生き人形

1.生き人形

 薄暗い雲が空を覆う。

 冷たい風が雑に生えた薄を撫で、茎を曲げ項垂れていた。

 その近くには、古びた屋根付きの小さな待合席があった。

 中には三人の者が腰掛けて並んでいた。


 納と、老夫婦であろう二人。


 納は依頼場所に行く途中に声を掛けられしばしば談笑と言う名の道草を食っていたのだ。


「それでね、隣の家の田中さんがこんなにたっくさんの林檎を持ってきてくれたのよ〜!」

「へぇ、それは良かったですね」  


 静寂な雰囲気に似合わない煌びやかな声が彷徨う。吊られて淡々とした声も後を追う様に響く。


 側には剥がれかけのプレートが付いたれ停留所が立っている。


 納はそうではないが、他の二人はここで停まるバスを待っているらしい。妻と思われる女性がにこにこしながらそう言っていた。


 呼び名もいつの間にか、「納くん」と親しみを込めて呼ばれる様になった。


 納は嫌な顔を一つもせずされるがままの受け身になる。


「それにしても納くんはそんな格好で寒くないのかしら?」

「良かったらワシのを使っておくれ」

「お気遣いありがとうございます。ですが、そこまで寒くはないので平気ですよ。貴方が風邪を引いてはいけませんので……」


 納が丁寧な断り方でそう告げると、老夫は「そうかい」と納に貸そうとしていた厚めのジャケットを着直す。その紳士さには老婦も関心の表情を見せていた。


「最近の若い子ってとっても痩せていて細いじゃない? アタシ見ていて心配でねぇ。あまり食べないし、栄養失調になるんじゃないかって。頑丈じゃないし、納くんもほっそりしていてびっくりしちゃったわ。寒そうって思っちゃって」

「おや、そうでしたか。実は私、あまり筋肉がつかない体質でして……」

「あらそうなの? それはそれで心配だけれど、仕方ないわよね。体質はそう簡単に変えられないもの。でも、好き嫌いしちゃだめよ。しっかり栄養とってね」

「はい、ありがとうございます」


 納はいつもと同じ穏やかな笑みを漏らした。すると、老夫が何やら上着のポケットをガサゴソと漁り始めた。皺だらけの手には何かが入っているのか、ぎゅうと握られていた。そして、納の手袋をつけた片方の手に向けて差し出す。


「ほい。これやる」

「これは……飴ですか?」

「空腹が来ちゃ仕事もままならないだろ。そのデカい箱を持っていくなら尚更だ」


 納の足元に挟まれた空っぽの回収箱に視線を数秒送り、そしてまた納に目を合わせる。黄色い包み紙に入った飴だった。老夫が雑に入れていたせいか、パッケージがくしゃくしゃになっていた。


「ありがとうございます」納は軽く頭を下げる。


「いいんだ。若者の人生はこれからだからなぁ。納も頑張れよ。辛くなったら我慢せずに立ち止まって休めばいい」

「そうねぇ、やり直しが効くのが人生だからねぇ。納くんも無理はしないでね」


 二人の言葉に納はぼんやりとする。


 やり直しが効くのが人生、確かに人間は死なない限りまた立ち直ることが出来る。


(そう言えば、商店街に寄った時にそういう本がありましたね……)


 依頼の事情で訪れた賑わいのある場所で偶然、書店の外に飾られていた本にも似たような題名が記されていた。


 確か……『気力をなくした君に送る、人生のやり直し方』だったか。


 随分と長ったらしい題名だったのを覚えている。それを読むだけでも気疲れしてしまいそうだと納は感じた。


 まぁ、怪異の納にやり直しなど分かる筈もないが。


 丁度キリの良い所で、納は仕事に向かうと二人に告げた。


「それでは、私はこれで」

「えぇ、またお話ししましょう」

「またのぉ、納」


 納は老夫婦に一礼すると、回収箱を抱え停留所を後にした。 


 納が地道に歩いていく周りには、田圃以外珍しいものがない。


 田舎は静かで心地が良い。

 人がごった返さないし、窮屈で息苦しい雰囲気もない。 


 納はどちらかと言うと静かで人気のない所が気に入っている。

 だから、田舎で依頼仕事をするのは納にとって合っていた。


 すると向かい側から中型のトラックが唸り声の様なエンジン音を鳴らしながら勢いよくこちらに走ってくる。そのまま納の横を通り過ぎ、疾走力によって出来た風が納に推し当たった。


 彼のひと束に纏めた黒髪が微かに揺れた。


 それと同時に、後ろからドンという思いっきりぶつかるような衝撃音が響いた。あまりの大きさに、納はぴたりと歩くのを止めた。


「今、何か物凄い音がして……」

「あれ、納くんじゃないスか」

「ん?」


 目の前に、黒いスーツを身に纏い飄々とした顔の青年が納を見ていた。後ろには彼の背と同じくらいの大鎌を背負っていた。 


あずまさんでしたか」

「お久しぶりっスね。これから仕事っスか?」

「はい。これから向かう所で……そう言う四さんもでしょうか?」


 納が伺うと途端に四はうんざりそうに後ろを指差した。


「ほーら、見てくださいっスよ。あの、停留所」

「……おや」


 くるりと四に背を向けると納は思わず声を上げた。


 帽子のメッシュ越しだったが、その光景は鮮明に映る。


 それは、納が先程お邪魔していた停留所、もとい待合席だった。


 だがしかし、そこには中トラックが突っ込んでおり小屋の原型が留めていなかった。ボロボロだが一生懸命に支えていた屋根も、その中もグチャグチャと化していた。


「今日は、っスね。もー連れて逝くの大変なんスから」


 四はため息を深々と吐く。


 死神である四は、彷徨ってしまう魂を回収するのが仕事である。

 あまりの人数の多さで、これから仕事だと言うのに面倒臭そうにしていた。


 そろそろ自分も仕事に行かなくては、納は肩を落とす四に「すみません」と恐縮させる。


「それでは、これから依頼がありますので……」

「あっ、了解っス。納さん、頑張ってくださいねー!」

「はい。四さんもお気をつけて」


 そして、納は四とは反対方向の目的地へと足を進めた。

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