11.生き人形 ※文字数多め


 男が一番初めに目に留まったのは、雪のようにきめ細やかな肌。

 先程まで嬲り尽くして出来た返り血が目立つ。

 次に、癖毛ひとつない整った黒髪を一つに束ねている。

 そして、目を合わせるだけでも人を殺せそうな鋭い目つき。肥満体型の男よりも遥かに細く華奢で長い脚。男と同じ身長か少し低いくらいか微妙な所だ。

 

(まさか……全員こんなもやし野郎にぶん殴られるとは……!!)


 青年は男の心の声など知らずに、どんどん近づいてゆく。ゆらりと肩が揺れ、まるで死んで彷徨う幽霊のように静かだ。

 それが恐ろしくて男は腰が抜けてしまい、そのまま尻を擦りながら後ずさる。その時男は青年と目が合ってしまった。

 殺して、殺して、殺して、殺してやりたい。そんな、狂気の眼差しが男を突き刺した。


「お前ら全員、死んでしまえ!! 死ね、死ね、死ねええええええ!!!」


 青年は廃工場を吹き飛ばす勢いで張り叫んだ。

 そして目の前の男の顔面に向けて殴打する。

 人を殴っては暇になった足で蹴る。その繰り返しだ。そしてまた、無作為に人の髪を鷲掴む。「うぐ‥」情けない声が漏れたが青年は気付いてなかった。


 鼻血を垂れ流す不細工な顔に、青年は汚れた拳で殴りつけた。

 ガン、ガン、ガン、ガン。


 顔の変形、傷や青痰など気にしなかった。無我夢中に、冷淡に、虚に。ひたすら打ち叩いた。


 初めは顔に刺激がどんどん増し脳の理解が追いつかなかったが、やがてどうでも良いような放棄感に襲われる。痛みも酷いが上に神経が麻痺しその青年は、今かまされた一発が引き金となり、そのまま地面に突っ伏した。


 死んではない。だが、意識は浅く微かに肩で息を吸って吐いてを繰り返している。


 そんな事、静かに見下ろす青年にとってどうでもいい良かった。


 呆然と立ち尽くす彼は不意に自身の手元を見やる。

 拳で顔を無作為に殴った時についた血痕がべっとりと付着している。

 

「あーあ。汚ねぇな……」


 何人倒したのか記憶にない。それすら興味がない。


「最悪ですよ。何もかも」


 割れたサングラスのレンズに彼の顔が写る。


 頬には誰のか分からない血の汚れと、殴られた痣。

 目の前の奴は楽しそうな表情をしていた。


 その顔が間抜けに見えたのか、自身の表情がとても面白く可笑しく見えたのか青年は膝を地面に着き大声で高らかに笑った。


「アッハハハハハハハハ!!!」

 

 清々しいくらいに最高だった。



◇◇


「おさむ? おさむ!!」


 幼く聞き慣れた声が納の意識を刺激する。目が覚めると納は壁に寄りかかるように座り込んでいた。

 どうやら気絶していたらしい。

 頭が物凄く痛い。


「怪異は……」

「おさむがね、やっつけたんだよ」

「わ、私が……?」


 震える声でそう聞くと凛が渋々頷く。


 凛は向こうの方を指差した。意識が未だにはっきりとしないが、納は力を振り絞って首を動かす。そこには、紫の液体を吐いたナニカが倒れていた。先程の怪異か。随分と原型が変わっている。


 呆然としていると、凛がポツリポツリ話し始める。


「おさむが襲われそうになって、そしたらおさむがなぐったり、けったりして……」


 殴ったり、蹴ったり。

 その言葉によって、先程見ていた謎の夢の内容を鮮明に思い出す。徐々に怪異との死闘を繰り広げたことも理解することができた。

 

 そう言えば、このように夢見たいな感覚に襲われるのは初めてではなかった。

 

(あれは、確か……春さんと磊さんと……)


「おさむ、けが……してる」

「え?」


 凛の視線を辿ると、自分の左腕に大きな傷ができていた。

 作業服の袖が大きく切り裂かれ、そこから納の血が垂れる。


「兎に角、ここから出ましょう。あの怪異が起きてしまう前に」


 納は持っていたタオルで傷口を塞ぎ、凛と一緒に旅館を後にした。





 施設に戻ると、受付にいた葉がこちらの異変に気付いたようですぐに駆けつけてくれた。そして、医務室へと案内されまもなく治療が始まる所だった。凛は無傷なため負傷した納の隣で痛々しく広がる傷を見ていた。


