vs 完全の天使マノアエル5
「なん、だと……?」
「驚いたかよ、神の手前野郎が」
拳。
真正面から聖槍カンタービレを弾き返した一撃。マノアエルはその手の痺れに絶句する。渾身の一撃が、完全なる自分の完全が、弾き返されたのだ。その動揺は計り知れない。
「は、はは、待て、ソイツは」
だが、さっきまでの動揺はない。マノアエルは気付いた。情念を暴発させる歪な振動は止まっていた。輪郭からボロボロと崩れ落ちる黒の少女を抱き止める白の少女の姿が目に入る。
「茶番は終わりだ」
もう、揺るがされない。崩れた完全を、それでもなお、取り繕うとする。妄執のトロイメライ・ハートは崩れ落ちた。もはやこの『完全』が脅かされることはないと。
「ああ、そうだな」
あやかは、すっかりと漆黒に染まった短髪を指で撫でた。両手を握り、その感触を確かめる。
向き合う二人。あやかは、マルシャンスの裏返しの感情に癒やされる真由美を視界に収めた。ジョーカーの末路を遠巻きに眺めるシンイチロウには声をかけない。
「レダ、無事か」
返事はない。気を失ってはいるが、まだまだ平気そうだった。竜種の頑強さに苦笑する。
「クロちゃん」
「思いっきりやれ」
投げやりな相棒の言葉に、あやかは笑った。この状況を用意するために、クロキンスキーは様々な策を講じたことだろう。そんな信頼があった。
「じゃ、いいか?」
「ふざけるなよ」
挑発的な笑みを浮かべるあやかに、マノアエルは激昂した。聖槍カンタービレを鋭く放つ。あやかが拳の力を緩めた。
「な」
腕に滑らすような入り身。その指先がマノアエルの袖をつかんでいた。直後、文字通りに天地が引っ繰り返っていた。
(投げられた? この僕が?)
肩をキメにかかるあやかを、カンタービレの槍先が縦横無尽に襲う。距離を取ったあやかは、しかしその表情に崩れはない。
「いいな、その槍。強い強い」
「強いのは僕なんだよッ!」
息巻くマノアエルが聖槍を振るった。縦横無尽に大きさすら無造に荒れ狂う大槍を、あやかは手首のしなりで弾いていく。
「さっきより、随分とやりやすいぜ」
「ほざけ!!」
完全の天使マノアエル。
その完全は、脆くも崩れ去っていた。
彼女の完璧主義は、1ミリでもダメージを受けると効果がなくなってしまう。そればかりか、すべての能力が50分の1以下にまで大幅に低下してしまうのだ。まさに究極の打たれ弱さが彼女の完全性を支えていた。
「し――っ」
速い。一呼吸の間に放たれる打撃は三発。そのどれもがマノアエルにクリーンヒットするが、神性介入がそのダメージを限りなく抑える。
「効か、な「りゃ!!」
その顔面を拳が撃ち抜く。生身の人間の拳だ。それも、ほんのジャブの勢いしかない。マノアエルにはほとんどダメージはないはずだ。
だが。あるとすれば。
「このッ、完全なッ、僕に……ッ!!」
叩かれるのは、完全に対する自負を支える頑強なプライド。ただの人間に殴られるたびに、彼女の中でアイデンティティが揺らいでいく。
「カンタービレ! 応えろ、僕の『完全』にッ!!」
超質量の暴虐。完全の優雅さとは真反対の、暴力の誇示だ。歪な心臓が放つ『妄執』の共振に削がれることはもうない。聖槍カンタービレの文句なしの最大出力が降り注ぐ。
「リロード、リロードリロード!!」
立ち向かうあやかには、獰猛な猛禽のような双眸。ギラついた闘志が牙を剥いている。
一歩も引かない。背後の仲間たちにこれ以上の暴虐を許さない。闘志と怒りが入り混じった情念は、凄まじい『増幅』の効果を発揮した。
「インパクト・マキシマム」
鋭く呟くその言葉。
後ろの彼ら彼女らが見たのは、粉々に砕ける聖槍カンタービレの破片だった。全ての衝撃は前方に。つまり、完全に打ち勝っていた。
「ば、ばかな…………!?」
マノアエルの驚愕を、真由美の鎖が縛り付けた。そうだ。掴み技主体のあやかの狙い。マノアエルは思い至る。
そして、想像してしまった。
捕虜として情報を吐き出す自分の姿を。
「おぞましい!!!!」
砕けたカンタービレが放つ窮鼠の一噛み。膨張して、殺到する。あやかは踏み越えることも可能だったが、後ろを一瞥して迎撃体制を取った。
「リロードロード、確率変動!」
かつて自らに立ちはだかった紅蓮の魂を想起する。無限に増幅する蹴りが全てを捻じ伏せた。
復活しつつある
「――ごめんっ」
