12.写真 

「ねぇ、納」

「百合音さん……」


 突然の彼女の姿に言葉を失う。百合音は顔を俯かせ、ボサボサの前髪を前に出す。そのせいで、彼女の表情が隠れてよく見えない。


 いつの間に、そう続けようとしたが目の前の人物の様子の可笑しさに遮られてしまう。呆然としているとゆらりと滑らかな髪がゆらりと動く。


「見たでしょ?」


 そう言い放った百合音の言葉がどれだけ冷たいのか、納は感じることもなかった。納はこくりと頷いた。百合音は顔を一瞬歪ませた。


「そう……」


 静かに呟いた後、百合音は黙り込んでしまった。納は沈黙を破り会話を無理やり続けさせる。


「告白していたんですね」

「あの時は無理矢理だったけれどね。しかも、場所は屋上ってさ。告白が成功した時は舞い上がっていたけれど、よくよく考えたら可笑しいかもって気づくことすら出来なかった。でも、死んで告白したこともその先に起きたことも、何もかも忘れていた……」

「と言うことは、んですね」

「ええ、何もかもね。忘れていたのに、あなたのせいでじゃない」

「……どうして笑ってるんですか?」


 悔しそうに笑う百合音に納は疑問を投げかける。


「言ったでしょ。思い出せば出す程、辛くなるって」


 そう言った百合音の目元が光り出す。彼女の青白く変色した頬が少しだけ濡れているような気がした。


「知らない方が幸せってこともあるのよ? 知らなかったー?」


 今度は百合音は疲れ切った様に笑った。「そうなんですか」それでも納は他人事だった。


「さっき、納が拾ったクマのストラップ、あたしが作ったんだよ。柊涼太だから、イニシャルがHとRなの」


 納はポケットから、先程の落とし物を取り出す。彼女にそう言われ、今気がつく。このイニシャルは涼太、もとい百合音の元恋人であるということに。


「まぁ、結局必要がなかったみたいなんだけれどね」


 百合音は悲しげに呟いた。


「本当に探すの?」

「はい。私は怪異の落とし物を探すのが仕事ですから」

「ふふ、あなたはいつまでも落とし物ばっかり。でも、余計な同情も慰めも要らないから納が通常運転で良かったわ」

「ところでってことは写真のありかはご存知なんですよね? それって一体……」

「この下よ」

「下……?」


 納が首を傾げていると、百合音は屋上の床にしゃがみ込む。彼女の足元には少し板が歪み出っ張っている部分があった。

「よいしょ」と百合音はその板を取り外す。すると、人一人分が入れるくらいの穴ができた。納はその光景に思わず口が開く。


「まさか、ここに隠し通路があったんですか……」

「そうよ。ずっと前からあったの。生きていた頃、屋上で過ごしてたって前に言ったでしょ?」


「でもね、死んでからはこの下には一度だけしか行ってない」百合音はゆっくり瞬きをする。


 納は気になった事を呟く。


「一度だけと言うのは……」

「さ、行きましょ。この下にあるわ!」


 百合音は答えを言わずに歪な穴の中へ入っていく。納も後を追うように窮屈な空洞へと吸い込まれていった。 


 埃くさい空洞から出て、納はあまりの苦しさに咳込む。どうやらこの部屋はあまり人が出入りしないらしい。同じ様に口元を抑える百合音を見て納はそう理解する。


「ここは?」

「今は物置となっているのよ。普通の生徒じゃ入ることは無理だけれどね。前は物置じゃなかったけれど昔、ここで事件があったみたい」

「事件……?」

「何だったっけ、生徒一人死んだって聞いたんだけれど、それがきっかけで立ち入り禁止になってるとか……ってあたしは別に気にしなかったけれどね。一人になるにはうってつけだったし」


 百合音はそう言いながら、散乱する物を漁り始めた。納は一度、辺りを見渡す。教室と同じくらいの広さで部屋がとても充実している。

 しかし、物置と言われているだけ物が散乱、窮屈に置かれており狭く感じた。


 納は何かないかと物色しはじめる。キョロキョロする百合音の横を通り過ぎ、前へと進む。やはり長年使用されてないのか進むたびにむせてしまいそうな粉っぽい小さな埃が納を襲う。


 目は幸い帽子のメッシュが防御代わりになっている。口と鼻はマスクのような防ぐ物がないため片腕をそれらに押し当てながら歩く。


 ふと、納はピタリと止まった。足元に何かある。


 それは紙切れだった。長方形の、表面が艶を見せている。丁度、写真のようなサイズ。中には、男女二人が仲睦まじく写っていた。


「ありました。百合音さん、ありましたよ」

「え、本当!?」百合音は納の方に向かう。

「はい、こちらに……おや?」


 納はそれを拾って何か違和感を覚える。よく見ると写真の真ん中から裂け目が出来ていたのだ。写真は真っ二つに破れていた。そして、破れたことにより二人は左右バラバラに離されてしまった。


