12.生き人形
廃旅館の件から一週間経とうとしていた。納はその後、医務室の先生に診てもらい仕事に支障はないと大ごとになることはなかった。
監視対象の凛はこの件が原因で施設にいることになった。所謂、お留守番である。凛は不満気だったが渋々頷いていた。
そして納は今日、別件でとある団地に足を運んでいた。
「ふーむ。ここですか」
現地と地図を見比べ納は納得する。
そこは施設から少し離れた小さな団地だった。居住者がいるのか周りがとても賑わっている。
随分前に建てられたもので、壁に所々苔が生えていた。
「お兄さん、誰?」
不意に声をかけられる。納が振り向くと、赤いランドセルを背負った女の子がいた。
「貴女は……ここの方で合ってますか?」
「うん。そうだよ」
女の子の滑らかな金髪が風に靡く。触り心地が良さそうだ。納は女の子に一礼した後、「初めまして」と続ける。
「私は納と申します。貴女の名前は?」
「
「有栖さんですか。よろしくお願いしますね」
礼儀正しく振る舞う納に有栖はこくりと頷く。そして、納を見上げて不思議そうにする。有栖のココア色の瞳が納の顔を捉えていた。
「珍しいね。全然、ちっとも変わらないの」
「え?」
突然の言葉に納は素っ頓狂な声を上げる。顔を前のめりにし、有栖をまじまじと見つめる。メッシュ越しからの有栖は至って普通だった。
何が変わらないのだろうか。納は考え込む。
(珍しいとは一体……なんでしょうか)
「ほら、あそこ」
「ん?」
「あそこに居るの」
「あそこ…?」
「うん。大きくなったり、小さくなったり、バラバラになってる」
有栖は団地の先に見える商店街を指差す。
(大きくなったり……?)
納は有栖の言葉に訝し気に考える。
納には一見なんの変哲もない街景色に映る。だが、有栖の言っていることは滅茶滅茶だ。有栖のは一体どんな風に見えてるのだろうか。納は考えることすら出来なかった。
呆然としていると、暫く黙っていた有栖が口を開く。
「でも、みんなに言うとね笑われちゃうの。可笑しいって」
有栖は別に悲しい顔を浮かべている訳ではなかった。平然と、でも少し笑っていた。恐らく諦めたのだ。
「あの子もそう言ってた」
「…あの子?」
「うん」
「お友達ですか?」
「ううん。家族だよ」
「えっと……お姉さんとか妹さんでしょうか?」
「ううん。私は一人っ子だよ」
「そうなんですか」
家族に代名詞を使うのかと一瞬不信感が過ぎるも、これ以上会話を重ねても退け合うように中々噛み合わない。
(そもそも他所の家族事情を無理に聞くことは失礼ですからね。知っても意味はありませんし……)
納はこれ以上問いただすことはなかった。
「今日はこれから友達の所に遊びに行くから、もう行くね」
「あ、そうでしたか。では、お気をつけてくださいね」
「はーい。ありがとう、お兄さん」
有栖は赤いランドセルを背負い直し、ぱたぱたと駆けて行く。
納の方を通り過ぎようとしたとき、有栖はまた声をかけた。
「お兄さんは明日もここに来るの?」
「はい、まだ終わってませんので……」
「お仕事?」
「はい。午前の別の仕事で長引いてしまって……」
納が眉を下げて言う。有栖は「大人ってやっぱり忙しいんだなー」と感心していた。
「私、大人にならなくてよかった」
「そうですか。まぁ、有栖さんは怪異ですからね」
「知ってたんだ」有栖は目を見開く。
当然のように納は肯首する。
「私は、怪異専用の落とし物センターで働いてるんです」
「落とし物……?」
「はい。今回もその件で団地を訪れたんですよ」
納は「
「そう言えば……」
有栖はそう言いかけるも口を閉じてしまった。
「『そう言えば』がどうしたんですか?」
「ううん。友達がね、なくしたものがあるんだって」
「なくしものですか?」
「もしかしたら落としたかもって」
「そうなんですね。でしたら、その方にお伝えしておいてください。きっと対処してくれますよ」
「じゃあ、教えておく。ありがとう、お兄さん」
有栖はそう言うと今度こそ団地の方へと走っていった。納は有栖の小さな背中を見送る。
「そろそろ私も始めましょうか」
回収箱に入っている遺失物詳細情報の資料を手に取る。ボードに挟まれた紙をペラペラと捲る。すると、背中に視線を感じる思わず振り返った。
(今、誰か居ましたか……?)
