仮面の貴公子、決断する
「⋯⋯⋯⋯え?」
彼女にしては、珍しく、呆けた声を上げた。
マルシャンスは、遥加に対して恭しく手を差し伸べる。その様子は、まるで姫君をエスコートする貴公子のようだった。
「掴んでは、くれないかしら……?」
マルシャンスの声が震えていた。
よく見ると、その手も僅かに。
彼の決断が、そこまでの経緯が、その想いが。今の遥加には理解に及ばなかったが。
「どうして?」
「貴女と一緒の道を進みたいからよ。アタシの悲哀は、きっと癒やされる」
仮面の下で、マルシャンスが薄く笑った。
「それに、安易な復讐に走ることこそ『悪竜王』の思う壺。アレに娯楽を提供するだけ。復讐なんて、人が奏でる戯曲の定番じゃない。悪意と娯楽という供物を馬鹿正直に捧げようなんてどうかしてたわ。だから、大儀を持った彼らのような軍人が討つからこそ、悪竜は真に潰えるの……と、アタシは思うわ」
早口で長々と連ねるその言葉は、照れ隠しのような言い訳。ニヤニヤ笑いを抑える玄公斎の視線に、遥加は小さく吹き出した。
「大丈夫。一緒に戦ってきたからこそ、彼らの強さに不安はないわ。戦力としても、人としての強さも、ちゃんと持っている」
「――そうだね」
はにかみながら、遥加はマルシャンスの手を取った。その手に一瞬だけ灯った白い光を、玄公斎だけは気付いていた。
「……本当に、もう大丈夫そうじゃな」
「はい。色々と、本当にありがとうございました」
遥加が深々と頭を下げる。
この世界にやってきてからの困難の数々が脳裏によぎった。乗り越えて、学んだこと。思い出す。
「そうだ。もしかしたら、『悪竜王』はネガに対して興味を示すかもしません。私や、あやかちゃんのものを見ていたから」
「ああ、地下遺跡で確認されたと報告のあった」
「私の女神としての権能がなくなって、今は野放図になっています。付け入るならこのタイミングでしょうね」
「難儀じゃな……」
幼い顔で難しい表情を浮かべ玄公斎とは対称的に、遥加の物言いはやけにあっさりしたものだった。彼らにはあの『終演』を退ける力がある。それを目の当たりにして、もはや危惧はなかった。
「この世界の人たち……ううん、いろんな世界の人達も、本当にお強い方ばかりですね。楽しい!」
屈託なく笑う遥加の表情には、作り物だけではないナニカが混ざり始めていた。
「ほっほ、それは良かった! 思えば僕げふげふワシも観光気分で来ていたもんだ。このお祭り騒ぎは楽しまねば損じゃとて」
「はーい! じゃ、そちらはお願いしまーす!」
「そうやってしっかり託せることは、お前さんの強さだと思うよ」
誰かを信じられる強さ。人の想いがのびのびと羽ばたける世界を夢見て神に至った少女は、今一度歩み始める。
「じゃが、何かあったらきちんと助けを呼びに戻るんじゃよ。ワシらは、お前さん方の味方じゃからな」
遥加が強く頷いた。隣のマルシャンスが深々と頭を下げる。
「大変じゃと思うけれど……任せたよ?」
そして、玄公斎はここまで黙って付き従っていた真由美にこっそりと耳打ちする。少女は落ち着いた表情で言ってのけた。
「もちろんです。そうすることが、私が夢見た自分ですから」
♪
外は快晴だった。
セントラル上空では未曾有の大奪還劇が繰り広げられているはずだが、そこに『脅威』が横槍を入れてこないとも限らない。恐ろしいことに、同時期に全く異なる大勢力が侵攻作戦を企てているのだ。
(そう考えると、結構笑えない状況だねー⋯⋯)
呑気にそんなことを思う遥加。何だかんだで、自分たちの戦力が一番劣っているのは自覚している。心配をするのであれば、それは自分たちの今後であるべきだろう。
「⋯⋯そう考えると、貧乏くじ引かせたみたいでごめんね」
「何を考えているのかなんとなく分かるけれど⋯⋯アタシはそんなことそもそも気にしていないわ」
「そう? ありがと」
ぽつぽつと短い会話が途切れ途切れ。遥加とマルシャンスの間に流れる微妙な空気に、真由美は背後から付き従うだけだ。