だから、足りなかったのは修行途上の真由美だった。『束縛』による拘束が決まる前に全てを斬り裂いたマノアエルは、全力で戦場から離脱しようとしていた。その飛行速度はマッハに匹敵する。
「いいぜ。よくここまで凌いだ。後は俺様に任せろ」
その言葉に、真由美は蕩けそうに頬が緩む。だが、思い直した。まだ結果は出し切っていない。まだまだ魅せつける。
「そっち!!」
ワールドヘッジを覗きながら、真由美は叫んだ。彼女の回復に専念するマルシャンスは為すがままにさせる。『幻影』の
「あんがとよ――――真由美」
名前を呼ばれた。たったそれだけで、全身に落雷のような痺れが走った。まさに、絶頂。自己の存在を承認された真由美に、蕩けるような笑みが浮かんだ。
「
クラウチングスタートの体勢。全身を一本の大弓のように引き絞るあやかが、凄惨な敵意を放つ。
♪
「はるか」
消えかけるえんまが、小さく口を動かした。その、細い身体を、遥加は力強く抱きしめる。
「私は、大丈夫。だから、そこは心配いらない」
「貴女は、いつだって、そうだった」
終わりのあやかの
「私、思い出したの」
その言葉に、遥加は大粒の涙を流す。彼女は、自らの情念を取り戻したことを自覚した。とどめない、溢れる想いが、この身を焦がした。
「えんまちゃん」
「はるか……ありがとう」
ぐずぐずに溶け落ちる輪郭を、遥加は必死に掻き集めた。この世界で彼女に親身になってくれていたシンイチロウがこちらを見ている。彼は、すべてを察して声をかけない。
「私こそ、ありがとう。えんまちゃんのおかげで、私はここまで至れたんだよ」
「そう、なの?」
「うん。お互い様。私達は、そうなの」
「……えへ、へ――うれしい」
屈託なく笑うその表情が、たまらなく愛おしかった。
白と黒。二人が揃えば、それは運命なのだ。
「貴女は、いつも、一人で……無茶しちゃう。それでも、その無茶が、貴女は好き……なんだよね?」
「そうだよ。私は、想いのまま、あるがままに振る舞うのが、好きなんだ。それが私なんだ。だから、えんまちゃんが気に負うことなんて一つもない」
「気に、負うね……」
そんなことはない。彼女も好きで白の少女に付き従っていたのだ。憧れとして。恋慕として。だからこそ。
「はるか」
「なぁに?」
「私の分まで、がんばって」
その言葉に込められた想いを、女神アリスは正しく理解する。きっと、なんだって分かるのだ。そんな関係性は、まさに奇跡のような出逢いだった。
「ミブさん」
「ん」
「ありがとう」
何が、とは言わない。分かっていた。彼の目尻に浮かぶ水滴を、遥加は見て見ぬふりをしていた。言葉は必要ない。遥加の周囲に純白の光が灯った。
「さあ、行こうか」
黒の少女、ジョーカーの姿は既にそこにはなかった。その輪郭と肉体は闇に溶け、想いまでもが漆黒に蝕まれる。それでも、妄執の自我は決して揺るがない。
「いけるか?」
「もちろん」
バッドデイの言葉を軽く流す、マギア・アリス。彼女の『浄化』の
「私も、負けてられないから」
純白に発光する弓矢。逃げの一手を貫く大天使に、遥加はその全てを投入する。そんな視界を封じるのは、今までどこに潜んでいたのか、無数の天使兵たちだった。
これまで自らの完全性を誇示するように単独で暴れていたマノアエルだが、ここにきて完全に余裕を失っていた。もはやなりふり構ってはいられないのだ。
「これは、ちょっと」
「大丈夫」
シンイチロウが、気絶したままのレダに石礫を投げつけた。意識を取り戻して起き上がる彼女が睨みつけてくるものの、彼は顎で敵集団を示すだけだ。何があったのか遥加には預かり知らぬところではあるが、彼は竜種に対して厳しい感情を抱いているらしいことはなんとなく感じ取っている。
「残しておいた」
そして、シンイチロウはもう一丁の愛銃エボニーを向ける。数えるのも馬鹿らしいほどの数に、その威力は最大限まで膨れ上がっている。
どうせ、目標は目視には及ばない。それでも、遥加にとっては問題にはならない。
「あの子が託した意志を、君ならば」
「もちろん」
遥加が光の大弓を引いた。先に突き進んだあやかは全ての攻撃に巻き込まれているはずだが、そんなことはこの場の誰もが気にしていない。
ただ、この光を、届けるために。
「フェアヴァイレドッホ――――」
遥加は魔法の呪文を
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