22.生き人形
「それは良かったねえ」
「はい」
銀の言葉に納は静かに頷く。
「まぁ、今回は仲直りするというのが前提ですので」
「仲直り?」銀は疑念を抱く。その横で凛が納を見つめる。
「おさむ」
「どうしましたか?」
「ママ、おこってた?」
「え?」
「わたし、ママに酷いこと言っちゃったから」
次第に声がどんよりと曇り始める凛。凛と有栖に何か良からぬ事情があったことを察した銀は静かに納たちを見守る。
「ママに……ありすに、有栖の友達は何処にも居ないっていったから」
凛の大きな青い瞳の中に波が揺れる。ぎゅうと納の作業服の裾を掴む。そんな凛に納は励ます。
「大丈夫ですよ。有栖さんも思ってることは同じですから」
「ほんとう?」
「はい。そうですよ」
「納、もしかして凛くんと有栖くん喧嘩でもしたのお?」
「実はですね……」
納は有栖との会話を銀に伝える。
「そっかあ」銀は納得の意を見せた。
「そうだよねえ。もし、別の有栖くんだったら元も子もないもんねえ」
「きっと平気だろうけどねえ」銀は言葉を続ける。銀は凛を優し気な眼差しで見つめる。研究室の蛍光灯の灯りで、銀の磨き上げられた丸眼鏡のレンズがキラリと光る。
「しろがね?」
凛は銀と目が合い、とぼける。ううん、何でもない。銀はそう言うかのように首を振った。
「じゃあ、早く行っておいでえ。きっとお、有栖くんも待ってるだろうからあ」
「あ、そうですね。凛さん、少し外に行きましょうか」
「わかった」
納は凛を連れて、研究室のドアの部を回そうと手にかける。ふと、銀が納にこんな事を言い出した。
「あのねえ。納」
「銀さん?」
「二人が行く場所はあ、団地で合ってるう?」
「はい、そうですよ。それがどうかしましたか?」
「……ううん。何でもないよお。さあ、行ってらっしゃい」
「しろがね、またね」
「うん。またねえ」
こうして二人は研究室を後にした。
◆
場面は変わり「常世」の受付場。
依頼主が遺失物捜索の手続き等を行う為の場所である。受付担当の
現在は特に仕事もない為、一人静かに読書を嗜んでいる。
自室で読むことも可能だが、予期せぬ事態になることも多々あり、いつでも対処できるようにとカウンター越しから伺っているのだ。
コツコツと廊下から足音が響いた。音がする限り、受付場に向かっているようだ。そして、葉が居るカウンターの中に繋がる部屋へと足音は続く。
その足音に耳を澄ませながら、葉は本に集中した。
そして、ガチャリとここの扉が開かれる。中に入ってきたのは、家事担当の
意外な人物の登場に葉は一瞬戸惑いを見せた。彼女の手には、お茶が入った缶が握りしめられている。
「葉さん、お茶です。偶には休んでみたらどうでしょうか……」
繊細な声と共に、お茶の缶が葉のそばに置かれる。どうやら、休みなしに受付場を見張る葉を気にかけていたらしい。
麦は眉を下げる。
「働き詰めはよくありませんよ……」
「別に平気だ。逆に暇な時が多いから退屈で疲れるけどな」
「ま、またそんなこと言ってるんですか……。長時間労働は体に毒って所長の
「それを言うお前はどうだ?」
「昼食の準備はある程度済ませたのでこれからお洗濯をしますけど……。わ、わたしは好きで行ってるので
「そんな訳あるか。お前も休め」
顔を赤らめて言う麦に葉は呆れ気味になる。大した会話でもないのに恥ずかしがる理由がよく分からない。麦は、所謂家政婦みたいな役柄だが職員の仲間である。
他の職員の食事や衣服等の洗濯、施設内の清掃などで自分のことは後回しにする事が多い。
その上に、他人の心配をする暇があるのなら休息くらい取れという話だ。人前で話すことに苦手意識を持つ反面、他人を思いやる情は誰よりも厚い。
