2.拾い癖のある男


「何とか雨は降らずに済みましたね」

 

 安堵を見せた束の間、暗い森を潜り抜けると大きな建物が見えた。銀色の塗料で染め上げた金属製の工場。そこに刺さった筒状の煙突が秋色の炎をあげて燃えていた。

 建物を真正面には無機質な字で『常世とこよ』と目立つ様に書かれていた。この施設の名前だ。


 納は中に入りすぐそばの受付場を伺った。そこには納と同じような服装をした深緑の短髪の男性が機嫌悪そうに煙草を吸いながら新聞を読んでいた。付けているスクエア型の眼鏡レンズ越しの鋭い瞳が納の存在を受け付けさせない。


ようさん、お疲れ様です。今日の分は終わりました」

「……」


 ようと呼ばれた男は納に声をかけられるが返事をしない。目も合わせず完全に無視状態。視線をこちらに貰おうと納が顔を近づけるも微動だにしなかった。

 だがしかし、納も納で引かなかった。彼の目の前にわざと大きい音を立て箱をカウンターに置いた。


「回収物は合計で十個です。どれもこれも小物品ばかりでまだ新品の物もありますね」

「……」

「では、収納と整理の方よろしくお願いします」

「……」


 返事のない会話を納は淡々と進めていく。それでも葉はぎっしりと詰まった活字から目を離さない。

 しかし、暫くして僅かに気だるげな瞳をずらして納の回収物を見ていた。

「おっと、そうでした。これも…」納は肝臓を詰めたビニール袋を木箱に入れる。


「今日は肝臓が落ちていました」

「……お前はよく怪異の臓器を見つけるな」

 

 漸く会話に入ってくれた葉に納は「そうですかね?」と首を傾げた。


「私が居た所にたまたま怪異が近くに居ただけではないでしょうか」

「それにしては多すぎだ。怪異同士で共食いでもしてんのか? 全く、面倒事を増やしやがって…。」

「まぁ、怪異の臓器も怪異の遺失物もそのまましておくと大変なことになりますからね。悪いことはないですよ」

「……そうかよ」

 

 葉は納を一度じっと見つめたあと、回収物の点検を始めた。葉は黒い手袋を嵌め、箱の中を漁り始めた。


 ふと、葉の手がピタリと止まる。


「どうかしましたか?」

「納。お前、これは何だ?」

「あっ」


 思わず声を漏らした彼の目の前には、新聞紙だった。四つ折りにされており、その端っこを葉が汚なさそうに摘んでいた。落ちていたせいか所々が折れ曲がったり破けてもいた。


「すみません。落ちていたので気になって拾ってしまいました」


 納は申し訳なさそうに声色を上げた。


「クソ、面倒事を持ってくる奴はここにも居たのを忘れてた…」


 葉は癖っ毛の髪を掻きむしった。葉の燻んだ緑の瞳が納を捕らえた。険しそうに納を睨んだ。


「こんなのゴミだろうが。捨てるぞ」

「あぁ、駄目です。勿体無いでしょう」

「これの何処に必要性を感じるんだ。全く、お前の拾い癖はどうにかならないのか」

「うーん。難しい話ですね…。人間の落とし物って珍しい物がいっぱいですから、好奇心がどうしても勝ってしまうんです」

「そりゃあ、良かったな」

「いやぁ、それ程でも」

「褒めてねぇよ」


 葉は眉間に皺を寄せる。先程まで強い眼差しから、心底呆れたような気だるげな表情を浮かべていた。黒い手袋を嵌めた手をおでこに添えてやれやれになっていた。


 だが、こんなことは今に始まったことではなかった。

 納は重度の拾い癖を持つ男だったのだ。仕事をこなす度に必要のない物や人間が捨てたガラクタなど。納は、落ちているものがあればすぐに拾ってしまう悪癖があった。


「本当に変な趣味してるな」葉はそう言って古新聞を納に返した。さらに、葉は口を開く。


「拾い癖といい、お前の身なりといい。その小汚い帽子はなんだ」


 葉は帽子を指差して嫌そうに指摘した。納はつられて目線を上に向けると「あ」と声を漏らした。


「そう言えば肝臓とぶつかった時汚れてしまったみたいなんですよ」

「臓器とぶつかったとは言えお前は何処をふらついたんだ? 帽子は兎も角服まで汚い。職員としての身になってねぇ」


 確かに今の彼の姿はお世辞にも綺麗とは言えなかった。所々泥だらけで胸元のファスナーも中途半端に開いている。皺だらけで品が失われていた。いつもは帰ってくる時も身なりを整える納とは考えられないくらい可笑しい格好だった。

 納は何食わない顔で口を開いた。


「少し怪異に襲われましてねぇ。生憎避けられなかったのですよ」

「襲われただと? 全く軟弱者が…。まぁいい。さっさとその面整えて出直してこい」

 

