vs剣鬼ホノカ

 両者の間は、約八尺。十歩必殺の圏外の間合いにすることをホノカは提案したが、真由美が断固として拒否した。その間合いで『剣鬼』が攻め手に回ることは考えにくかったからだ。


「より実践的に。より本物に。私はこの間合いで師匠に挑みたい」

「随分と格好つけるけど、無理しなくていいよ?」


 ちなみに、ホノカは既に『咲血』を抜いている。理由は、抜刀術込みだと真由美の首が飛ぶからだ。

 本人曰く半々の確率らしい。冷汗塗れの真由美は全力で首を横に振っていた。ついでに後ろのニュクスも。


「いつでも始めていいぞーー」


 真由美側の立会人であるあやかが、にっかりと言い放った。ホノカ側の立会人であるニュクスの表情が青ざめる。


「では」


 そう言ったのは真由美。ただ前に重心を移したような動作は、それだけで彼女を五歩分は前に進ませる。


(足運びと、重心の動き)


 水色一閃。真由美の抜刀術は、しかし僅かに首を前に出したホノカに防がれる。


(インパクトをずらさ――――え?)


 歯だ。斬撃の衝撃、そのインパクトをずらしたのは真由美の想像通り。だが、『創造』の魔法で生み出した刃は人間の咬合力で噛み砕かれた。


「単純な力じゃない。分かるよね? 私はワニさんじゃないよ」


 返しの斬撃を、復活させた水色の刃が捌いていく。それだけでも大したものだった。攻め手を緩めて間合いを取り直したホノカが息を整える。


「……その間合い?」

「そう、十歩必殺の範囲外。でも、私には縮地があるし、十歩の範囲に至る」

「いつになく、おしゃべりじゃないですか……!」


 わざわざ言わなくてもいい情報だ。舐められている。それを挑発だと理解していても、容易に抵抗は出来ない。

 そして、ホノカは待ちの姿勢だった。極めて自然体の中段の構え。まさに、寄らば斬る。そんな気迫が渦巻いていた。



 そこには、挑発以上の意味が込められていた。自ら死地に飛び込む覚悟。戦い抜く決意。これから赴く戦場は、どうしようもない理不尽だろう。だからこそ、飛び込むには覚悟を要する。


(高月さんには、ソレがあった)


 この世界で挑んできた相手のことを聞いた。それもまばゆい話だった。そして、恐るべきことに、彼女は★5クラスの怪物共には全敗していた。

 それでも、楽しそうに、笑う。覚悟というより、生き様だった。こうでなければ高月あやかは生きていけないのだ。自分より上があれば、ただただ手を伸ばし続ける。


(それを、私は、才能と呼ぶわ)


 自分にはないもの。だが、欠けているものとは思わない。今、無いモノを、補うもの。つまりは勇気。真由美の胸中に渦巻くものだ。


「死地に踏み込むのは、これで初めてじゃない」

「本当の極限状況に、経験の差は意味をなさない。君の本質が浮き彫りになるだけだ。経験は、それを果たす手段に過ぎない」


 真由美は敢えて飛び込んだ。死線。『剣鬼』の一閃が目前に走る。重心移動とステップを併用した急停止。気迫だけを前に押し出したフェイントだ。


「刀は一本」

「その分析は正しい」

「振り抜いたら戻せない」

「正しいが、正しいだけでは勝てない」


 ホノカは愛刀を手放した。背面に身を開きながら、両腕を前から後ろに回す。まるで、真由美の放った刀身を抱き込むように。


「えいっ」


 日本刀は、デリケートだ。側面からの衝撃には弱いし、正しい剣筋で振るわないと刀身は崩れていく。真由美の渾身の一突きは、ホノカの背中と二の腕に挟み込まれて、あっさりと叩き折られた。


「殺す気なら」


 砕いた切っ先を、素手で掴む。振るったその刃は真由美の首元で止まった。


「ここで終わりだった」


 抜き身の刃を手放したホノカは、自由落下中の愛刀を蹴り上げて再び握り締めた。安易な追撃はしない。真由美の目はまだ死んでいなかった。抜き身の刃を握って付いた斬り傷を、ホノカはぺろりと舐め取った。


