第2話:コカ地方の炎から逃げる

「あははははっ! なに湿気しけつらしてんのよ。アンタも飲みなさいよ」


 すっかり出来上がった酔っ払いに絡まれながら、弘は歓迎の宴の席に座っていた。

 机の上には目にしたことのない御馳走の数々。更には、大きな焚き火を中心に軽快な音楽を中心に踊る村民。誰も彼もが笑顔に溢れていた。


「お前飲み過ぎだぞ」

「良いじゃない、べっつにぃ。こんなこと年に一度もないんだからさ!」


 言葉と共に弘の顔に細かな唾をぶつけてくるアール。素の顔が悪くないだけに、目がすわると途端に残念さに溢れていた。


 そりゃそうなんだけど。


 この村はとにかく若いの一言に尽きる。年寄りがおらず、森に対する思い入れがある者はいなかった。おかげで森を燃やすことに協力的で、仕事が終わった今でも打ち上げの宴に呼ばれている。ただ弘達と同卓した連中はしこたま酒を飲んだ後、全員踊りに行ってしまったが。


「そりゃそうだけど。限度ってもんが」

「あーあー聞こえなーい」


 ダメだ、完全に酔っぱらってやがる。


「ちょっとおしっこ」


 千鳥足で茂みへと歩いていく少女を横目に盃の中身を口に入れる。喉の奥が燃えるように熱くなったが、果実の風味が嫌な感覚を中和するおかげで不思議と悪い気はしなかった。


 不味くはないが美味しいと言われるとまた違うな。


 弘は大声を上げて騒ぐエルフ達を見物しながらそう思った。

 聞いたところによると、円の中心は炎だが彼等の近くには御神体と崇める像が鎮座しているようだ。そしてこの村は、森の代わりにその像を信仰しているらしい。

 結局のところ人であれエルフであれ、何かにすがらなければ生きるのが難しいのだろう。


「はいどーん!!」

「あぁ!?」


 突然背後から杯に異物を入れられる。


「てめぇアール何しやがる!」

「アンタが辛気臭い顔してるからよ。幸せのお裾分けってやつ?」

「これがどうやったらそうなる──」


 激昂して杯を持ち上げた時、中に入れられた異物に目がいき思わず体が固まった。丁寧に彫られた木の像は、紛れもなくエルフ達が話していた御神体にそっくりだったからだ。


 全身から血の気が引き、僅かに感じていた酔いも瞬時に消え失せた。


「おま、おま、おま……」

「なになになに? 少しは楽しくなってきた?」


 にやけるハーフエルフの長い耳にゆっくりと口を近付ける。


「おまえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

「うわぁ、急に大声出してなに!?」


 驚嘆して背筋が伸びたアールの胸ぐらを掴む。


「死ね! 死んで詫びろぉ!」

「えー意味分かんなーい」


 この酔っ払いがあっ!


 馬鹿から手を離し、エルフ達に気付かれないように御神体をコップから救出する。


 大丈夫大丈夫、まだ大丈夫。

 果実酒の色が着いてるけど、これなら水で洗い流せばなんとかなる。


「エレメンタルウォーターブラスト!」


 普段より百倍気合いを込めて魔法を放つ。

 この魔法も通常であれば僅かばかりの水滴が落ちる程度だ。しかし、何時も以上に気合を込めているだけあって蛇口を捻った時のように勢いよく水が流れた。


 いけるぞこれなら!


 弘の指先から出た水流が徐々に御神体にこびりついた汚れを洗い流していく。

 赤い果実酒の色味が失せ、綺麗な茶色が存在を主張し始めてきた。が、


「はいどーん!」

「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 木像の頭が何者かの急襲に遭い思い切り凹んだ。

 エルフのトレンドマークでもある耳も砕け飛び、頭が見事におし潰れている。最早エルフというよりも一つ目の化け物であるサイクロプスに近かった。


「あ、あぁ!? 何でそんなことするのぉ!」


 自然とあまりにも情けない声が漏れる。


「だってこの像、むかつく顔してたからつい」

「命が、いのぢが掛かってるんですよっ!!」

「ちょっとヒロシ飲みすぎじゃない? 怖い」

「お前にだけは言われたくねーよ!!」


 まずいまずいまずい。

 このままいけば明日には二人の死体が出来上がっちまう。主犯のこいつは仕方無いにしろ、俺だけでも助かる道を模索しなければ。


「どうかされましたか?」


 死角からの言葉で喉から心臓が飛び出そうなほどに背筋がピンとなる。弘の反応に声を掛けてきたエルフも驚いたのか戸惑っていた。


「あ、えっと、いえ。ちょっとこいつが酒をこぼしてしまって」


 言い訳をしつつ咄嗟に御神体をアールの服の中に隠す。


「そ、そうでしたか。代わりのものを持って来ましょうか?」

「いえ、かなり酔っているようなので水を飲ませておきます。お気遣いなく」

「ちょ、今アンタ何か隠し――ひぐっ!?」


 アホなことを喋ろうとした馬鹿の背中に思い切り御神体をぶつける。

「ごりっ」と、骨が鈍い音を奏でたが気にしないことにする。


「あははは、本当飲み過ぎですねこいつ。ほら水飲め」

「ごふっ、おふ、おっふぇ!?」


 水が入ったカップを強引にアールの口に押し当てた結果、彼女は溺れているかのように派手に喉を鳴らした。


「大丈夫そうなら私は戻りますね。何かあればすぐに言ってください」

「はい、お気遣いありがとうございます」


 苦笑しながら輪の中に戻っていくエルフの青年。近くに村民が居なくなったことで緊張の糸が解け、ぺたんと膝が地面に着いた。


「あー、助かった」

「助かってないっ! いきなり何! 痛いし苦しいしで死ぬとこだったんだけど!!」

が死ぬとこだったんだよ、この馬鹿エルフ!!」

「はああぁぁぁぁ!! あったまにきた!!」


 激昂した彼女が弘から御神体を奪い取り、後ろに離れる。酩酊状態が更に酷くなっているのか、上半身がぐらぐらと揺れていた。


「落ち着け、待て。俺が悪かった。だからそれを俺に渡せ」

「むぅ、アタシのこと大事にしてくれる?」

「大事にする大事にする。だから早く渡して」

「信じらんない」


 不貞腐れたようにきっぱりと告げるアール。


 めんどくせぇ奴だな、こいつ!


「やっぱりこんなものがあるからいけないんだよ」

「おい何考えてるよせ。止めろ」


 焦る弘とは裏腹にアールは肘から上を綺麗な弧を描くように動作を始めた。


「こんなものなんかああああああっっっっ!!」

「馬鹿、馬鹿!! おバカああああああああああああああああっっっっ!!」


 弘が止めるよりも早く放られる木像。スナップを利かせて飛んだそれは見事に焚火の中へとダイブしていった。

 たった数秒世界が停止したような感覚を味わった後、弘はアールを抱えてその場を後にしていた。何故相棒を置いていかなかったのは自分でも分からなかったが、何が起きたか分からず狼狽えるエルフを余所に逃げたのは正解だった。


 次の日、弘達に懸賞金を懸けるほど怒り狂ったエルフの姿を見なくて済んだのだから。

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