 その光景を見ていた百合音が手を差し出す。


「それ、頂戴…?」

「えっと、はい……どうぞ」


 納は破れた写真を百合音にそっと渡す。


「どうしますか? 今からでも施設に行って直してもらった方が……」


 納は一度、遺失物センター「常世とこよ」に行くことを提案した。何故ならば、施設ではもし遺失物に破損があれば修理をすることが可能だからだ。担当の職員が直してくれると付け加える。


 しかし、百合音は首を振った。


「いいの」

「……え?」

「そんなことしなくても平気よ」


 彼女は納に一度も目線をよこさない。破れた写真をただ見つめていた。


「きっと、これもの一つなのよ」


 百合音は破れた写真をぎゅうと大事そうに胸に抱いた。納はどうしていいか分からずそのま呆然としている。暫くすると、百合音が喋り始めた。


「あたし、気づいたの」

「……え?」

「たとえ、涼太が酷い人だろうとあたし、あたしは………大好きだったの。だって、本当にあの頃は心の底から幸せって思えたから。大袈裟かもしれないけれど生きていてよかったって思ったんだから」


『こんな私と付き合ってくれてありがとう。涼太』


 不意に日記に書いてあった一文を思い出す。


 涼太と交際する前までは、同級生に精神的苦痛を味わされた百合音の心はとっくにボロボロになりどれだけ辛い日々を耐えてきたのかなど納には分からない。

 だが辛い経験をした分、涼太との出会いは余計に彼女にとって奇跡と言えたのかもしれない。それがたとえ望まない結末をもたらしてしまったとしても。


(ならば……)


 納は百合音の目の前に座り込んだ。


「その写真は取っておきましょう」

「え?」百合音の素っ頓狂な返事が聞こえる。はっきりとした目が更に大きく開かれ、また目玉が飛び出るのではないかと納は余計な事を考えてしまった。


 その言葉は飲み込み気持ちを切り替える。


「思い出だったんですよね、貴女にとってその写真は。とても大切で忘れられない思い出だった。良い意味でも悪い意味でも」

「そうね」

「だから、貴女だけは大切に取っておいてください。相手どうであれ、貴女にとってほんの僅かな時間はかけがえのない日々、だったんでしょう?」


「それに……」納は更に続けた。


「物には罪はありませんからね」

「ええ、そうね。そうよね」


 百合音はコクコクと頷き心に納得させる。


「自分の中でケジメがついたらその時はそうするわ」

「ええ、その方がいいでしょう」


 気が抜けたのか、百合音は「ふっ」と思わず吹き出した。そのまま口角を上げて笑い始めた。納は一瞬首を傾げるもつられるようにふふふと笑った。



 

 場所は変わり、校舎の昇降口。納は回収箱を持ち一歩前を歩いた。


「それでは、私はこれで行きますね」

「もう、行っちゃうの?」

「はい」


 そう頷く納に百合音は黙り込んでしまう。


 もしかして、今まで写真を探す為だけにここに来てくれたのか。本当は、その他にも仕事があったのかもしれない。そう考えると百合音は納に対して申し訳ないという気持ちが募る。


「そんなに浮かない顔をしないでください」様子に気がついた納は顔を伺う様に見下ろす。気まずそうに百合音は言う。


「だって、他にも仕事あったんでしょ? なのに、私の為に……」

「あぁ、別に気にしなくて良いですよ。あらかじめ、ここら辺の遺失物捜索依頼を引き受けていたので、百合音さんの写真を探しながら他の仕事もこなしてましたから」


「ほら」納は回収箱を見せる。百合音が中を覗くとそこには汚れた片足だけの靴の他に、小物がわらわら入っていた。


「拾い癖だけじゃないのね」

「仕事ですから」顔色変えずに納はそう言った。


「その……」

「ん?」

「あ、ありがとう……納」

「はい。こちらこそ」


 納はいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。そして、軽く一礼すると百合音に背を向け、この学校を去っていった。

 別れは呆気なく終わってしまう。百合音は一度も振り返らない背中を寂しく見つめていた。だが、納にとってこれまでの出来事も今まで交わした会話も、全てをひっくるめて仕事の一貫と考えているのだ。


 最後の最後まで彼は他人行儀だった。だが、それが百合音にとって良かったのかもしれない。


 もし、いらない同情や、余計な口出しをされてしまえば……。



「さようなら」


 百合音はこれ以上の事は考えないようにした。


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