麦はそう言う怪異だ。
(どうせ、言っても聞かねぇだろうからな)
葉は心の中でため息を吐く。ふと、視界の端の扉にノックが掛かる。
今日は人の出入りが多いなと感じつつ葉は扉の方に視線を向けた。が、目の前の人物に葉は更なる動揺を見せた。
「葉。居るかなあ?」
それは、同期の銀だった。「ゲッ……」自分でも自覚するくらいの嫌な態度が漏れる。
「お前、何でここにいんだよ」
「し、銀さん……?!」麦も必要以上の驚きを見せた。
「あ、麦も居たんだねえ。やっほお」
「あの銀さんが研究室の外から出てる……!」
「ええ? そんなに驚くことかなあ」
「
目を大きく見開く銀に葉が指摘する。
「お前、
「納が途中で戻ってきてねえ、持ち主らしき方が見つかったから会わせようと凛くんを連れて行ったよお」
「あ。わ、わたしまだ凛ちゃんとちゃんとお別れしてません……」
「まあ、今日は仲直りが目的だからあ、それは今度だねえ」
「仲直り?」葉は首を捻る。
「まあね、色々あったらしいよお」
「そうなんですか。ですが……少し寂しいですね」麦は悲しげに呟く。
「しんみりとした雰囲気の中悪いが、銀はどうしてここに居るんだ?」葉が口を開く。
「ああ、忘れてたよお」
笑いながら頭を掻く銀に、忘れるなと彼を睨みつける葉。刺さる視線を受けつつも銀は穏やかな笑みを浮かべる。
「納のことなんだけどねえ」
「納? あいつがどうした」
「納の仕事場って
銀は持っていた地図を広げ、あらかじめ付けた赤印に指を差す。暫くの間、葉が黙る。数秒後に葉の渋い声が上がる。
「お前、何言ってんだ?」
銀が首を傾げる。
「納は団地に行ってないぞ」
「ええ?」
こいつは何を言ってるんだ、銀の表情は呆気に囚われる。小馬鹿にされた様に感じた葉は長身の銀を見上げる。
「おい、変な目で見るな。別に可笑しな事は言ってないだろ」
「可笑しなことしか言ってないよお」
「は?」
「納は今、依頼で忙しいんだよねえ?」
「あいつは
「納が向かった場所って団地じゃないのお?」
「団地? 何のことだ?」
「んん?」
「確かに納は団地方面に行った。だが、今回の仕事は団地じゃなく、その先の商店街だ」
「!?」
銀は面食らったように口を空ける。次に考え込む仕草をした後、「これはあ……」と口を引き攣らせた。
「ちょっと不味いかもねえ」
「どういう事だ?」
「単刀直入に言うとお、納は怪異に誘われているってことさあ」
「誘われている?」
「うん。やっぱりぼくの考えは合ってるかもしれない。凛くんの言葉で分かったんだあ」
「り、凛ちゃんが何か言ってたんですか……?」
「まあねえ。詳しい話は後でするよお」銀は部屋から出ようとする。
「ぼく、少し出かけるからあ、もし落とし物の破損物があったら勝手に研究室に入って置いてってねえ」
「何処に行くつもりだ?」
「納たちの所だよお。早くしないとお、厄介なことになるかもしれないからねえ」
「じゃあ、後はよろしくねえ」そう言って銀は地図を仕舞い込み、受付場から出ていってしまった。
取り残された葉と麦は顔を見合わせる。麦の表情が曇り始めた。
「だ、大丈夫でしょうか……」
「好きにさせとけ。あのガリガリの体を鍛えるのには十分だろ。俺は少しここを離れる」
「一体、どちらに……」
「所長の所に報告してくる。悪いが、ここの見張りしててくれないか」
「は、はい……!!」
麦が思いっきり返事を返すと、葉も受付場を後にした。
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