3.写真

「あれ? 違いました?」


 少女が全く反応しないことに納は首を傾げた。少女は無言を貫く。やがて重い口を開き低い声が漏れた。


「どうして分かったの…」

「簡単ですよ。私もその類の一人ですから」

「え…?」


 戸惑う少女など気にせず、納はにこりと微笑んだ。


「そう言えば自己紹介が遅れましたね。改めまして。私は、怪異専用遺失物センター「常世とこよ」に勤める納と申します」


 帽子を深く被り、一礼をする。少女と顔を合わせ、唇に弧を描いた。

「驚いたわ」少女は礼儀正しい彼の姿に目を白黒させた。


「あなた、感覚が鈍いんじゃなくて最初から知ってて言わなかったのね。何よそれ、余計にタチが悪いじゃない」

「そうですかね。よく分かりませんが」

「そう言うところよ」

「所で、貴女のことを何と呼べばいいでしょうか。このままずっと貴女と言うのも変ですから名前を聞こうかと思いまして……」

百合音ゆりねよ」


 少女、百合音の言葉に「成る程、百合音さんですね」と納は軽く頷く。そして、納の角ばった片手を差し出し握手を求めた。


「よろしくお願いしますね」

「ええ、よろしく。と言っても、時間は随分経つのだけれどね」


 百合音も細い手で握り返した。



 誰も居ない昇降口を納と百合音は並列に並んで歩く。普通の人には聞こえない二人の足音がカツカツと響く。


「私達は主に怪異の落とし物を取り扱う仕事をしています」

「怪異……じゃあ、朝に言ってた仕事も……?」

「勿論、怪異からの依頼でした」


 納は軽く頷いた。持ち歩く箱の中からボードを取り出した。


「この遺失物情報という書類に依頼主の落とし物に関する詳細が記されています。特徴や最後にそれを見た場所など、知ってること全て書いてもらわないと探すのも一苦労ですからね」

「そうなのね」百合音は考え込む。


 納は首を傾げる。どうしましたかと問おうとするも百合音は思考により彼の仕草に気づくことはなかった。


「じゃあ、なら……」


 百合音が何かを言いかけた時だった。

 小さな影が納たちを指す。

 橙に染まりかけの空上に何か中くらいのナニかが落ちてきた。


 グチャ。


 水に浸されたような湿った音が地面に叩きつけられる。ソレは惨めに動く事なく、唸り声も発さない。納たちの前で横たわっていた。個体物だった。


「ひぃ…!」


 百合音は途端に微かな悲鳴を漏らした。肩をビクリと震わせ、その反動で尻餅をついてしまった。


 彼女の反応に納は一体何が落ちたのかと近寄る。


 大きな魚の赤身部分を取り扱ったような艶のある表面。縦に長く、納の片手では持つことは不可能だろう。

 表面に所々、脈を打ったような模様も見られる。

 透明の液体に浸され、触れてしまえば滑り気と液体が纏わりつきそうだ。


 納はソレを見るのは初めてではなかった。

 むしろ、最近同じような体験所謂デジャブに出会ってしまったのだ。


「またですか」


 納は終始苦笑をする。

 そして、何が落ちたのかを確認したあと、ビニール袋を取り出しソレを入れる。ずっしりとした重さが納の両腕に負担をかけさせた。


「肺ですね」

「な、な、なんで、何でそんなモノが!!」

「待ってください」


 騒ぐ彼女を静し、耳を澄ませる。

 ズルズル。ズルズル。何か重いものを引きずるような雑な音が納の耳に渡る。


「え……?」

 

 肺を箱の中に入れ、納は音のする方へと向かった。

 「ちょっと、どういう事!!」と後を追う足音も増えた。窮屈な音は旧校舎、納が最初に訪れた場所へと続く。昇降口へと入り、濁った色の廊下を歩く。

 少し歩いた所で納はピタリと止まる。



 納のメッシュ越しに映るのは、闇鍋の残飯を一つにまとめ上げたような固体物だった。ソレは、うようよと微かに蠢く。中心部に目が幾つもあった。てっぺんには唇のようなふっくらした部分も見えた。

 ソレは生きている。納は瞬時に分かった。

 

