写真
1.写真
雲一つない綺麗な青い空が広がっていた。
「今日は暖かいですね〜。仕事が捗りそうです」
日の光が納が被っている帽子の鍔に差し込む。納のおでこ付近が暖かい光で撫でられるような感覚に陥った。幸い、黒いメッシュが納の目を守り眩しいと感じることはなかった。
だが、それに負けないくらいの賑やかな声が次々へと納の耳に入った。
納が振り返ると、セーラー服を着た女子学生が横三列に並んで会話を繰り返していた。
「あーあ、今日の数学の小テストだるっ」
「それな。あの先生の授業全然分からないんだよね。しかも、教え方ヘッタクソだし」
「そうだよね〜。授業形式もちゃんとしてないし。課題は無駄に多いしー」
「教師辞めてくれないかなー」
きゃはきゃはと派手な笑い声を上げながら、彼女たちは納の存在などシカトをしてすれ違っていく。
「そう言えばここ、学校でしたっけ…」
納は一度辺りを見回した。先程すれ違った三人は校舎の昇降口へと向かった。それから、次々へと同じ制服を着た人たちがこちらに向かって来る。ちらほらと学ランを着た人も見えた。
彼ら彼女らは、服装の違う納に目もくれず昇降口へと靴を鳴らした。上品な色合いの制服に異物混入したような濁った色のつなぎを身に纏う納。
彼は、ここに勤める教員でもなければ清掃員でもない。
今日納がここへ足を運んだのは、
納は、言わずもがな怪異だ。
「これは、範囲が広すぎますね」
校舎の中に入り、騒ぎ立てる生徒らの前を通り過ぎていく。回収物を入れるための空っぽの箱を持ち、納は今回の依頼情報書を取り出し確認した。
「うーん、革財布ですか。普通の財布とは少し上品なものでしょうから一目見れば分かるかもしれませんね」
持ち主こと、依頼主は狐の怪異だった。情報によれば、別の怪異と待ち合わせをするためにここの校舎を利用したらしい。
「依頼主は新校舎の三階廊下を通ったと書いてありますね。でも、新校舎ってどこでしょうか…」
キョロキョロと辺りを見回す。
窓から見える上の階では、生徒たちが歩く姿が見えた。
会話をする者たち、急いで走る人、眠そうに歩く人。誰も彼も、それぞれ見た目が違う。声も、表情も、仕草も何もかも。共通となる制服が、彼らをこの校舎の集団員と表していた。
納は視線を昇降口に戻す。
すると、後ろからコンクリートを蹴る音を耳にした。
「ねえ、そこの…」
「はい?」
納は無意識に返事をした。振り返ると、納の頭一つ分背の低い少女が立っていた。
先行く女子高生達と同じセーラー服を身につけ、肩まで伸びた焦茶の髪がまっすぐ伸びている。
気の強そうな雰囲気と端正な顔が存在を強くさせた。
はっきりとした瞳が納を捕らえた。
「私のことですか?」
「他に誰がいると思うのよ。ここで何してるの。もしかして、不審者?」
「…」
少女の質問に納は答えなかった。帽子のメッシュ越しからじっと少女を見つめた。数秒見つめられたせいか、少女は眉を顰めた。
「何よ。そんなに見ないでくれる? それと、質問に答えてよ。答えの場合によっては、あたしはあなたを通報することになるんだけれど」
「おや、それはすみません。私は仕事の依頼でここに訪れた者です」
「仕事ぉ? 一体どんなの?」
「落とし物の捜索です。お客さまからの依頼ですので」
「ふうん。今時は、落とし物を他人に任せるのが流行ってるのね」
分かったとは口に出してはないが少女は渋々と頷いた。しかし、どことなく瞳が曇っており納得がいってない表情を見せていた。
納は気にせず会話を続ける。
「すみませんが、新校舎はどこでしょうか? どうやら新校舎三階に心当たりあるようなのですが…」
「ここから反対側の昇降口が新校舎よ。良かったら案内するけど」
「本当ですか? それは助かります。ありがとうございます」
高圧的な少女の態度に、納は嬉しそうにお辞儀をした。納は空っぽの回収箱をしっかりと首に提げ少女の後をついて行った。
◇
灰色の階段を上り、漸く三階へと辿り着いた。
廊下を歩くと両側に教室がそれぞれ配置されていた。そこから出てくる生徒とすれ違う。だが、納たちには興味がないのかこちらに顔を向けることはなかった。
「新校舎ってだけでまだ新しいですね。廊下がとても綺麗です」
「まだそんなに経ってはないわ。でもあそこを見て」
少女が指さす方向を納も見つめる。二人から少し離れた距離にはプラスチックのバケツが置かれていた。そこに、一滴の雫が滴り落ちた。天井に汚れたシミが広がっていた。
「おや? 雨漏りですか」
「そうよ。昨日雨が降ったから漏れたみたい。全く、これじゃあボロくなるのも時間の問題よ」
少女ははぁと重みのあるため息を吐いた。
すると、すぐにキーンコーンと鐘の音が近くのスピーカーから響き渡った。
「学校のチャイムが鳴ったの。今、一時限目がはじまったところね」
「一時限目…と言うことは授業ってことですね。貴女もここの生徒でしょう? 戻らなくて平気なのですか?」
「別に良いわ。つまらないし、意味がないもの」
少女は納の顔を見ず、そっぽ向いた。途端に、先程までお祭り騒ぎみたいな賑やかぶりがお葬式へと変わるように静寂が生まれた。教室の扉が半開きになっている隙間から納は中を覗いた。
先程、すれ違った人達がそれぞれの席に着き、机に筆記用具やノート、教科書を取り出す。教師が黒板に板書を行い、所々を説明していた。
「皆さん黙々とやってますね」
「真面目に受ける人が多いわよ。まぁ、それだけだったら良かったのに」
「どう言うことですか?」
「そのまんまの意味よ」
「は、はぁ…」
その意味が分からず納は首を傾げた。うーんと唸るも全くそれらしい答えが思い浮かばなかった。納の鈍感さに痺れを切らした少女が「ほんっと、あなたって頭悪いのね」と小言を呟いた。
納はその言葉の意味さえ
「放課後になったら、その理由を教えてあげる。と言うより、見た方が早いわよ」
「そうですか。じゃあ、その間に仕事を済ませてきますね」
「仕事…あぁ、落とし物を探してるんだっけ? 分かったわ。じゃあ、また放課後に。あの時計が午後四時になったらここで会いましょ」
少女は廊下に掛けられている丸時計を指さす。
「貴女はその間どうするんですか?」
「秘密」
少女は悪戯っぽく笑った。納はそれ以上深掘りすることもなく、そうですかと一言添えた。
納は少女を一人置いて、廊下を彷徨き始めた。
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