だが納に見えるのは、がらんと寂しくなった団地の入り口のみ。その隣にある階段を上って居住者は各自部屋に戻るのだろう。納は気のせいだと深く考え込むことはなかった。
◇
次の日も納は例の団地へと向かった。
「一応団地の周りを見ましたが、見当たりませんねぇ……。もしかしたら、団地の中に……」
納は団地の中を遠目から伺う。やはり、居住者たちの声で騒がしい。外からでもガヤガヤと雑音のような声が聞こえてくる。幸い、今日の仕事はこの団地のみだ。他の仕事は他の職員が入っている。
(そう言えば、
今はここに居ない同期のことを思い出し、どうしてるのかと想像を膨らませる。新しいものが好きな彼だから、きっと新天地に胸を馳せているのだろうかと適当なことを考える。
「あれ、お兄さん」
ソプラノの様な明るい声が納の耳に響く。振り返ると金髪の女の子が団地の階段から降りてくる。昨日知り合った居住者の有栖だ。
「おはようございます」
「おはよー。今日もお仕事なの?」
「はい。今日から本格的に探そうと思いましてね」
「やっぱり、昨日はもう夕方だったもんね。なんか、お兄さんを見てると大変だなーって思う」
「そうでしょうか? 別に苦しいとかないですけど……」
「え!? 嘘だー! 大人の
納の言葉に心底信じられないという表情を見せる有栖。それとは反対に納はきょとんとしていた。よく分かってないときの顔だ。
「まぁ、好き嫌いはそれぞれですからね。例えば自分の好きなことを仕事にできたら楽しいのではないでしょうか?」
「確かにー!! それだったら楽しそうだよね」
「有栖さんの好きなことは?」
「えー? うーんとね、おままごと!! 私はいつもお母さん役なんだー」
「おや、そうなんですね。確かに、有栖さんみたいな素直な方なら良いお母さんになれそうですよね」
「本当?! 嬉しいなー。……でもね」
途端に有栖の顔に影が差す。瞼を僅かに閉じ、顔を俯かせる。少女のココア色の瞳が濃くなる。
「私はなれない」
有栖の顔に影が差す。瞼を僅かに閉じ、顔を俯かせる。少女のココア色の瞳が濃くなる。
「どうしてですか?」
納は迷わず問う。
「どうしてって……だって私、赤ちゃんいないもん。まず、面倒見ることができないじゃん? だから無理だって思ったんだ」
「そう言うことなんですね」
「うん。だから代わりにお人形であやしてたの。生きていた頃、貰ったお人形にママ、ママって呼んでねって。おままごとしてた時もそうしてたの」
「……ママ?」
「うん! そしたら私がこの子のママだーって思えるでしょ? 別に
本物にはなれない。だけどその代わりに、本物になりきる。そうすることで自分の欲求を解消していく。
納は独自の解釈で有栖の言葉を淡々と理解する。
有栖は納の見えない目に合わせてこんな事を言った。
「ねぇ、お兄さん! お兄さんのこと友達に紹介してもいい?」
「私のことですか? 別に良いですが……」
納は渋々頷くと有栖は嬉しそうに顔を華やかにさせる。ぴょんぴょんと飛び跳ね、「わーい」と喜び始めた。そして、納の片手を握り団地の中へと連れ出そうとする。
「あ、有栖さん……!?」
「実はね、今日呼ぶって言っちゃったの。お兄さんと話せるのが嬉しくて!!」
「ですが私、仕事が……」
「ちょっとだけ! 大丈夫。みんな良い人だよ!」
「わ、分かりました」
少しだけならまだいいか。納はそんな軽い気持ちで有栖の後を着いていくことにした。
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