16.生き人形


「そう言えばねえ、その本を見て思い出したことがあるんだよお」


 銀が何かを思いついたのか、手を喉元に押し当てた。


「思い出したこと……ですか?」


 文章の断片を納がもう一度言う。銀はコクリと頷く。


「二人は不思議の国のアリス症候群を知ってるかなあ?」

「不思議の国のアリス症候群……?」


 納は本に一度目を向ける。この題名と同じ。

 随分と変わっている病名だ。


「人間にかかる珍しい病気なんだけどねえ、突然周りの物が大きく見えたり、小さく見えたり、現実とは異なるものの見え方をする幻覚症状なんだよお」

「大きくなったり、小さくなったり……?」


『大きくなったり、小さくなったりバラバラになったりしてる』


 その時、有栖の言葉が納の脳内に思い出される。


(そう言えば、有栖さんも同じことを言ってた……)


 有栖は団地から見える商店街の景色に普通ではあり得ないことを言っていた。まだ、確証は持てないため銀の話の続きに耳を傾けた。

 

「その病気は子供に多くかかると言われているんだあ。でもねえ、大人もかかることもあるんだってえ」

「子供がなりやすい……」

「凛くんが選んだ本を見てえ、そう言えばそんな面白い病名があったなあって思ったんだよお。この病気はねえ、本の主人公アリスが実際に体験したことと似てるんだあ」

「幻覚と言うことは、自分にはそう見えても相手には見えないと言うことですよね」

「うん。だからあ、幻覚を持っている人と接する時は優しく声をかけたりい、安心させることが大切なんだよお」

「なら……」


 納は再び、昨日有栖と出会った時のことを思い出す。


『でも、みんなに言うとね笑われちゃうの。可笑しいって』


 あの有栖の諦めたような表情が浮かび上がる。もし、有栖が幻覚を見ているのなら周りから疎まれるのも納得がいく。


「おさむー」

「……凛さん?」


 考えに浸り込んでいると、納の膝に凛が乗ってくる。どうやら深刻そうな表情をする納に心配したらしい。


「おさむ、かおいろわるいよ」

「顔色ですか……?」

「そうだねえ。何かあったのお?」


 銀も納の様子を伺い始める。


「実はですね……」


 納は昨日を含めた出来事を次々に話していく。とある団地で有栖という少女に出会ったこと。有栖は商店街の街景色を見て不可思議なことを言ってたこと。そのせいで、周りから避けられていること。


「なるほどお。そう言うことかあ。確かにい、症状は似ているねえ」

「それで今日、有栖さんの友達を紹介してもらったんですよ」 

「それって有栖さんの部屋に入ったってことであってるう?」

「はい。ただ、少し揉めてしまっていて……」

「揉め事お?」

「はい。それで有栖さんは少々苦しんでましてね……。明日、少しでもいいから話してほしいと言われまして……」


 納は有栖とその友達の会話を伝える。


「毎日毎日、有栖さんのことを起こしてるって、友達ってそこまでするものなんでしょうかね……」

「うーん。同じ団地だからじゃないかなあ?」

「やっぱり、そうですよね。私の勘違いかもしれません」 

「ね、ねぇ……おさむ」

「凛さん? どうかしましたか?」


 震えた声で呟く凛に納は耳を傾げた。


「あ、あり……す?」


 凛は目を見開いてそう言った。


「凛さん……?」

「いま、ありすって言った?」

「はい、言いましたけど……」


 慎重に言葉を選ぶも、凛は酷く同様していた。


「わたしのも、って言うの」

「!?」

「あらあ、それは本当お?」

「うん」凛は頷く。


「わたし、ありすの友達? ……多分しってる」

「ならば……。私、明日有栖さんに確認してみます」

「ほんとう?」

「はい。任せてください」


 団地での落とし物は未だに見つかってない。そろそろ見つかっても良いぐらいだが未だにその情報すら見当たらない。

 他の怪異に聞いても知らないと一点張りなのだ。


 なら落とし物が見つかるまでの間、自分に出来ることをやろう。

 そのために明日もまた、有栖に会おう。そして、聞いてみよう。納はそう心に決めた。


 納と凛が図書室から出た後、銀はとある本を取り出しページを捲る。『不思議の国のアリス』。先程話していた話題の中心となったものだ。


 銀はとあるページを見ていた。

 それは、アリスが白うさぎを追いかけてる最中に帽子屋たちと出会いお茶会をする場面である。


「不思議の国のアリス症候群かあ……」


(納はああ言ってたけれどお、本当に有栖くんの幻覚はそれで合ってるのかなあ)


 銀には何処か腑に落ちないでいた。納は飄々としている分、洞察力が優れておりよく周りを見ている。


「でもねえ。きみはまだ気づいてないのかもしれないけれど、納は一つ見落としてることがあるんだあ」


 パタン。

 ざっと目を通し、銀は静かに本を閉じる。


「もしその話が本当ならあ、のお?」


 銀の独り言は宙に浮かんだあと、虚しくも図書室の天井にぶつかりそのまま消えてしまった。

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