロリと睨むように見つめる。


「納、この前の仕事の件だが……」



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