 葉は「早く行け」とでも言うかの如く指を後ろに指した。納は軽く頭を下げ、施設の奥の方へと向かった。

 灰色の長い廊下を歩き続けていると少し先の扉がガチャリと開いた。そこから桃色の髪の男が出てきた。彼は納を見つけると驚いた顔をしてこちらに駆け寄る。


「まぁ、納ちゃん酷い格好じゃない!」 

「おや? はるさんでしたか。どうも」


 納が一礼すると桃色の短髪の男-はるは目を丸くさせ納の体をジロジロ見つめた。


「どうしたのよ。泥水溜りにでも入っちゃったの?」

「まぁ仕事で少々…」

「あら、それは大変だったわね〜」


 春は同情の目を納に向けた。


「アタシも今お仕事済ませて来た所なの!」


「もう大変だったわ〜」と困った顔を浮かべる春に納はお疲れ様でしたと彼を慰める。落ち着いた声色に春は上品な笑みを浮かべた。


 ここの施設の職員は場所をあちこち周るため忙しい。時には遠方出張で数日戻ってこない日もある程。非番は勿論あるが皆自室で体を休めることに最前している。その為こうして同じ役員の者と会話をするのはあまりない。

 だから、職員の中でも特に愛想が良い春と話すのは納も心身共々無意識に癒されているのだ。


 それから春に向けていた視線を廊下へと戻し偶然下を見る。すると目の前に小さな白い布切れが落ちていることに気がついた。


「おや? 床に何か…」

 

 納は布を拾うとそれはどうやら名札だった。よく見る油性ペンで誰かの名前が書かれていた。


        『磊』 


「それ、こいしちゃんのじゃない。あれほど縫い直しておいてって言ったのに…」

「あら…取れてしまったんですか」


 春は名札を見てため息をついた。この数分で何度もコロコロ表情が変わる春を見て納は密かに微笑んだ。


 こいし。彼もこの施設の職員であり、納や春とは同期の関係である。どうやら彼は少し抜けてる所があるのだろうと納は考えた。


「それでは後で彼に渡しておきますね」


 納はそう言って、名札をポケットに入れた時だった。カランと硬く軽い音がした。納の拳が角張った物触れた。違和感を感じ、それを取り出す。途端に、春が小さな悲鳴をあげた。


「きゃっ?! 何よこれ!!」

「道端で拾ったんでしたっけ。そう言や葉さんに言うの忘れてしまいました」

「いやだもぅ! 何でそんな物を拾うのよ!」

「すみません、気になってしまい…」


 軽い笑みを見せる納に春は「笑い事じゃないわよ」と困り果てていた。そして、二人の視線は角張った板へと戻す。


 横長の五角形に形どられた淡い茶色の板。木の筋が通っており、木目に沿って表面を滑らすとなんとも言えないなめらかさがあった。頂点には赤い紐で通されていた。


 表には、金箔が散りばめられた小槌が大きく表れていた。端には「開運招福」とその神社の名称などが筆文字で書かれていた。

 人々が幸福で溢れますように、とでも込めてるかのようだ。縁起がとても良く、華やかな印象を持つ。


 それだけだったら良かった。

 納は表面を裏返した。


「これって絵馬ですよね。よく神社に掛けられてるあれですよね、この表面にお願い事などを書くんでしょう?」

「でも、こんなのが飾ってあったら縁起悪いわ。こんなの飾ってあったら誰だって捨てたくなるのも分かるわよ」

「これ、人間が書いたのよね…?」

「恐らくは…」


 納が頷くと春は眉を顰めた。

 裏面には沢山の文字で溢れていた。


『私をいじめる人たちみんな呪われて死にますように。地獄にいって一生生まれ変わりませんように。ずっと苦しんで呪われてください。絶対にお前らを許さない。呪う呪う呪う呪う呪う呪う呪う呪う呪う呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪』


 赤黒い筆で書かれたような癖字。所々がインクで染み付いて滲んでいる字もあった。ぎっしりと文字が並べてあり、窮屈な文章だ。「呪」の部分が力強く表現されていた。まるで殴り書きしたみたいだ。


「いやよね」春の声が少し低くなる。

 

「アタシたちに害が無いだろうと、何だか不気味よね。縁起でもないし本当、人間って怖い事を考えるわねぇ」

「えぇ、人間は私たちの思考の遥か上を超えますからね」


 納は帽子を深く被る。春も彼の言葉にゆっくりと頷いた。凶々しい絵馬は無気力に納たちを見つめていた。だが、そんなことなど納たちには通用しなかった。


「私たちは怪異ですからね。無関係なことです。ただ、私たちは怪異の落とし物を回収すること、それだけです」


 そう言って納は絵馬をポケットに仕舞い込んだ。


 ここは、遺失物センター「常世とこよ」。

 主に怪異の落とし物を取り扱う施設である。客から依頼を受け、遺失物を探索、回収、管理し、無事に依頼主の元へ返還するのが仕事である。

 

 これは施設随一の拾い癖のある男-おさむの話だ。

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