10.生き人形
『開けるな』
「開けるな……?」
納がふと顔を上げる。そこにはあるはずのないもう一つの部屋に続く扉があった。壁と同化しており、一見気づくことかできなくても可笑しくないくらい似ている。
目の前の張り紙に気づくまでは。違和感など全く気にしていなかった。
「これ……」
納はそこに何かが書かれている事に気がつきじっと目を凝らした。
『神さまどうか、救ってください』
赤黒い文字で書かれていることで貼り紙が異様に禍々しく見えた。
「神さま……?」
文の一部を唱え、納は首を傾げる。そこで回収箱に仕舞った宗教勧誘のチラシを確認する。この貼り紙とチラシになんの関係があるのだろうか。納には全く見当もつかなかった。
隣では凛が不安げにこちらを覗いてる。
納は、凛に向かってゆっくりと頷き迷いなくその戸を引いた。
ガラガラと地を這うような音を立てながら中の様子がどんどん露わになってゆく。
力を出し切り、最後まで扉を引き切った。
「……!!」
納は目の前に広がる光景に思わず息を呑んだ。
大量の人形たちが円を囲み真ん中に向かって礼拝している。その方向を見ると黒いローブを被った人形であろうモノが立っていた。
「これは……」
宗教団体の内部だろうか。その言葉を発する前に、納たちは中へと入っていく。
照明は既に壊れており、辺りは更に薄暗いも中がどのようになっているのかは確認できる。
納たちが人形の群れの中へと足を踏み入れる。
その度にまた、床が軋み苦しむ。
「何か落ちてますね」
「かみ?」
「メモ書きですね」
通路に白い紙が四つ折りになって落ちているのを拾う。
納はそれを開く。
『四〇九号室なんて気持ち悪りぃ。不吉な数字ばかりが並べられて、こんな所に泊まりに来る奴なんていねーよ。それなのに……
「チラシってこれのことでしょうか」
納は回収箱からチラシを取り出し考え込む。
もし、このメモ書きが本当ならば、四〇九号室は、
「つまり、この部屋を含め四〇九号室を造らなくてはいけない理由があった。まさか……これの為に?」
彼の視線が人形の群れに辿る。
納の独り言にむくりとこちらを振り向く人形などいなかった。
「早くここ出たい」
「凛さん……?」
突然凛がそう漏らす。小さな声だが納にしがみつく力を強め離さないとでも言うかのように訴える。
「なんか、ここが一番変」
「変、ですか?」
「うん。ずっと見てる」
「見てる?」
「うん」
凛は力なく頷いた。確かにそうだ。四〇九号室に入ってかれこれ二十分は経過している。どうやら調べていくうちに奥へと奥へと進んでしまっていたらしい。凛にこれから出ましょうかと言うと凛の顔が微かに安心したように見える。
他を探そうと諦め、廊下の方へと戻ろうと歩き出した。
「待ってください。あそこに何か……」
納は真ん中に立つ教祖の人形のそばに何か落ちていることに気がつく。急いでそこへと駆け寄り、それを拾い上げる。それは今までずっと探し続けていた本だった。
「あった」
納は本の題名を確かめる。が、思わず肩を固まらせた。
『気力をなくした君に送る、人生のやり直し方』
何と長ったらしい本の題名だ。題名というよりもはや文章に近いのでは。何よりこの題名の意味である。怪異に人生のやり直しなどあるのか。
「依頼主はこれを読んでどうしたかったのでしょうか……ん?」
ふと、納は教祖人形の顔が黒いローブからチラリと見えることに気がつく。納はフードを外し顔を確認した。納は息を呑んだ。
「っ! これは一体……」
教祖人形の顔に無数の釘が刺さっていた。目、鼻、口、そこに目掛けて潰すように攻撃されている。そして、その周りにも同じように釘が刺されていた。顔の部位を確かめるも釘が邪魔をしてよく見えない。
「いやっ!!」
その瞬間、凛がパチンと火玉のような弾ける悲鳴をあげ納から離れる。背中を向けて走り、ある程度距離を保った所で凛が振り返る。眉を下げ、綺麗な凛の顔は酷く歪み悲観的になっていた。
「わ、わたしも……いつかはこうなるの?」