 しかし不幸な事に、今日に限って医務室の先生は不在となっていた。代わりにこの施設の家事担当であるむぎに簡単な治療だけしてもらう事になった。


「ふう……これくらいなら大丈夫でしょう」


 納の腕に包帯を巻き終えると麦は一安心する。


「むぎ」

「凛ちゃん、納くんのことありがとうございますね」


 麦の繊細な声で凛にお礼を言う。言葉をもらった凛はどこか余所余所しく素直に受け止めている様子ではなかった。

 麦は納に視線を戻し、救急箱の中身を漁る。


「まさか、納くんが怪我をするだなんて誰も思いませんよ……。しかもこんな酷い怪我を」

「あはは……すみません」

「本当ですからね! 怪異の身は脆くはありません。ですが、感覚は働いてるので痛みだって感じますし、我慢するのだってキツイでしょうに……」


 麦の声は普段、か細く近づかないと上手く聞き取ることが難しい。

 だが今は、近距離で喋っているためよく耳に通る。麦は顔を赤らめて怒る仕草は納にはあまり効いてないようだ。

 麦は話をする時は大抵、赤面症を発症している。


「おさむ」

「凛さん? どうしましたか…?」

「ごめんなさい」

「え?」


 突然の謝罪に納は戸惑う。

 凛は顔を俯かせていた。


「えっと……私、凛さんに何かされましたっけ…?」

「お仕事に連れてってほしいとか、足を引っ張っちゃって……それで、おさむが怪我しちゃった。ごめんなさい」


 再び頭を下げられて納は驚くも、すぐにいつものような笑みを浮かべた。


「顔を上げてください。別に怒ってませんよ。寧ろ、凛さんを守れてほっとしました」


 納は凛の頭を優しく撫でた。


 今でも思える。

 あの時、凛を助けることができて良かったと。

 それが納の心に刻まれた。


「私の方こそすみません。あの時、凛さんの忠告を聞いてればこんな事には……」


 納はここまで言ったところで実は気付いていた事がある。


 凛を施設へ置いていったとしても、依頼主の本があの部屋にある以上はこの旅館の触れてはいけない部分に土足で入り込むしか余地はないと。

 どちらにしろ怪異は最初から旅館内に潜んでいたということ。


 そして納が危険な目に遭うことは、どれを選択しても、例え最善だと思い込んでも、十中八九が起きてしまうということ。


 そもそも、この依頼主はどうしてあんな場所で本を落としたのだろうか。読書をするくらいなら、あの部屋以外にも静かな場所を確保できた筈。


(もしかすると、依頼主は依頼をしたのではないでしょうか……)

 

 単なる憶測だが納の考えはこうだ。


 依頼主は旅館の噂を知っていた。噂を確かめるためにあの大量首吊り現場の部屋を見た。そこで、その先に部屋があることを知り、興味本位で開ける。

 その先には、例の人形の群れがあった。

 そして調べていくうちに教祖の人形の顔に数々の釘が刺されていた。

 依頼主は驚きそのまま部屋を去った。

 それで帰る途中、本を無意識に落としてしまった事に気がつき戻りに行くのも気が引けた。

 だから、遺失物センター「常世」の者たちに依頼をする事であの旅館に行かなくて済む。


 妄想に近い考察に納は思い悩んだ。


(考えすぎ……でしょうかね。やっぱり)


 そして納には別のことも考えていた。


(あの旅館は本当に、倒産が理由で無理心中をおこしたのでしょうか)


 納にはどうにもしっくりこなかった。

 あの無理心中を再現された部屋の向こうに見えた人形の群れ。

 恐らく、集団は宗教団体だろう。


 もしかして、旅館の支配人である伏木ふしぎが宗教の沼から抜け出せずにいた。

 だが、旅館と宗教団体になんの関係があると言うのだろう。


(あぁ、やはり人間の考えることは分かりませんねぇ……)


 どれだけ考えても答えは分からない。

 謎を知ればまた謎が増えるだけ、綺麗には片付かず余計に散らかすばかりだった。


 考え込む納に、麦が肩を揺らす。


「納くん、聞こえてますか……?」

「む、麦さん。一体どうしましたか?」

「い、今の話やっぱり聞いてませんでしたよね……?」


 麦は包帯を救急箱に仕舞いながら「わたしってやっぱり声が小さいんだわ……」と一人嘆き始めた。耳の先が真っ赤になっている。


「取り敢えず、今日は安静にしてくださいね」

「はい。麦さん、いつもありがとうございます」

「良いんですよ。皆さんの生活を手助けするのがわたしのお仕事ですから」

「むぎ、すごい」

「い、いえいえ……そんな、嬉しいですけれど……」


 遠慮がちに言う麦の顔はまるで熟した林檎のようだった。

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