女神、語らう

「マルシャンさん、マルシャンスさん」

「なぁに?」

「ずばり聞くけど、どうして私についてきたの?」


 スミトはマノアエルの脳内から吸い上げられる電気信号を解読するのに集中している。ハンズアップは壁に寄りかかって居眠りしていた。

 気を使われているのは、何となく理解していた。遥加はさりげなくマルシャンスを部屋の端に引っ張る。


「言わなかったっけ? 貴女についていきたいから、こっちに来たのよ」

「もぅ」


 目を逸らして、遥加はマルシャンスの脇を叩いた。本当は顔をグーでいきたかったが、長身の貴公子に届かないのは明らかだった。


「貴方の、悲哀。抱えた想いはどうするの?」


 『悲哀』のマルシャンス。彼は己の過去を語ろうとはしなかった。聞けば教えてくれそうな様子はあったが、誰も聞かなかった。秘めたるものの重みを感じていたのだ。


「そう、ね。アタシは自らの『悲哀』を癒やすために戦っていた」


 自分のため、というニュアンスは無かった。彼は自らの生にはとにかく消極的だった。


「やめたの?」

「ええ、やめた」


 あっけらかんとマルシャンスは言い放った。もう少しはぐらかされると思った遥加は梯子を外される。


「この身に、この心に刻まれた『悲哀』を――アタシは抱え続けることにしたの」


 それが自分だと。言い切るその姿に迷いはない。彼を変えたのは、もちろん。


「悲しみも、想いよ。大事にしたいと思えたのは貴女のおかげ。アタシの女神様」


 仮面を外して、マルシャンスはにっこりと遥加に笑いかけた。人の想いを守るために人であることを捨てた女神。そんなアリスの本懐ではあったわけだ。


「そっか。なら、うん、いいんだ。マルシャンスさんが、そうしたいって心から想って、いるんだったら」

「ふふ、珍しく照れてるわね。貴女はそっちの方が可愛らしいわよ」

「からかわないで!」


 顔を覆って、遥加はそっぽを向いた。狸寝入りのハンズアップのにたにた笑いが目に入ったのでついでに蹴り飛ばす。


「でも、貴女はいいの? 神格としては上の相手に歯向かうわけでしょう?」


 立場としては、『悪竜王』に反旗を翻そうとしたマルシャンスに似ているだろう。無謀な戦いになることは、マノアエルとの激戦から容易に予想できる。


「いいよ。私は戦うことに恐怖しない」

「まあ……そうね。むしろ楽しそうだもの」

「バレた? 引かないでね。結構ワクワクしてるんだ」


 女神としての使命感よりも、遥加個人の未知への憧れが大きい。彼女にとっては、自分の身体が動くこと自体が奇跡なのだ。出来ることがあるのであれば、それだけで楽しめる。


「だから、みんなを巻き込むのは少し心苦しいんだ」

「少し、ね」

「好きで来たんでしょう? だったら止めないよ」


 その確認は取った。皆が、各々の覚悟で最前線に赴く。


「正直、私達は一度死んでいるようなものだからやられちゃっても気にしないしね。マルシャンスさんは死ぬのが怖くないの?」


 その結末は、いとも簡単に訪れるだろう。


「そうねぇ……そういえば、そんな恐怖はとっくに失くしちゃったわ。ほかも似たり寄ったりでしょう。命よりも、自分の価値観が大事なのよ」

「こわーいねー」


 すっかりいつも通りに笑う遥加に、マルシャンスは頭を撫でた。若干紅潮する頬に、付け直した仮面の下の表情が。


「うん。これで心配事はなくなったかしら?」

「うん。よろしくね」


 二人は指を絡ませて、情報の解析を待つ。





 その晩。

 シンイチロウとクロキンスキーは、マグカップ片手になんとも言えない表情で向き合っていた。淹れたてのコーヒーの味は、激しく微妙だ。決して美味しくないが、不味いと言えるほどでもない。


(クロキンスキーさんがせっかく善意で淹れてくれたんだ。何か褒めないと……)

(いかん、手を滑らせて配分を崩してしまった。何とも言えない味になってしまったがどうしようか……)


 二人して、何となく空を見上げる。星がところどころで瞬き始めていた。

 要領の良い彼らは既に準備万端のよそよいだった。号令があればいつでもフルスペックで動ける状態だ。だから、のんびり茶をしばく余裕もあった。二人の共通した話題としては、あの化け物少女しか無いだろう。

 だが、悲しいかな、不幸な事故で気まずい沈黙しかない。


「ん、あれは…………?」


 何か気付いたのは警戒心の強いシンイチロウが先立ったが、クロキンスキーの登山家としての視力がその正体を先に看破する。


「おおう、帰ってきよったか」


 古火竜レダ。二人の前に降り立った彼女は、スムースに人の身へと姿を変える。


「人化も慣れたものだね、レダ」

「ええ。師匠に少し特訓してもらったわ」

「前に言っておった『原初の火種』か。会いに行っていたか。随分と心酔しているようだな」

「そうね、師匠は凄いわ」


 臆面もなく、彼女は言い切った。面識のないクロキンスキーと違って、ある程度の立場にあったシンイチロウはその存在を知っていた。有望株とは呼べるものの、古火竜レダをここまで心酔させるほどではなかったはずだ。


