6.生き人形

 次の日の朝、納は午前中から仕事が入っており朝早くから準備をしていた。


 洗顔を終え、制服である作業服を袖に通す。肩下まで伸びた黒髪を下に束ね、ツバ付きの帽子を深く被る。帽子の中の黒いメッシュを垂れ下げいつもの納の姿が出来上がった。


 頑丈な造りの回収箱を首に提げ、自室を後にする。


 朝食は既に食堂で済ませており、後はセンターから出る行動のみだ。


 廊下を歩いていると「納ちゃん」と背後から声をかけられる。納が振り返るとラフな格好をした春がこちらに向かってくる。 


 納は一礼して挨拶をする。


「おはようございます、春さん」

「あらおはよう納ちゃん。これから仕事かしら?」

「はい。春さんはもしかして非番でしょうか?」

「ええ。だから今日はもう少し寝ようって思ってたのよ〜。睡眠不足を補うためにね、お肌に良くないからせめてって。でもね、仕事体になっちゃったのか普段と同じ時間に起きちゃったの。それで寝付けなくて廊下を歩いてたら納ちゃんを見つけたってわけよ」


 これまでの事情を聞いて納は成る程と納得する。よく見るといつも上がった前髪が垂れ下がっており、いつもの明るく洒落た春とは雰囲気が違う。なんだか物静かなイメージが重い浮かぶ。



「納ちゃんは身支度がとても早いのね」

「まぁ、着替えて髪の毛を縛るくらいですので…」

「やだ、少しはお肌に気を使わなきゃだめよぉ〜? 納ちゃんとても綺麗な顔立ちしてるんだから」

「そうでしょうか? 私、自分の顔あまり好きではないので……」

「そうかしら? アタシは納ちゃんのお顔とっても素敵だって思うわ! なんだか、って感じよねぇ〜」

「あ、危ない……」


 きゃはきゃはとはしゃぎ立てる春に納は引き笑いを起こす。一人盛り上がっている彼に当然着いていける訳もなく納はただ肩を落として見つめることしか出来なかった。こんな朝早くから元気なものだ。


 やがて、落ち着いたのか春が別の話題を切り出す。


「そう言えば場所はどこなのかしら? 早朝に行くってことは結構遠い所なの?」

「まぁ、歩ける距離なのですがどうやら廃旅館らしいんですよ」


 納が眉を下げて言うと春は「それは大変ね」と同情する。


「旅館とか病院とかって探す所が多くて困るのよね〜。特に、廃墟になったやつは面倒よ〜。埃まみれだし、荒れてるし、良いことないわ!」

「まぁ、怪異って場所の好みが激しいですからね」


 すると、二人の後ろからとてとてと小さな足音がこちらに向かってくる気がした。納が視線を移すと未だに眠そうな顔をした凛の姿があった。


「何してるの」

「あら、凛ちゃんじゃないの。おはよう」

「凛さん、おはようございます」


 二人が挨拶をすると、「おはよう」と淡々と返す。そして、納の所に駆け寄り昨日と同様納の足にしがみ付いた。凛は納をじいと見つめそのまま無言でいる。


 どうすれば良いのか分からず納は無理矢理頭を動かした。隣では春がクスクス笑っている。


「ふふ、相変わらず納ちゃんが大好きなのね〜」

「出会ったばかりなのですがね……」

「凛ちゃん。納ちゃんはねお仕事だから、これから行っちゃうのよ」

「しごと?」


 凛の大きな青い瞳が見開く。納が会話を継ぎ、動揺する凛を宥める。


「安心してください、午前中までには戻りますから。ですので、それまでは春さんや磊さんたちとお利口にしてくださいね」

「おさむ、私もいく」

「はい?」


 凛は今なんと言ったのだろうか。


 わたしも一緒に行く。そのような事を言わなかったか。


 意外な返答に納は呆気に取られてしまう。いや、そんなことしている場合ではないと落ち着かせ、次には凛を説得しなければならなかった。


「あのですね凛さん」

「場所はどこ?」

「これは私の仕事ですし、もし凛さんに何かあったら取り返しがつかなくなることもありますので」

「行こ」

「凛さん、ちょっとお話を……」

「やだー」


 頬を膨らませてむくれる凛に納は苦笑を見せる。春は再び愉快そうに微笑んだ。


「ふふ、子供相手に戸惑う納ちゃん。珍しいわね」

「困りました。どうしましょう」

「いいんじゃない? 一緒に連れて行きなさいよ」


「え、春さん?」らしくない声を荒げて納は驚く。次に発した時にはいつもの落ち着いた声色で心配の根を見せる。


「ですが……」

「凛ちゃん一応、アタシたち怪異と同じような存在なんでしょう? 人間みたいにすぐ死にはしないもの」


 だから大丈夫よ、春は自信満々に納を促す。凛の潤んだ瞳と、春からの謎の威圧感に納は挟まれ何も言うことが出来なくなってしまった。両脇からの視線に耐えきれなくなり、納は諦めざるを得なかった。



「仕方ありませんねぇ……。今回だけですよー?」

「ほんとう?」

「はい、本当ですよ」


 では身支度の用意を…… 。と納が言いかけるが、よくよく見れば凛は最初からカジュアルな洋服を身に纏っていた。髪型もポニーテールに変わっていた。昨日のドレスのような上品な衣類は綺麗に洗い、大切に保管されているらしい。


 こうみると、凛はフランス人形の他に着せ替え人形みたいだと納は思ってしまった。


 もしかしたら凛は、納たちの会話を始めから隠れて聞いていたのでないか。


 納は一瞬だけその考えが過ぎるも気のせいだと無理矢理脳内からかき消した。


「それでは行ってきますね」

「春、行ってくる」

「二人とも、行ってらっしゃい。凛ちゃんは納ちゃんから離れちゃだめよ」

「無事にもどる」

「そうね、約束よ」

「うん」


 春と凛が指切りげんまんをして戯れていた。

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