「凛さん、どうしましたか?」
「わるいことしたら、こうなっちゃうの…?」
「え?」
「わたし、なにもしてない!! なにもわるいこと……わるいことなんて…」
「凛さん、落ち着いてください。これはただの作り物です。貴女がこうなることは決してありません」
「嘘だよ!! だって……ママが言ってたもん」
ママ。それは、凛の持ち主のことか。
「悪いことしたら、いつかじぶんに返ってくるって」
「凛さん……」
「いや、いや!! こうなりたくない!!!!」
凛は自暴自棄に叫ぶと、そのまま部屋を出ていってしまった。
その刹那。
「いやぁぁぁぁ!!!!」
向こうの方から凛の悲鳴が響き渡った。納は慌てて部屋から出て、凛の方へと向かう。が、納は広い部屋にでたとき思わず足を止めた。
「凛さん!!」
「っおさむ……!!」
凛は納に一度視線を送るもすぐに逸らした。そして、真っ直ぐを見つめ硬直していた。凛の目線の先には得体の知れない怪異がいた。縦に長く、幼女と間違えられても仕方ない凛の倍以上はある。
凛は怪異から逃げようとこの部屋を出た。怪異も同じく凛の後を追いかける。納も呆然としてはいられないと凛を追いかけ始めた。
廊下を出ると、凛の刺すような悲鳴と駆ける足音が響く。怪異はゆっくりと這うように凛の方へ徐々に近づく。
納は地面を蹴り上げ急いでその方向へと向かう。今は床の脆さなど気にする暇はなかった。
「凛さん!!」
角を曲がった先に凛たちはいた。凛は後退りをして怪異との距離を作る。が、その後ろは穴が空いていて一寸先は闇だった。ジリジリと怪異が近づく。
「おさむ……おさむ!! た、たすけて……」
凛が納に手を伸ばしたことで、怪異が納の存在を認識して視線が逸れる。長身の納よりも背の高い怪異だ。納はただ怪異がゆらりゆらりと動くのを見ている。
これで完全に、怪異の獲物は納に変わった。
(これは……どうするべきなんでしょうか…)
その時だった。
途端に頭にドクドクと脈打つような刺激が襲い始める。
「うっ……」
あまりの痛さに納は蹲ってしまった。怪異が刻々と迫ってくる中、納の脳内にとある映像が流れてくる。
そこで納の意識はプツンと真っ黒になった。
◇◇
ガツンと鈍器で殴られるような重い音が鳴り響いた。それと同時に厳つい男は蹌踉めく。倒れ込むようにコンクリートの地面に転げた。男の頬から、紅潮された痣が浮き出てきた。
「ぐ、ぐぁ……あぁ」
掠れた声が漏れる。
何か言葉を発そうと口を動かすも、空気を上手く吸えずヒューヒューと呼吸音を吐いた。
助けを呼ぶにも呼べない。今いる場所は、人気の少ない廃工場だ。大声で叫ぼうが時間が食うだけである。
頬の神経が感電したような痺れが起きる。先程の衝撃で力が抜けて体が思うように機能しなかった。
男は辺りを見回す、他の奴らは既に攻撃を受け情けなく横たわっている。頭から血を流して呻く者もいた。
(くそ、くそ、クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ!!! どうしてこんな目に遭わねぇといけないんだ!!)
男唇を噛み締め、怒りと悔しさを堪える。歯に食い込む口の皮ふが力み気が付けば鉄の味が舌を撫でた。心は意外にも冷静だった。自分の今の感情を素直に表現できる。だが、一度痛めつけられた体は鉛にのしかかられるように遅れて反応した。
自分はどうしてこんなに脆いのか。男は今まで自分より弱い奴は全員侍らせてきた。初めてそんなことを思った事に自分でも驚いている。
余計な事を考え項垂れる男の頭上に影がさした。
ビクリ。
男の肩が無情にも跳ね上がる。
そして、恐る恐る見上げた。
男の目の前には誰かがいる。
照明もない夜の薄明かりでは正確な人の影も分からない。が、丁度タイミング悪く月の光が工場の透明の窓から差し込みやっと正体が分かった。
まだ自分よりも若い青年だった。
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