vs 完全の天使マノアエル2

 蓋を開けてみると、ここまでひどいワンサイドゲームはないだろう。

 上機嫌に鼻を鳴らしたマノアエルが舞踏のステップを踏む。その真ん前に立つのは、高月あやか。


「…………悪い」


 彼女に覆いかぶさるのは、だらりと力なく横たわるレダ。あやかを庇って流星の雨をモロに受けたのだ。

 そして、それだけではない。あやかはちらりと視線を後ろにやった。


「…………」


 擦り傷まみれでも姿勢が一切ブレない遥加は、心配がいらないだろう。水色の大盾で防御した真由美も、手傷は酷いがまだ戦える。


「…………シンイチロウ、様」


 頭部からの出血が激しい。それに、全身の傷も深い。対称的に、オロオロと彼に駆け寄るジョーカーは比較的軽症だ。

 その後ろ。マルシャンスやクロキンスキー、バッドデイさえもが満身創痍の様子だった。


「たった、一撃で」

「そう、たった一撃だ! 君たちはその程度で消し飛ぶくらいの矮小な存在なのさ」


 マノアエルは聖槍カンタービレの装飾をうっとりと撫でている。もはやあやかたちのことは眼中にないようだった。


(あの距離からでも攻撃を届かせる槍……間合いなんて、ないようなものか)


 あの脅威の流星群は、聖槍を用いた攻撃ではなかった。それでも、攻撃は、たった一度の攻撃ですべてを圧し潰す。

 そして、何度でも。


「下れ。潰れろ。汚物は這いつくばるといい」


 降り注ぐ。

 制裁の飛礫。


「ジョォォオカァァァアア――――ッッ!!!!」


 あやかの絶叫に、『時空』の固有魔法フェルラーゲンは応えた。さっきの一撃では反応しきれなかった空間歪曲。

 まるで未来予知のように正確無比、まさにな軌道を描く流星がまとめて歪む。完全には防ぎきれないものの、致命傷だけは免れる。


「僕の完全を阻むな」


 その結果を受けて放たれるマノアエルの一突き。聖槍カンタービレの軌道に割って入ったのはあやかだった。


「あっぶね……! こんなに伸びるのかっ!?」


 盾にした右腕をひしゃげさせながらも、溢れるアドレナリンが痛覚を麻痺させている。強引に押し切ろうとしたマノアエルに矢が迫り、首を振って回避することで追撃のタイミングを逸した。


「ふむ、やるね」


 聖槍カンタービレは、既にマノアエルの手中に収まっている。その大きさは標準的な槍のものだ。そして、大天使の敵意は絶好の機会を潰した遥加に向かう。


「はるかっ!!?」


 自分でもびっくりするような大きな声が出た。ジョーカーの悲痛な声に、しかし遥加は決して動じない。


「真由美ちゃん」

「はい、アリス」


 水色の大盾を斜めに。カンタービレの切っ先を逸らし、盾の隙間からカウンターの矢を放つ。


「その程度で『完全』は崩せないよ」


 聖槍カンタービレが巨大化した。リーチだけではなく、その太さも。そのまま力任せにすべてを薙ぎ払う。


「どっっりゃああ!!」


 その直前、聖槍の真下に滑り込んだあやかが間一髪で軌道を蹴り上げた。ひしゃげた右腕から歪な音が響く。そして、ダメ押しで突っ込んできたバッドデイの愛車が聖槍の勢いを削ぐ。

 だが、無意味。まとめて薙ぎ払われる。


「無様に足掻くね。醜いよ、ほんと」


 制裁の飛礫。


「やめてッ!!!!」


 悲痛なジョーカーの声と、展開される歪曲空間。マノアエルはつまらなさそうにカンタービレを突いた。


「ジョーカー!」


 咄嗟に飛び出したシンイチロウが、ジョーカーを庇う。容赦なく突き刺されるものの、その切っ先は彼女までは届かない。


「ちょっと力抜いてくれないかい? 大事な聖槍が引っかかってるんだけどー?」

「――そりゃ好都合!!」


 マノアエルは反射的に声の方向を見た。水色のスピーカー。罠だ。大天使の背後には、あやかが辛うじて無事な左手を伸ばしている。そして、レダのブランジミストが逃げ場を封じる。


「無駄。だって僕は美しいから!」


 制裁の飛礫。今度は攻撃ではなく防御のために。あらゆる反撃が正確無比に叩き潰され、土煙や水飛沫さえも完全の天使には届かない。

 傷も汚れも一切不要。

 これが、完全の天使マノアエル。


「これでもういい加減分かっただろう?」


 マノアエルは、手近に倒れているあやかを足で小突いた。


「この世の中の物はすべて完璧で美しくあるべきなのさ! だから僕は、醜いものを掃除しなければならない! 美しい僕だからこその、遂行な使命なのだ!」


 まだ立っていられるジョーカーは周囲を見渡した。誰も彼もが息絶え絶えで転がっていて、それでも誰一人として諦めてはいなかった。虎視眈々と逆転の一手を狙う闘志が、誰の目にもあったのだ。


「逃げるんだ、ジョーカー…………」

「ミブ、さん……?」


 ここまでジョーカーが立っていられたのは、守られてきたからに他ならない。戦う理由も、覚悟も、彼女には無かったからだ。


「……やっぱり、君には……戦いは、向いていない…………優しいから」

「違う」

「ごめんな。もっと、僕が……強く、止めていれば、こんな――――――…………」


 その言葉が。その姿が。

 ジョーカの心臓を揺らす。


「違うの、私は……」

「いやいや、認識が甘すぎるでしょ。逃がすわけがないじゃないか。僕が美しい世界のために掃除するんだよ?」


 そして、マノアエルは遥かな天を見上げて両腕を伸ばす。その使命は、彼女が仕える女神に捧げられるのだ。ジョーカーのことなど、そもそも眼中になかった。


「そう、私は」


 ジョーカーは、ボロボロのシンイチロウを優しく抱きとめる。ゆっくりと、大事に、横にさせる。

 そして、再び立ち上がった。


「こっちを、見ろ」

「なんだい、急に?」


 不吉な双眸に、くらい執念が灯る。雰囲気の変わった不吉な黒に、マノアエルは聖槍を向けた。その、底しれぬ執念の深さが意識を縫い止めてくる。

 まるで、獣の眼光だった。執念の獣が、その両手に小銃を握る。歪曲永劫ショッキングショット。細い少女には不釣り合いな銃器。


「やめなよ、もう」


 発泡。その反動で、ジョーカーの身体がぐらついた。その程度の体幹の弱さ。しかし、空間を隔てる弾丸の脅威には影響なし。


「当たらないって。僕は美しいんだから」


 断続的な発砲音。空間を隔てて、時間の流れを変えて襲いかかる凶弾の数々は、しかしマノアエルにとっては回避は容易だった。

 そして、聖槍カンタービレを一突き。

 たった、それだけ。


「さあ、世界をもっと美しくしよう!」


 ジョーカーの右目が、いとも容易くくり抜かれた。

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