 後ろから百合音も来た。が、彼の先にいるソレに再び怯えてしまった。


「ひ、ひ、人……!?」

「そんなに驚くことです? 百合音さんだって人間じゃないでしょうに」

「そう言うことじゃないのよ!! なんであなたは平気でいられるの!!」

「平気? そりゃあ、職業上関わらないといけませんからね。常に怖気付いてる訳にもいきません」


 淡々と述べる納に百合音は引いた顔を見せた。


「あ、他の職員の皆さんも大体そんな感じですよ」と付け加えれば、更に顔を青ざめさせていた。百合音の反応などお構いなしに納はソレ、蠢く怪異に近寄る。


コレ、貴方のですか?」


 ビニール袋に詰めた肺を見せると、怪異はゆっくりと頷く。よかったと納は安堵し、肺を袋ごと渡した。怪異は、触手のようなもので肺を取り出し、肺を口の中へ放り込んだ。

 

 ゴキュリ。


 飲み込む音と唾液のようなものが怪異の口から垂れる。百合音は目の前の光景に気持ち悪くなり、納に背を向け蹲った。反対に納は平気そうな、逆に喜んでいた。怪異が去った後、漸く百合音は声を上げた。


「何、今の……」

「いやぁ、持ち主が見つかって良かったですね。百合音さん」


 納は呑気だった。

 

「因みにですが、臓器も一応落とし物の類なんで」

「臓器を落とす奴なんかいないわよ!!」

「いますよー。怪異なら」


 何かを思いつたような表情を見せ、軽やかな口調で納は続ける。


「例えば、心臓を抜き取られてても脈打ちますし、腸が体内からはみ出たり、腕を失おうと肺が消えようと死にはしません。食べられるのは例外ですが……」

「何言ってるの……?」

「ふふ、別に可笑しいことではありませんよ。人間と怪異の体の作りが違うのは当たり前です。だって怪異わたしたちは殆ど不死の体を持ってるようなものですからね」


 百合音は一度、自分の体を、自身の手を見つめる。

 血色が良く柔らかい、と言いたいが百合音の掌は全身血を吸い取ったように真っ白だった。ふっくらしてもなくシワが広がり暖かさもない。

 もう、死なない。死なない体になってしまった。もう、人間には戻れないのだ。一生。人間だった百合音は消えてしまったのだ。

 百合音が事の重大さに気づいた時には遅すぎたのだ。


「……」

「そう言や、先程何かを言いかけてませんでしたか?」

「……」

「もしかして、依頼に関する事でしょうか? ならば早く言ってくだされば今日対処出来たかもしれませんのに……」

「……」


 百合音は何も喋らない。口を閉じ、何やら思い悩んでいるような表情になっていた。そんな生ぬるい雰囲気に穏やかな声が入る。


「安心してください。怪異はこの世界で言うのこと指します。だから、亡くなった貴女もその対象に入るんですよ」


 むくりと百合音の顔が上がる。不安定な瞳が納を捕らえ、百合音は静かに言った。


「あたしも怪異なんでしょ……?」

「はい。百合音さんは正真正銘人ではありませんよ」

「なら、写真」

「はい?」

「写真を探してるの」

「写真?」

「ずっと大切にしてたんだけれどいつの間にか失くしてたの。もしかしたら、何処かに落としてきちゃったかも…」

「成る程、つまりってことですね」


 百合音はゆっくり頷いた。


「因みに、写真の内容は……?」

「それが覚えてないの。忘れちゃった」百合音は再び顔を俯かせる。


「うーん。忘れてしまうとなると難しい話ですね……」


 納は片手を喉元に押し当て考え込む。

 ふと、窓を見やると納は口を開けた。


「おや、もうそんな時間ですか……」

「そう言えばもう夕方ね」

「時間は過ぎるのが早いですねぇ」


 今回、納は探索範囲が広いということで仕事は一つのみだった。本来、運良ければ午前中で完了する筈だった。

 帰ったら恐らく、ストレスを溜め込んだ葉の捌け口相手に付き合わされるだろう。納は苦笑した。


「今日はこの辺でお暇させて頂きます。その代わり、貴女の遺失捜索を私が引き受けましょう」

「本当!?」


 百合音の表情が明るくなる。


「はい。もしよければ一緒に施設にへ行きますか?」


「大丈夫。あたし、ここに何年もいるから此処での暇潰しの仕方は慣れてるわ」


 ふふんと調子を取り戻した百合音に納はニコリと微笑んだ。


「そうですか。それじゃ、百合音さん。また明日お会いしましょう」

「えぇ。また明日ね、納」


 こうして納は学校を後にした。 


 





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