従者、果ての世界に

【エリア5-3:クオルト氷壁】



「超えたね、果て」

「そうだな。俺様もクロちゃんも、この先には進めなかった」


 男の名前を出されて微妙にムッとする真由美。だが、そんな光景も今や微笑ましいものだった。

 ここはクオルト氷壁の反対側。即ちは、聖域の完全崩壊を示していた。


「……勝った、わね」

「勝ったな。正直、俺も勝てるかどうか自信がなかった」


 秘密な、とあやかが口元に人差し指を立てる。隠すようなことでは全く無かった。真由美は小さく微笑む。


「その方が、私はいいわ。高月さんと並んで、同じ想いを共有できたのなら……」


 それ以上はない。

 まさに感無量だ。


「…………ふぅうん、そう」


 いつもは見ない反応だ。珍しい光景に、真由美がキョトンとしている。首を傾げる余力すら残っていなかったが。


「前から思ってたんだけどさ」


 あやかは立ち上がることなく手足を伸ばした。魔法でいくらでも肉体は再生できるが、使い果たした気力と充足感が彼女を立ち上がらせなかった。


「どうして、俺のこと、そんなに好きの?」

「」


 何かを言おうとして、空気だけが溢れた。口をぱくぱくさせたまま真っ赤になる真由美の顔を、あやかはじっと眺めている。


(見てる――すっごい見てる! 見られてる!?)