「終わってない」


 果たし合いは、殺し合いではない。、そんな物騒なルールではない。ソコを突いた動きだと強がる。


「君の負けん気の強さは、戦場では危険だ」

「うるさい。これこそ、私だ」


 無数の白球がばら撒かれる。『創造』の固有魔法フェルラーゲンの根本になる万能素材。形作られる無数の銃火器は、真由美の努力が蓄積させた構造知識の具現だった。


「そこは、もう間合いなのだけど」


 十歩必殺。放たれた銃弾は全て両断された。銃火器類が霧散する。代わりに広がった白煙が視界を封じ、四方八方から鎖が伸びた。


「し――っ」


 気合一閃。振るった刃から放たれる赤い衝撃波。これは真由美やニュクスには見せたことがない。金鵄。『剣鬼』の数少ない遠距離攻撃だった。

 そして、それだけではない。惨殺の太刀。一度の攻撃で同時に3回の斬撃を見舞う妙技。あまりにも速すぎる斬撃が世界の摂理を超えた。


「へえ」


 その斬撃に、あやかの目が釘付けになる。見稽古とでも言うべきか。同時に放つ物理的なインパクトは、あやかにとっては極めて相性の良いものだった。


「なっ」


 一方、真由美の表情は分かりやすく崩れていた。

 鎖がいなされる。拘束が意味をなさず、ホノカは自然体のまま構えを崩さない。一度はあの高月あやかの魔法すら封じた『束縛』の固有魔法フェルラーゲン。それが決まらない。


「どうする?」


 試すような言葉は、戦略的な挑発だ。お互いに理解している。真由美はこれだけの攻撃の間に、魔法で周囲の陣形を固めていた。容易に攻め込めないのはホノカも同じ。

 あくまでも、容易にはだが。


「師匠…………殺しちゃったらごめんなさい」

「その時は責任持って、君がセントラルを守りきってね」


 大言壮語でしかない言葉を、ホノカは笑わなかった。見栄っ張りで、その内心は気弱な少女。その本質はちっとも変わっていない。それでも、憧れのために戦う強さを秘めていることを、彼女はよく見ていた。


「さあ、ここまでおいで」


 その優しい声と対称的に、真由美は修羅の叫び声を上げた。決死の覚悟だろう。自身のありとあらゆる攻め手を用いてセントラルの最強戦力に斬りかかる。

 手数。

 真由美が『剣鬼』に勝る唯一のもの。

 無数の刀剣類と縦横無尽に走り回る束縛用の鎖。真由美が誇る最善手。ホノカは、自身も気付いていないだろうが、納刀していた。それは抜刀の構え。歴戦の勘が必要と訴えかけていた。集中力を極限まで高め、剣筋を研ぎ澄まさせる。


「惨殺抜刀」


 瞬間抜刀三閃。その剣筋が鮮血の色を映す。飛ぶ斬撃。真由美が纏おうとしていた水色の鎧が削り取られる。


「ま、だ…………!」


 鎖の群れは縮地で超えられ、詰められる間合いを真由美は更に詰めた。両手に小太刀。この至近距離では『咲血』は満足には振るえない。

 だが。


「そこ、邪魔」


 柄で真由美の鳩尾を押しのける。反撃に放つ無数の刀剣類は、十歩必殺に捻じ伏せられた。その同時斬撃が真由美の首にも迫り――


「手順を複製――反復リロード


 斬撃音。瞬きの間に、ホノカは最初の間合いに戻っていた。その移動を示す赤い道筋。攻撃は通った。いくつかの刀剣がホノカに傷を負わせていた。


「いい」


 自身の血糊を吸わせ、愛刀が鋭さを増す。純粋な剣技での突き技。真由美はその手に刀を握り締める。


「――――っ」


 声にならぬ怒号。少女が放った気迫の剣筋が、『咲血』の剣筋を弾いた。ホノカの両目が見開かれる。彼女の踏み込みが道場を揺らし、そして。


「「――――あ」」


 何をどうやって体勢を立て直したのか、ホノカの横薙ぎが真由美の目前を通過していた。真由美は、一切反応できなかった。後ろから襟首を掴まれて、死線から逃れただけだ。


「勝負ありだ。アンタ、自分の弟子を殺すとこだったぜ?」

「……面目ない。つい、


 何が起こっているのか理解できていない真由美が後ろに放り投げられる。派手な泣き声を上げて抱き着いてくるニュクスに好き放題されながら、ようやく状況を理解した。


「私、負けた……?」

「いや、勝ちでいい」


 ホノカは言った。


「ルールで禁じていた抜刀術を使わされたし、手傷も負わされて、本気にもさせられた。君は、あの一瞬、私と同じ土俵の上に立っていた」


 その言葉が耳に入り、ゆっくりと心に染み込んでいく。


「君のこれまでの努力と、心意気。間違いなく芽吹いている」


 少女の両目から、涙が溢れ出した。


「月並みだけど。よく…………頑張ったね」

「はい……っ! ありがとう、ございましたっ」


 認められた、その言葉。感極まって年相応の子どものように泣き出す不肖の弟子を、師匠は優しく見守っていた。

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