vs 完全の天使マノアエル6

「守れ! 役に立て! 僕の完全を脅かせるな!」


 背後に埋まる天使兵の群れに、マノアエルは暴言を撒き散らかす。いくらその翼を動かしても、背後の凄まじいプレッシャーが振り切れない。まるで狩りの標的になってしまった小動物のようだった。そんな有様を、大天使のプライドは決して許さなかった。


「僕が完全だ! 僕がこの世界を掃除するんだ! 竜だの人だの訳分からない汚物どもを、この僕がッ!!」

「じゃあ――向かう方向が違うんじゃねえか?」


 その言葉に、マノアエルは振り返ってしまった。そんな余裕など全く無かったと理解していても、だ。すぐ真下だ。空を飛べないから触れられていないだけで、大きく踏み跳べば、その拳は大天使に届くだろう。


「なん、なんだよぅお前は――――!?」


 凄まじい爆炎が天使兵どもを薙ぎ払うのを視認した。敵の攻撃の「衝力」を吸収する天使兵が大量に犠牲になったおかげで、マノアエル自身には攻撃は届いていない。

 だが、下を走るあやかにも、その余波は届いていた。それでも、彼女は決してその足を止めない。自分の首筋に手が掛かっている不穏なイメージがよぎる。


「俺様か?」


 声は耳元から。振り返ったことによる減速に、ついにあやかの足が追いついた。マノアエルの腹部が勢いよく蹴り上げられるが、やはりそのダメージは乏しい。


「俺様は、高月あやかだ」


 ローブを掴まれて、地面に引き摺り倒される。巻き上がった土煙をモロに被って咳き込んだ。


「僕が! 汚れるだろう!!?」


 殴打。打撃に切り替えたあやかが、執拗に顔面を打ち続ける。常人であれば一発で顔面を凹ませる打撃も、神性介入の効力で致命打には至っていない。


「⋯⋯みんな覚悟して立ってたぜ? お前だけ身を汚さないのは、フェアじゃねえだろう」

「ぅ、あ⋯⋯」


 腹部に突き刺さる掌底。そのまま大地を踏み締めたあやかが、マノアエルの全身に衝撃を伝播させる。魔法は使っていない。ただの生身の技術だ。その一撃に、神性に守られているはずのマノアエルが膝を折った。


「なんだ、この威力は⋯⋯⋯⋯? 不完全な、お前が、僕の完全を――スィーリエ様のご加護を、こんな――――⋯⋯」

「不完全」


 あやかは拳を振り上げる。同時、マノアエルは大天使としての神性の全てを反撃に費やす。だが、失うのは完全だけではなかった。


「まあ、そうだな」


 『浄化』の一射が大天使の心臓を穿った。物理的なダメージは皆無だ。それでも、女神スィーリエから賜った力が少しだけ抜けて行くのを感じた。そこで、マノアエルのプライドは、に折れてしまった。



 直後に放たれたあやかの拳撃は、一際よく効いた。





「バッドデイさん、無理を承知で聞くけど「俺に無理はねえ」


 バッドデイがポチッと赤いボタンを押すと、地中から改造車両(合法特許申請中)が飛び出した。


「これだけの数、ズラかる準備は出来てるぜ。そもそも俺はこんなことしか出来ねえからな」

「……はは、私は本気で度肝を抜かれているよ」


 バッドデイが気障なポーズを決める。彼は直接的な戦闘能力には乏しいものの、いつだって彼女の求めに応えてきた。そんな男の有り様に素直に敬服するし、誇らしく思う。


「お嬢、さっき飛んでった嬢ちゃんはどうすんだ?」

「放置。今までと変わらず」


 まともに走行できなくなった二代目改造車両が天使兵の群れに突っ込んで自爆する。一体どんな原理なのだ。


「真由美ちゃん、動ける?」

「もちろん!」

「いや、無茶でしょ!? でもアタシがどうにかするから心配不要よ」


 相変わらず無駄に強がる少女と、いつだって少女の意図を汲んでくれていた騎士のような青年。遥加が浮かべる笑みは、彼らへの敬愛と信頼の証に他ならない。


「……いいチームだ」


 何となくあやかを追おうとするレダを止め、シンイチロウが呟いた。傷心なのは遥加と同じだ。そこまで想ってくれることに、遥加は感謝の念を。


「私、実はこんな風にチーム戦を展開するのは、多分……初めてなの」


 囁きの悪魔との戦いを想起する。何もかも足りていなかった。


「なら、才能がある」

「ううん。あるのは、みんなの想いだけ」


 四方八方全包囲。

 真っ白な服の上に「ペスト医師」のような嘴付きの黒いマスクをつけており、背中の羽をはばたかせている。剣、槍、弓。ありきたりな武器を構えるその姿は、囲まれた彼女らにとっては絶望の象徴だろう。