アクエリアスから西方面、エリア7の神竜神殿に進む途中。翼人自治区の切り立った崖が視界に映り始めたところで、遥加は足を止めた。
「アリス」
無言で携帯端末を操作する遥加に、真由美が耳打ちする。マルシャンスには少し離れて周囲の警戒を頼んであった。
「なぁに?」
「よかったですね」
両手で押さえた顔から、にやにや笑いが隠せていない。揶揄われていると気付いた遥加は、真由美の足を軽く蹴った。無表情のまま何かを言おうとした遥加だが、戻ってくるマルシャンスが視界に入ってきたので飲み込んだ。
「あれ、連絡入れたばかりだけどもう来られたの?」
「ええ、見つけたわ。合図なんかは決めていないけど、まあうまいこと見つけてこっち来るでしょ「来たぞ!!」
「あ! バッドデイさんおかえりー」
そして、戻ってきたマルシャンスの背後で、暑苦しいツナギ男が操る改造車両(合法)が到着。何故か上から落ちてきた。
呼び出したのは遥加で、誘導しようとして不要だったのがマルシャンスだ。彼が仮面の下でげんなりと口元を歪める。
「貴方ねぇ⋯⋯相変わらず乱暴な――――?」
巻き上がる土飛沫から少女を庇ったマルシャンスの抗議は、合法車両(改造)が明らかに定員オーバーになっている異常事態に押し潰された。
「よっ!」
そして、座席ではなくトランクから現れた仮面少女が何故か真っ先に声を上げた。謎の拾われ物に三人とも反応出来ないでいると、紺色のブレザーの青年が力強くトランクを閉じた。人畜無害に見えるその男は、だが両の太腿に備え付けられたホルスターに収められた拳銃から只者ではない雰囲気を察せられる。
というか。
実は遥加は彼のことを知っていた。
「ミブ・シンイチロウさん……?」
「あれ、知ってるの? しかもその順番で呼ぶのは同じ日本の出身かな」
「はい! セントラルの軍部では有名ですよ!」
にっこりと愛想笑いを浮かべる遥加に、シンイチロウの心は自然と打ち解けられる。不穏に揺れるトランクは一殴りで黙らせた。
「あれ、というかちゃんと無事だったんですね……?」
「おいおい! そこはしっかりと喜んでくれよ!」
「ああ、はい! すみません! 失礼しました!!」
あんまりな真由美の言葉に髭もじゃの大男は苦笑する。彼の名はセルゲイ・クロキンスキー。かのクオルト氷壁を踏破した英雄的な人物なのだ。
「あの、それで…………??」
平身低頭の真由美が、恐る恐るそう切り出した。改造車両(合法)から降りて丁寧に膝を落としたクロキンスキーは、サムズアップしながらはっきりと言ってのける。
「見つけたぞ! 案の定、元気いっぱいだ!」
そう言って指差すトランクが勢い良く開いた。さっきの仮面少女が勢い良く現れる。
「やっぱり、高月さん!」
「おうよ、俺様だぜ!」
勢い良く仮面を剥ぎ取るあやかに、真由美は絶句した。乾いた白髪、黒いヒビが入った顔面。そして、どんよりと濁った柘榴色の瞳。遥加よりも重症だった。
「まあ――――色々と言いたいことはあるだろうけど、まずは飲み込んでくれ。俺様はこんなんじゃ終わらない」
「え、でも、でも――――!!」
その痛々しさに泣きながら抱きつく真由美を、あやかは無言で抱き返した。余計な言葉は発せず、ただ、その揺るがない立ち姿を見せつけるかのように。
「…………連絡ぐらいは欲しかったな、あやかちゃん」
「しゃーない。俺様も策を講じるのに必死だったわけよ」
心配の欠片も見せない遥加に、あやかは自嘲気味に笑った。その視線が示す先。妙に洒落たサングラスを掛けるセクシー・ダイナマイトのお姉さん(竜種)に隠れるように縮こまっていた少女。
不健康なギョロ目。甘え尽くした老犬のような気怠い雰囲気。纏う不吉の空気が想起させる少女は。
「えんまちゃん…………?」
「あれ、はるか…………?」
この場の何よりも捻れる因果の渦が、この場の全ての者共の口を塞いだ。
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