「俺様のことが好きなのは当然として」


 切り出し方がだいぶアレなあやかに、真由美はコクリと頷いた。まだ肩書きだけは普通の人間だった頃、クラスの人気者だった天才女子中学生の感覚で言っているようだった。


「普通、こんなとこまで俺に付いてくるか? どうしてここまで一緒にいたいと思えるんだよ」


 人として高月あやかと出会い、ここまで連れ添ったのは、真由美だけだった。思いやり故に、手ひどく突き放したこともあった。ネガと化していた頃には本気で敵対してきた。

 そして、『救済』の光を浴びた後も。


「……好きに、理由なんてないでしょ」


 必死に目を逸らしながら、いっぱいっぱいの真由美は呟いた。絡めた指が、続きを急かす。


「貴女の姿が、そのまま私の夢の形になった。だから追った。追い縋った。何も不思議じゃないでしょっ」


 妙に早口だ。まるで心臓の鼓動に呼応しているように。


「そっか」


 繋いだ手を引き寄せて、あやかは言った。すっぽりと抱きかかえるように両腕を回す。もう、真由美は何も言えない。


「俺も、好きだぜ、真由美」


 耳元で囁かれる。真由美は何も言えずに手に力を入れた。対称的に、あやかは彼女にしては珍しく力が入っていなかった。


「……少し、寝る」


 ここは敵陣の真っ只中だったが、お構いなしだった。大天使も、天使兵も、聖域自体も消し飛ばした大金星だ。もはや何を警戒することがあるかといったところか。


「なあ、真由美」


 こくりと胸の中で頷いた真由美に、あやかは囁いた。


「起きたら、一緒に北に言ってみようぜ。クオルト氷壁は前人未到だって言うし、聖域が展開されてからはそれこそ誰も立ち寄れなかっただろ。行ってみたいなぁ……新天地」


 この世界に果てはあるのか。そんなことを考えていた。夢のような話で、夢心地。静かに目蓋を落とすあやかを見て、真由美はゆったりと微笑んでいた。


「世界の果て、ね。私にとっては、今、この場所なんだけどなぁ……」


 本当に眠っているあやかを強く抱き締める。


「貴女はいつも先を見つめている。着いていくのに、必死なのよ」


 彼女の身の上は聞いている。敢えて大袈裟な表現をするのであれば、あやかも、真由美も、苦難を課された運命を負っていた。

 愛されること。愛すること。想いの究極に飢えていた者同士。惹かれ合うのは運命とでもうそぶきたい。


「ね。私は、今、とっても幸せよ」


 嘘偽りのない『本物』を口にして、真由美も意識を微睡まどろみに沈めた。

 遠く。儚く。故に尊く――――





「あらま、仲良し!」


 るんるんステップで戻ってきた遥加が両手で口元を押さえて笑った。誰もが死力を振り絞った攻防戦で、大将たる遥加はほぼほぼ軽傷の範囲内だった。


「二人とも、本当によく頑張ったね……」


 穏やかな寝息を立てる二人。抱き締め合い、指を絡める二人がどれほど過酷な死線を制したのか。遥加は天上にて見届けていた。


「さて、どうするかな」


 聖域の効力が消えた今、預言者スミトの通信機器も使えるようになっているだろう。だが、目前の光景を邪魔したくないという想いが連絡を渋らせる。


「もうちょっと、見ていようかな。ここが本当に安全かどうか分からないし」


 誰も聞いていない建前の言葉だったが、事実ではある。天使兵の脅威はほとんどないと考えても、未知の原生生物が生息している可能性は否定しきれない。

 ただでさえこの世界では、竜種に限らず、色々ととんでもない生物が蔓延っていた。この世界に来たばかりに遭遇した〝同一〟の概念体やグランドモールモールを思い返す。


「うーーーん! 私たち本当によく無事だったなぁ」

「全くです」

「うわぉおびっくりしたぁ!!?」


 背後からの声に遥加は飛び上がった。初めて聞く声ではなかった。淡い水色の長髪に黒縁眼鏡。そんな高性能アンドロイドは、ある意味ではこの作戦のキーウーマンだった。


「サイブレックスさん! どうしてここに……?」

「天使兵の殲滅は完遂しました。今やマスターの情報網を遮るものはありません。拠点に戻る足が必要と判断して、単身赴きました」

「へえ、そこはバッドデイさんじゃないんだ……」

「はい。私が行こうとしたら出しゃばってきたので、縛り付けています」


 遥加、苦笑。


「ええ、そこはいい格好させてあげなよぅ……」

「非! 効率的です」


 果たして彼女の中で何があったのだろうか。バッドデイはあまり好かれてはいないようだ。


「しかし。マギア・ヒーローとマギア・メルヒェン。彼女たちは本当に成し遂げたのですね」

「うん。凄いよ、ほんと」


 『機神』サイブレックスのスペック計算からして、聖域の効力抜きで権天使アーリアルを自身が打倒する目算は四割弱だった。高性能アンドロイドであるが故に、勝ち目の薄い戦いに臨む意味を見出せない。


「女神アリス。貴女も役割を立派に果たして見せました。素直に尊敬します」

「いやぁ、照れるなあ…………でも、私は大したことはやってないよ」


 本当に、と低い声で付け足した。

 その姿に何かを感じ取ったか。サイブレックスはくるりと一回りしてポーズを取る。


「私に掴まってください。高性能に凱旋しましょう」

「すごいこと言うね」


 心の底からそう思う。


「でも、そんなに急ぐこともないよ」


 遥加は笑ってそう言った。何なら、ここで一晩明かしても良い気でいた。前人未到の聖域跡でキャンプファイヤーをするのもオツなものだろう。


「いいえ。一刻も早くの帰着が望ましいです。何故ならば「ああーーいいよいいよ! 分かってます分かってます冗談だってばぁ!」


 大声を上げる遥加に対して怪訝に眉を寄せ、サイブレックスは横たわる二人をまとめて肩に担いだ。しばしの沈黙。謎の間に言葉を失う遥加に、サイブレックスは躊躇いがちに口を開いた。


「……少し、聞かせてはいただけませんか?」


 伸ばす手に、遥加は掴まらない。


「彼女たちの想いを。その物語を」

「もちろん! ただし――――長いお話になるよ」


 その意図は、サイブレックスの陽電子頭脳AIが容易く読み取った。


「歩こっか。のんびり行こうよ、私たちのペースで」


 そうして、女神とアンドロイドは歩き始めた。眠っている間に前人未到の新天地から引き離される二人は、巡り合わせの運命に囁かれていることだろう。

 世界の果てにはまだ早い、と。

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