第3話:キリ地方を赤く染める

「出せ! ここから出せっ!」


 牢屋の格子を握りながら、弘は何度と無く叫ぶ。しかし、喉が擦りきれるほど懇願したところで番人が来るはなかった。


「くそっ!」


 怒りに任せて檻を蹴り飛ばす。が、やたら頑丈な格子が鈍い音を立てただけだった。


「うるさいなぁ。少しは静かにしてよ」


 寝っ転がっていたアールがぼやく。

 あまりに無気力な姿勢に更に怒りが込み上げてきた。


「このままだと二人揃って処刑されんだぞ! これが静かにしてられるかよ!」


 弘の怒声が空間を支配する。


 二人がエルフに捕まったのは深夜のことだった。何時ものように偵察をしようとしたところ屈強なエルフの待ち伏せに遭い捕まったのだ。どうやら二人がこの地方を訪れることがバレていたらしい。


「アンタの怒鳴り声が傷に響くのよ」

「……わりぃ」


 彼女の一言で我を取り戻した弘はアールの横へと移動し腰を下ろした。

 捕まる時に殴られた回数はアールの方が遥かに多かったのを思い出したのだ。同じく暴行を受けた弘が引く程に。


「でもどうする?」

「今考えてる。アタシも死にたくないし」

「そうだな。俺もだ」


 だが薄暗い室内の何処を見ても脱出出来そうな場所も物もない。唯一の出入り口は格子に阻まれ、その他三方は木の壁で囲まれていた。


 せめて窓さえあればなぁ。


「ヒロシはさ」

「ん?」

「何で元の世界に帰りたいの?」

「どうしたんだよ急に。まさか本当は死ぬ気なのか」

「こんな時だからこそ聞きたいのよ。話したくないなら良いけど」


 牢屋に入れられて初めてアールがこちらを向いた。腫れのせいで端正で綺麗な顔立ちが消え失せ、観るも無惨な姿だった。


「急に異世界に召喚されて、こんなゴミみたいな仕事押し付けられたら帰りたくない奴なんていないだろ」

「それもそうね。本当クソ」

「だろ? あとはまあ、家族に会いたいとか元の日常に戻りたいとか色々あるけど」

「けど?」

「文化祭――祭りで告白してきた女子に返事したいかな」


 一瞬時が止まったような静寂が訪れた。

 しかし、そんな静けさは相棒によって瞬く間に崩れ去ることになる。


「アハハハハ、ちょっと急に初心なこと言わないでよ。アタシの中のヒロシのイメージが崩れちゃう」

「お前の中の俺はどういう存在なんだよ!」

「馬鹿でアホでドジ?」

「そんなにはっ倒されたいか?」

「ごめんごめん、悪かったって」


 アールが両手を胸の位置まで持っていき降参の意を示してくる。


「ったく。じゃあこの際だから、俺からも一つ聞いていいか?」

「なに?」

「ハーフエルフって何でそんな嫌われてんだ?」


 また一瞬、時が止まったかのように沈黙が訪れる。

 今度は妙に空気が重かった。


「さあ。アタシも分からないよ。昔何かあったんじゃない」


 格子の方を見ながらアールが言う。淡々と喋っているように見えて、言葉に熱が乗っているのをヒロシは聞き逃さなかった。


「神聖なエルフの血に混ざりものがあっちゃならないんだって。頭の固い純血どもはこぞってそんなこと言ってる」


 前時代的な考え方だ。

 しかし、弘の世界にも過去そのような人間や争いがあったことを踏まえると、一概に「頭が固い」の一言で済ませて良いものではないのかもしれない。


「別にそういう考えは勝手だし、ハーフを迫害するのもクソだけどまあ良いよ。でもあっちが殺しに来るなら、こっちもそれなりの覚悟があるよね」

「だからこんな仕事してるのか?」

「成り行きだけどね。運が良かったのか悪かったのか」

「そうか……」


 それ以上は何も言えなかった。

 アールの目には強い意志が込められていて、弘が何を言おうと慰めにもならないと気付いたから。


「お喋りは終わり。こんな汚いところからはさっさと退散しましょう」


 急にアールが立ち上がりながら言う。


「何か策でもあんのか」

「なきゃ言わない」


 アールは言うなり口の中から何か袋のような物を手に吐き出した。口の中を切った血によるせいか、袋が僅かに赤く染まっていた。


「それは?」

「特性油よ。見つかった時に咄嗟に口の中に放り入れたの」

「良く見つかんなかったな。あんな殴られてたのに」

「昔から殴られ慣れてるからね」

「自慢げに言うことじゃねーよ、それ」


 豊満な胸を張りながら述べるアールに突っ込む弘。


「あとはこれと魔法で穴を開けるだけなんだけど」

「何か不安要素でも?」

「開ける場所がちょっとね。ほらっ、穴を開けた先に見張りがいても困るでしょう」


 そうか。こいつ殴られ過ぎて目が腫れてるせいで、連行されてる時に周りが見えなかったんだな。


「それならこっち側が森側だ。村の中心とは反対の向きだから誰もいないはず」


 格子とは反対側の方を指差す。


「やるじゃん」

「死にたくないからな。何だってやるさ」

「そっか」


 ふらふらとした足取りで壁の方に歩いていくアール。そんな相棒の姿を見るなり弘は立ち上がると、彼女から袋を奪い取った。


「ん?」

「これぐらい相方に任せろよ」

「仕方無いなー」


 少女の照れ隠しを無視して袋を破り、油を壁に垂れ流す。


「ん、頼んだ」

「任された」


 弘が壁に描いた円に向かって少女が呪文を詠唱していく。何を言っているかは弘には理解出来なかったがこれから起こる事象は予想出来ていた。


「スクロールロック」


 宙に透明な板が出現したと思うと、油の周りを囲むように立方体が組み上がった。壁という物理法則を無視した小さな結界。この箱の中では常識は一切通じない。


「エレメンタルファイアブラスト」


 箱の中に手を入れ火花を出す。すると、あっという間に木製の壁に火が着いた。

 驚くことに煙や炎は箱の中に留まっている。しかし、空気までも閉じ込めていないのか火の勢いが落ちることはない。何度見ても不思議な魔法である。

 そうして目的の箇所が炭になるのにそう時間は掛からなかった。


 アールが結界を解いた直後、炭化した木を蹴り飛ばす。同時に凝縮された凄まじい量の煙が撒き上がってきたが、木の壁は簡単に吹き飛び目的の穴がぽっかりと開いた。


「行くぞ」

「うん」


 先行して牢屋から出る。そして、すぐさま周囲を確認。不幸中の幸いかエルフの姿は無かった。


 続いて出てきたアールの手を握って森の中に飛び込む。まだ日が昇ってないことも考えれば再び捕まる可能性は低いだろう。


「こんな村、絶対燃やしてやる」

「ああ、そうだな」


 ポツリと相方のハーフエルフが呟いたことに反応する弘。アールよりも被害は少ないとはいえ、弘も充分殴られている。気持ちの量に差はあれど、方向性は一緒だった。


 そうして弘達がエルフの村から脱出して一週間後。彼等が捕まっていた村と森は見事に焼け野原になった。

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