10.写真

 その翌る日。


 納は今日も百合音と校舎を周っていた。昨日の天井剥離事件がきっかけで工事の人たちがそれなりのトラックを駐車場に停め、脚立等の大きな道具を背負いながら昇降口の中へと入って行くのが見えた。


 探す所も少なくなり、今度は校舎外に目を向けた。花壇やその近くのグラウンド場を探し始めた。現在、納は花壇に座り込み、土いじりをしている。


「うーん。なかなか見つかりませんね……」

「なんか、ごめんね。ここまで付き合わせてもらって……」


 百合音は申し訳なさそうに言う。納の集中力に驚いたのか言葉の最後の方が掠れるように聞こえなくなっていた。


 彼女は納と会う回数を重ねる度に、どんどんしおらしくなっていく。初めて出会った時の気の強さは一体何処へとでも感じてしまうほどだ。


 しかし、そんな些細な変化を気にすることもない納はいつも通りに礼儀正しかった。眉を下げる百合音に「そんなことないですよ」と励ます。


「私の仕事は依頼主かいいの落とし物を探すのが務めですからね。それに……」


「それに?」百合音は聞き返す。


「失くすことは別に悪いことじゃないですよ。探して見つければそれで良いじゃないですか。探さない限り、落とし物も大切なものも見つかりません」

「納……」 


 納の痩せぎすの姿がなんだか頼もしく思える。そこら辺の何でもない物に飛びついては気持ちを昂らせる彼がそう言う言葉に不思議さを感じ、意外性を持った。

百合音は少し擽ったい気持ちになった。


「まぁ、学校ここって意外に人間の珍しい落とし物がホイホイ出てくるんで拾い甲斐があるんですよね〜」

「ふふふ、何よそれ」


 全く、そう呆れ気味に言う百合音の表情には安堵の笑みも含まれていた。そして彼女は、納の手元、白い軍手が土で汚れている方に視線を移した。


「それにしてもどうして土なんか掘っているのよ」

「もしかしたら有るかもしれないでしょう? 死体だって土に埋まってるケースが多いですし……」

「サスペンスドラマの見過ぎよ」

「おや、土の中に何か……」


 何やら柔らかいものが納の軍手越しから伝わってくる。取り出すと、小さな土の塊がほろほろこぼれ落ちた。優しく払うと茶色く汚れた中に、明るめの生地が見えた。やがて殆どの土が取れ、正確な形が見える。


 それは、クマのストラップだった。


「可愛らしいですね」

「それ、何? ストラップ……?」

「そう見たいですね。ほら」


 納は百合音によく見えるように近づける。ミニシルクハットをちょこんと乗せ、小さな腕にはみ出す位の大きなハートを抱え込んでいる。

 その真ん中に、『R.H』と刺繍されていた。


「きっとイニシャルですね。それにしても、手作りって感じがしますね〜。プレゼントだったんでしょうか」

「どうしてそう思うの?」

「だって、刺繍されてるんですよ。製作者さんのイニシャルが」


 納は「ここです」と指さす。クマの丸しっぽ付近に布タグが付けてあった。そこに、先程と同じような可愛らしい刺繍でイニシャル『Y.K』と縫われていた。恐らく、『Y.K』がイニシャルの誰かが作ったのだろう。


 珍しいですね、と納はキーホルダーを作業服のポケットに仕舞い込んだ。

 そこに「本当、悪趣味ね」と小言を挟む筈の百合音の声がなかった。しかし、百合音は静かに黙って何かを考えていた。


「……」

「百合音さん?」

「ど、どうしたの……!?」

「何だか顔色が悪そうだったので心配になったんですが、大丈夫ですか?」

「へ、平気!」

「そうですか。なら、良いんですけれど。あっ、そうです。百合音さん」

「な、何?」

「お願いがあるんですが、もう一度屋上の方へ行きたいんですけど……」

「え……?」


 百合音の顔から明らかに笑顔がなくなった。あれ、と納は不思議そうに見つめた。束の間、百合音はいつも通りの華やかな笑みに戻っていた。


「どうして?」今にも崩れ落ちそうなソプラノの声が聞こえる。納は至って普通だった。


「昨日訪れたきり、くまなく探してないと思いましてね。ですのでそこを行こうかと……」


 納がそう言えば言うほど、再び百合音の顔は俯き出す。


「あまり行きたくない……」悲しい声で呟いた。


「おや? どうしてですか?」

「どうしても」

「そんなにですか?」

「そうよしつこいわね!」


 あまりの威圧に百合音は後ろに下がる。納の表情が目元とがメッシュで隠され、帽子を深く被っているせいで何を考えているか分からない。だから、百合音にとって余計に怖く感じた。


