23.生き人形
◇
団地に着いた納は有栖と話した場所へと凛を連れていく。しかし、そこに彼女の姿は見何処にも見当たらなかった。
「有栖さん……?」
納は一度、名前を呼ぶも気配はない。
「ママ?」
「もしかしたら、部屋に戻ってしまったんでしょうか。だとしたら、行きましょう」
「うん」
納たちは団地の階段を上り始めた。コンコンと地面を鳴らす。
先程まで居住者たちの騒ぎ声で盛り上がっていた筈だが、辺りはすっかり静かになっている。そのせいで余計に足音が五月蝿く感じた。上りきったあと、納は周りを確認する。
そこに有栖の姿はなかった。
「あ」
ふと、凛が声を上げた。
「どうしましたか?」
「あそこの家、わたしとママの」
「そうですね」
「わたし、
(変な場所とは、私と出会った並木通りのことですよね)
納はそう考え込む。そのまま何かを言いかける凛の言葉に耳を傾けた。
「それに、こわかった。ママはいつも、壁に向かって話してるから」
「凛さんは、ユキさんたちをご存知でしたか?」
納は、有栖の家に居た方たちを伝える。案の定、凛は首を振った。
「だれ、それ」
「やはり、凛さんには見えなかったのですか」
「おさむ、おさむは見えるの?」
「はい。姿形もはっきりしてましたし……なんだか、有栖さんを独り占めしようとしてた感じですけど」
「ママが『みんなが怖い』って言ってた」
「そうなんですか?」
有栖はゆっくり頷く。
「『みんな、私が居なくても平気でしょ』って。わたしにはその言葉がよくわからなかった」
「……」
「でも、どうして、おさむには見えるの?」
「確かに……そうですね」
凛は有栖の
いくら考えても、分からないままだった。
(ユキさんたちは、怪異とはまた違った別のナニカなんでしょうか)
そんな予想しか思い付かなかった。
「でも」
「凛さん?」
「いま、わかるよ。ママは友達と話してたってこと」
「そうでしょ?」凛は納に問いかける。納はすぐに頷いた。
「そうですね。理解しなくても受け入れる、それが大切らしいですよ」
「らしいって。おさむ、やっぱり他人行儀」
「そうでしょうか? よく、分かりませんけどね」
納は適当に微笑んだ。二人は廊下を進む。
「有栖さーん。居ますかー?」
ドアの前で声を上げるも、返事がない。留守か。ならば、有栖は一体どこに行ったのだろうか。他に思いつく場所は、どこにもない。
「家に居ないのなら、団地の外でしょうか。ですが、探索範囲が広くなりますね」
(団地でも落とし物も、見つかってませんからね)
「どうしましょうか」
「おさむ」
「凛さん、何かありましたか?」
「ううん。おうち、開いてる」
凛はドアの部を捻る。なんの抵抗も表さずに、ドアはキイイと悲鳴を上げながら開かれる。納たちは慎重に中へと進む。
がらんとしており、空気が彷徨うだけの部屋ばかりだ。特に荒らされた形跡はなく、電気も付いていない。
時刻はまだお昼を過ぎていないため、窓から日光が差し込んでいた。
「ママのママは、いつも居なかったの」
「ママ、有栖さんのお母さんでしょうか」
「うん。ママはずっとひとり。よく、まわりを見て泣いてた。だから、わたしはママとずっといっしょに居るっておもった」
「そう言えばなのですが……」
ふと、納はとあることを口にした。
「有栖さんはどうして死んでしまったのでしょう?」
「えっと……」
凛が言おうとした時、凛は歩くのを止めた。目の前の扉を見つめている。納も会話を止めて近づいた。
「有栖さんの部屋ですね」
他の部屋を覗くもこれといった物も有栖本人も見当たらなかった。残る部屋は有栖の部屋しかない。
「開けますね」
そう言うと凛はゆっくり頷く。ドアにそっと手を掛け、迷わず回した。すんなりと開き、中の様子を伺う。
ふんわりとした部屋の香りが漂う。前にお邪魔したときと同じだった。部屋の隅に、何やら誰かが蹲る姿があった。
有栖だ。
「居ました」
「ママ!!!」
凛が叫ぶと、有栖は顔を上げてこちらに視線を向ける。目玉がでるのはないかと思うくらい大きく広げていた。
有栖の驚く顔はやがて歪み、絶望の表情へと変わる。乾燥した唇を震わせ、血色のない肌を震わせた。
「来ないで!!!」
「……ママ?」
有栖は走ってくる凛を制する。突然の大きな声に、凛は立ち止まりビクリと肩を震わせた。体育座りで顔を蹲る有栖。凛は必死になって呼んだ。
「ママ、ママ!!」
「その声は……凛?」
「有栖さん」
「待って……、お兄さんも居るの?」
有栖は恐る恐る顔を上げる。
「本当に連れてきたの?」
「はい。連れてきましたよ」
「本当に凛なの……?」
「ママ」
有栖信じられないとでも言うかのような眼差しで納と凛を見つめる。よたよたと近づく凛に今度は有栖が身震いを起こす。
「いやあ!!!」
有栖は顔を隠し悲鳴を上げた。
「ママ……?」
「有栖さん、どうかしましたか?」
流石の納も有栖の様子に気が付いたようでゆっくり歩み寄る。彼女を刺激しないよう、適度な距離を保つ。有栖の刺すような声は止まない。
「お、お兄さんの顔も凛の顔も大きくなって、いや、いや、いやだっ!!!」
納は驚く。ピタリと体を固まらせた。
(どう言うことですか? この前は私のことを変わらないと言っていた筈……)
初めて有栖と出会った時のことを振り返る。団地から見える街景色がおかしく見える彼女は、納にそう確かに言っていたのだ。
だが、今となっては納を見ては怯えるばかり。幻覚とはそう対象が正確に変わるものなのか。
それは可笑しいのだ。
景色がグチャリと変わるのなら、見える全てが変わっていること。納だけが変わらないなどあり得ないのだ。
(有栖さんの幻覚症状は、不思議の国のアリス症候群じゃないってことですか?)
だとしたら、病気ではなく別のもの。そう考えるしかない。
ここの団地の怪異たちが言うには、有栖が友達であるユキたちを紹介してからだ。皆、誰もいないと口にしたその時から。
有栖が周りに絶望した時から。
(もし、幻覚は故意的なものだったら……)
そして、もう一つ疑問があった。
それは何故、ユキたちは納と同様に変わらなかったのか。
「なんで私ばっかりなの!!!」
弾けるような声が納の耳に劈く。意識をそちらに向けると、有栖が今にも暴れてしまいそうな勢いで二人を睨み付ける。
「みんな、みんな、みんなみんな酷い!! どうせ、どうせ、どうせ凛も私のこと変だって思ってたんでしょ!?」
「ママ……ちがう、違うよ」
ふるふると凛は首を振る。悲しみを含んだ言葉は無慈悲にも有栖には届かない。
「大っ嫌いっ! 大っ嫌いだよ!!」
有栖はそう言って凛を押し退け、部屋の外へと駆け出した。
「あーあ。嫌われちゃったね〜」
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