1.拾い癖のある男
ベチャッ
「あだっ」
突然、空から得体の知れない物が
一体何が頭に当たったのだろうか。納は上を向いた。辺りが雲一面の不安定な空だ。
そう言えば、今日の午後は天気が悪くなるとラジオで流れていた気がする。腕時計を見ると正午をまわっていた。午前の仕事を早く終わらせようとしていたが気がつけばもうそんな時間になっていたようだ。
「少し長引いてしまったようですねぇ…やれやれ」
納は薄い溜息を吐き肩を落とす。そして、先程の衝撃で被っていた帽子を直そうと手を頭に伸ばした。
ヌチャ ヌチャ
「?」
水の弾むような音が聞こえた。それと同時に伸ばした手に滑り感を覚えた。不審に思い手を納は顔の方へと近づける。指には透明液体が纏わりついていた。水っぽくなく少し粘り気があった。指を動かすと糸を引いた。
(……何故?)
納はふと見回した。
今いる位置から僅かに離れた地点で赤いものが見えた。そちらへ歩み寄り拾い上げるとまたヌチャヌチャと水浸しの音が聞こえた。恐らく帽子についた液体もこれのせいだ。それを持ち上げると思ったよりもずっしりとした重みがあった。
納は両手で固体物を掴み目元に近づける。
「随分と大きい…」
帽子の黒いメッシュ越しから目を細めて見つめる。
全体的に赤だが少し茶色と黒も少量含まれて濁った色をしていた。形も丸や三角など決まった形状ではなく所々凹んでいて歪。液体まみれなせいで地面に余分な液体が垂れ落ちる。おまけに全体が滑らかで滑りやすく気を抜くと落としてしまいそうだ。
「肝臓…でしょうか」
目を凝視させながら捻りに捻り出した答え、それを更に顔に近づける。見れば見るほど謎が溢れ出てくる。こんな異物がどうして空から来るのだろうか。
「肝臓が降ってくるだなんて珍しいこともあるんですねぇ。肺や骨が結構降ってくるのが多いのですけど。やれやれ、ここ最近は臓器の落とし物が増えるばかりですね」
独り言を吐き出しながら納はつなぎのポケットからビニール袋を取り出し濡れた肝臓を入れる。それから密封された肝臓を紐で首に掛けている木製の箱に肝臓を入れた。
「このまま長居してもいけませんし帰りましょうか」
箱に重みがより増して肩に負担がかかるのをにもかかわらず、納は悠然とした顔をして来た道を歩き出した。
◇
よいしょと荷物を持ち直し納は再び空を見上げる。薄黒い雲が先程よりも広がっており納が今歩く森を覆い尽くしていた。無法地帯の森なため当然街灯も見当たらなく昼なのに夜の森を歩いているみたいだ。寒い風も吹き始めて指先が冷たく悴み始めた。
(さっきよりも天気が悪くなってますね。降られないよう急ぎましょうか)
深緑の草原を踏みながらそんな事を考えた。そしてぼんやりした意識のまま森の中を歩き続けた。
温度も大分下がり納の息が上がり始めた頃、突然目の前の茂みから何かが納に襲いかかった。一瞬困惑したが首に提げてる箱を瞬時に外し視界の端に投げた。
「!!」
「おォ、これはまた若ェ人間がやってきたなァ」
押し倒され地面に倒れ込む納をそいつは怪しげに笑う。仰向けで何者かのせいで身動きが取れなくなってしまった。それでも納は冷や汗を垂らすことなくただ目の前の影姿にぼんやりとしていた。薄暗くあまり見えない中、顔であろう部分に柘榴石の眼光が納を捕らえた。そしてニタニタと笑う口元、薄っすらと牙が見え隠れした。
「…吸血鬼」
「そうさ。理解が早くて助かるぜェ」
納がそう呟くとその言葉を汲み取り吸血鬼の男が危ない笑みをまた浮かべる。そんな彼の様子に納は理解が飲み込めず首を傾げた。吸血鬼は小馬鹿にしたような口調で顔を近づけた。
「言っとくが、今日でテメェの命は終わりなんだよ。この森に入ったことが運の尽きだったなァ目隠し野郎」
「……」
「怖気付いて声も出なくなったかァ? そりゃあそうさ、人間は本当の恐怖を味わうと声が出なくなるからなァ! アハハハハハハハ! なんて無様で弱いんだ!!」