(だとすれば、大きく成長したわけか。恐ろしいな、成長期ってやつは……)


 学生服の自分を棚上げして、シンイチロウはしみじみと顎を撫でる。


「二人だけか。私を下したあの子は戻ったのか?」

「戻っとるよ」

「奥で休んでるけど呼んで来るかい?」

「いや、いないのであればその方が良い」


 妙に引っ掛かる物言いだ。自分を下した相手を忌避するほど小物ではない。考えられるとすれば。


「二人に聞きたい。あの子のこと、どう思う?」


 本人に聞かれたくないことを、聞く。まさにその通りだった。クロキンスキーが口を噤んだのを見て、シンイチロウは口を開いた。


「強い。その強さは、才能だ」


 才能。

 持って生まれたギフテッド。


「それで収まる器かしら?」

「収まらない器だから、そう言うしか無いのさ」


 シンイチロウはニヒルに笑った。彼自身も多くの世界を渡っている身だ。チートと称される異人の存在を、たくさん見てきた。


「才能は、文字通り持って生まれたもの。持たざるものが追いかけるなんて馬鹿らしい。だから、あの子は思考の範疇から外すべきだ」


 あんまりな物言いに、しかしクロキンスキーは異を唱えなかった。思うところがあったのだろう。


(師匠と、どちらが凄いのでしょうね……)


 一目見ただけで屈服してしまった。それほどの『原初の火種』をものにしつつある少女。彼女のその在り方に、レダは心からの敬意を以て従っている。

 一方、自分を下したあの少女はどうだ。あの時点では、魔法という力を失っていたと聞く。その圧倒的な力は、先の大天使との激闘で見せつけられた。まともにぶつかっては決して勝てないだろう。


「違う。そうじゃない」


 呟くレダに、シンイチロウは何も言わなかった。


「私はあの子に敗れた。お前の力もあったが、あの子の底力が古火竜を下したの」


 シンイチロウは否定しない。


「私のほうが強かったはず。竜種としての力は圧倒的なはずよ」

「だが、お前さんは負けた」

「そうだ」


 クロキンスキーの言葉を、胸に刻む。あの時点では、絶対に自分の方が強かった。それでも屈することなく、戦い抜き、彼女は勝利した。


「それが、本当の強さ。私は、あの子の背中を追ってみたくなった」

「僕はごめんだ。身の程を弁えている」


 言葉ほど、シンイチロウの表情は曇ってはいなかった。彼が見据える先は、レダとは別の世界であるだけなのだ。


「シンイチロウ。師匠、あかぎ様は全ての戦いを終わった後、セントラルの重鎮を任されるらしい。私はその下につくつもり」


 一息置いて。


「お前も、来ない? その手腕、誰もが評価しているわ」

「僕がかい? 冗談だろ」


 彼は鼻で笑った。


「それに、僕には『トランプ』という仲間たちがいる。今は、ジョーカーあの子の遺志を汲んでここにいるけど、本来はこの世界を守る立場にない」

「どうしても、かしら?」

「ああ。僕には僕の守るべきものがある。君は……まあ、なんというか、頑張れよ」


 目を逸らしながら、シンイチロウは言った。彼は星辰竜ポラリスの『神話劇場』に囚われたことから、竜種に対してトラウマのような悪意を抱いていた。

 そんな彼が励ましの言葉を掛ける意味は。


「シンイチロウ、惜しい男ね。お前は、もっと自分に自信を持って良いと思うわ」

「はは、よく言われるよ。ただ、僕はそれほど強い人間ではないからね」

「いいじゃない、それでも。お前は凄い」


 言い切ったレダに、シンイチロウの両目が見開かれる。あるいは、彼が最も欲した言葉なのかもしれなかった。


「……お前さんら、まるで今生の別れみたいなことを言いよる」


 見かねたクロキンスキーが口を挟んだ。


「俺みたいな登山家にとってはな、一期一会の出会いなんて茶飯事だ。またどこかで出会うかもしれないし、もう二度と出会わんかもしれない。それでも、よいではないか」

「この戦いが終われば、みな、離れ離れになったとしても?」

「……はは。竜の口からそんな言葉を聞けるなんてな」


 クロキンスキーは力強く頷いた。


「いい。そもそも生きて帰れるなんて保証はどこにもないんだぞ? だから、いいじゃないか」


 今、ここに、一緒にいること。

 それこそが一番大事なのだと。


「そう、か」


 シンイチロウは、言った。彼は転生者だ。そして、生前には無かったものが、きっとこの場にはあった。


「僕らは、同じ戦場を戦い抜いた友だ。縁があれば……また遭うこともあるさ」


 そう締めくくる言葉。それが、何よりもしっくりと胸に刺さった。

 彼らの頭上で、星の光が煌めく。

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