「みんな、乗って」


 遥加、真由美、マルシャンス、シンイチロウ、クロキンスキー、そして運転席のバッドデイ。彼女の声に応じなかったのは、古火竜レダだけだった。


「……すまない。私が敗北を認めたのは、師匠と、あの訳分からん仮面女だけなんだ。私は奴を待ちたい」

「心配は不要だって、分かってる?」

「ああ。だが…………そうだな、意地だ」


 レダは、困ったような顔で微笑んだ。その言葉は、遥加に確かに届いた。天使兵の無数の攻撃が激しい蒸気に薙ぎ払われようとも、レダ自身も満身創痍であることは変わらない。長くは耐えられないだろう。


「レダさん……ありがとう」

「ん、なんでだ?」

「あやかちゃん、見捨てられやすいから。ちゃんと一緒にいるって選択をしてくれるのが嬉しいの」


 レダは反応に困った。真由美だけが笑いを噛み殺している。遥加は、満身創痍の仲間たちに視線を移す。彼らは、いくら強がってもほとんど限界に近い。


「見くびるな。あの子の相棒は俺が先だ」


 クロキンスキーがそう言った。


「アタシは、貴女の選択を尊重する」

「女の準備は待つ性質たちだぜ」

「僕は構わない」

「アリス、貴女の負けです。最後まで戦いましょう」


 遥加は何も言わなかった。彼女は、彼女だけは気付いていた。構造だけを見通して、その内実の想いまでは見通せない『ワールドヘッジ』とは違って。

 女神スィーリエの天使兵どもは、どうしてこれほどの数を誇っているのか。元々は人間で、抱える想いがあった。それでも、女神スィーリエの陣営が全てを踏みにじった。その真実を、彼女だけは。


「みんな、そうしたいの?」


 全員、首を縦に振った。


「分かった。ちょっとだけ目を瞑っていて」


 真由美以外が、その言葉を素直に聞き入れた。それだけの力を持つ言葉だった。女神アリスの眷属たるメルヒェンだけが、その光景を。


時よ止まれ、おまえは美しいフェアヴァイレドッホ


 金色こんじきの双眸。

 純白の双翼。

 眩い大弓。


「『救済アリス』」


 上空に放たれる光の奔流。降り注ぐ光の矢が、天使兵の一人一人の心臓に突き刺さる。ホムンクルスとしての肉体は浄化され、人の身としての姿を取り戻す。

 だが、それはほんの一瞬だった。彼ら彼女らの肉体と魂は、光の粒子に散っていく。人としての想いの最期を思い起こし、噛み締め、様々な表情で消えていく。

 女神アリスの権能。

 想いの究極純化、『救済』の固有魔法フェルラーゲンの効力だった。



「この人たちは」


 その言葉。


「どんな想いで」


 そこに含まれる怒気が。


「こんなことを」


 震わせる。その魂の髄を。



「アリス」

「あれ……?」


 倒れる遥加の背を支える真由美。恐らく、一秒近く気を失ってもいただろう。あれだけいた天使兵の姿は何処にも無かった。


「無茶し過ぎです」


 これだけの数に対する権能行使。しかも魔法を取り戻した直後だ。力を使い果たしてしまうのも詮無きことだった。


「ごめんね」


 決着。

 誰もがその言葉を頭に思い浮かべる。マノアエルの攻撃の気配はない。無数の天使兵は全滅した。これ以上、脅かされる相手はいない。


「スィーリエさんに、確実にバレた。私たちは完全に神罰の対象だよ」


 これまで権能行使を控えていた理由。神性が異世界に干渉するべからずの原則は、先に手を出しているスィーリエには通らない。

 だから。

 単純に。

 とてもとてもヤバい相手に目を付けられたというだけだ。

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