「……」
吸血鬼がどんなに甲高い声で笑おうとも馬鹿にされようとも納はただ黙って彼を見つめていた。物珍しそうに、不思議そうに。その様子を見た吸血鬼は更に目を細めた。怖気付いてると思っているのだろう。そして納の丈夫な肩をギュッと掴み顔を首筋に近づけた。
「じゃあ早速いただきまー………あ?」
突然吸血鬼が動きを止めた。別に何か刺激されるのではなく、痛みも擽ったいとも感じなかった。何も起きないので納は不審に思っていると、吸血鬼が嫌そうな顔をして舌打ちを鳴らした。
「ってなんだテメェ人間じゃねぇのか。オレと同じ怪異かよ」
途端、納への興味を無くし吸血鬼は勢いよく納を突き放した。立ち上がり何やら不満げな様子の吸血鬼に上半身だけ起き上がった納は困り声になった。
「すみません。期待にお応え出来なくて…」
ゆっくりと立ち上がり納は謝罪をし軽く帽子の鍔を持って頭を少し傾ける。そして頭を上げると吸血鬼は眉間に皺を寄せていた。
「悪いけど怪異にはキョーミないんだわ。食い殺したところで不味いからな」
「確かにそうですね。怪異の殆どは人間が主食ですから」
服についた土を払い納は辺りを見回した。そして、直ぐ近くに先程投げ捨てた木箱を拾い上げる。普通の木箱より頑丈に作られてるため目立った傷はない。中身も無事で沢山の小物、最後に拾った肝臓も損傷はなかった。納は袋の中に入った肝臓を取り出し吸血鬼に見せた。
「近くで肝臓を拾ったのですけど貴方の物ではありませんか?」
「んなの落とす訳あるか。人間が落としたんじャねェのか?」
「いえ、そうだとしたらまずその人間は死んでます」
この肝臓臓器は確実に人間のものではない。納は分かりきっていた。
「これは怪異のものですね」
「あーそうかよ。それよりもオレは今腹が減ってるんだ。テメェ人の屍とか持ってねぇの? 生きてたままの方が上手いが怪異よりはまだ絶品だぜ」
吸血鬼は偉そうな態度で納を見つめる。
なんて唐突な事を言い出すのだろう。人間の生き血、そんな生々しいものを持ってるはずがない。何者か分からない肝臓ならここにあるが。
納は眉を下げた。
「生憎、持ってないんですよ」
納は変わらずにこにこ微笑んだ。しかし、それが気に食わなかったのか吸血鬼の彼は嫌そうな顔を見せた。
「てかソレどうするんだよ」
「施設に届けますよ。あまりここら辺に野放しにすると良くないですから。それによく言うではありませんか、怪異の落とし物はいわく付きだって」
納が持つ段ボール箱の中には数々の怪異が落としたであろう物と納の片手に持つ臓器。納は肝臓をジロジロ見つめて吸血鬼の方向を見つめ「ね?」と口元を緩ませる。目元は帽子のメッシュで隠れているため何を考えてのか分からなかった。吸血鬼はその姿を見て大人しくなった。
「…そうかよォ」
「ふふふ。おっと長話してる場合ではありませんでした! 私はこれで失礼させていただきます。それでは」
納は吸血鬼にお辞儀をした後、沢山の物が詰まった段ボール箱を何食わない顔で抱え込みその場を去った。
◆
「ったく何なんだあいつ。最初から最後までヘラヘラ笑いやがって…気持ち悪りィ」
吸血鬼は少しの先で歩く納を見て嫌悪感に満ちていた。人間の気配を感じたと思ったら同じ怪異だったのだ。不思議でとても良い気分ではない。吸血鬼は背中を向け遠ざかる姿を睨みつけ鋭い舌打ちをした。
「あ……」
反対側を歩こうとした時、ふと吸血鬼はとある事を思い出した。
「怪異の落とし物を預かってるセンターがあるって聞いたことあんだよなァ。なぁテメェってよォ…」
そう言って後ろを振り返った時にはもう、納の姿は何処にも見当たらなかった。
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