「だからあたし、屋上に行きたくないの!! それは分かってよ!!!」


 百合音がそう叫んだ瞬間だった。


 ぽか。

 何かが外れるような音がした。それはとてん、と鈍めの音を出しながら地面に落ちる。納は下に目やる。


 コンクリートには白く小さな玉が転がっていた。白玉のような艶やかで柔らかそうだった。それはころりと転がったあと、ゆっくりと止まった。

 白い玉の表面と納の目が合った。


 思わず納は声を漏らした。


「あ、百合音さん。目玉が……」


 納が指をさす方向、百合音の左目には大きな黒い空洞が出来ていた。だが百合音は冷や汗を垂らす事なく平気な顔をしていた。


「いい」

「え?」

偶にあるから」


 百合音は動揺する事もなく左目をなんなく嵌め込む。グチャリと粘り気の音と共に、左目は元通りの位置に戻った。納が余計な口だしをする。


「あの、洗ったほうが良いのでは……?」

「もう慣れたからいい。どうせまた落ちるんだから」


 百合音にしては珍しい様子だ。

 以前、ここで怪異の臓器が落ちてきたときには激しく動揺し呼吸が乱れるほど精神を抉られていた筈なのに。


「まぁ、変な怪異の臓器を手で掴もうとした納にはびっくりしたけれど」


 どうやら納の考えはお見通しだったらしい。彼は思わず苦笑してしまった。


「でしたら百合音さんは行かなくて大丈夫ですよ。すぐに、戻ってきますから」

「本当……?」


 不安げな彼女に「はい」と納は頷く。


「すぐ戻ってきますから」


 そう言った時の百合音の顔は未だに曇っていた。


 廊下を歩いているとふと、とある場所に目が留まった。そこは昨日、天井が崩れた現場だった。今朝すれ違った工事の人たちが作業でもしていたのだろう。


「工事中でしょうか。にしては、人がいませんねぇ」


 がらんとした工事現場の辺りを見回す。近くに掛けてあった時計の針が正午を過ぎていた。お昼の時間か、納はそこで理解した。

 

(そう言えばどうして天井の壁が剥がれたんでしょうか)


 旧校舎だからかもう壁紙が朽ちて限界がきていたのかもしれない。天井掃除は頻繁にやる訳でもないから、きっと埃やゴミも溜まっているのだろう。


 ふと、先程修理し終えた部分だろうか。端っこの方が今にも剥がれそうになっていた。気になった納は回収箱を下に置き、設置されている脚立に上る。


 剥がれている部分を触ると中から白い長方形の紙が貼られていた。無地ではく、何やら筆で記された文字が見えた。

 

「おふだ……?」

 

 そう例えるのが一番早かった。

 その瞬間。今まで貼り付けられていた壁紙が剥がれ落ちていく。


 べりべりべりべり。

 べりべりべりべり。


「あ」


 納はそこで手を伸ばすのを止めた。行き場を失った片腕を引き戻しぼんやりと見つめる。


「あー……」


 見つめていた先に、どう言って良いのか分からず声までもが途方に暮れ消えるように出てしまう。


 聴覚の端の方で廊下を蹴る音がした。

 誰かが歩いている。音がだんだん大きくなっていく。


 コツコツ。

 コツコツ。


 それはどんどん、納に近づいている。

 ブルブル震える訳でもなく、納はそのまま耳を澄ました。


 コツコツ。

 コツコツ。


 ふと、足音が聞こえなくなった。

 代わりに後ろから誰かの気配を感じた。納は迷いなく振り返る。その光景に納は微かに眉を上げた。


「貴方は……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る