ミブ、混浴する

「ミブさん、ミブさん。アヒル隊長が川降った」

「うんうん。僕はアイガモ隊のその後が気になるばかりだよ」


 ジョーカーは水面をちゃぷちゃぷ叩き、多分はしゃいでいるのだろう。お風呂グッズのアヒルちゃんをつんつん突いていた。そんな微笑ましい光景にシンイチロウの口元が緩む。


「へい、シンちゃん! この人妻ドラゴンおっぱいでかいだけじゃなくておしりもぷりっぷりだぜ!」

「や、やめろぉ⋯⋯」

「随分馴れ馴れしい呼び方になったものだね⋯⋯そして君らは身体だけじゃなくて心も磨き上げるべきだ。金タワシで」


 彼と彼女らは、一糸纏わぬ姿で湯につかっていた。裸の付き合いである。ここはビルさんが内蔵する大浴場。コスト削減のために煉獄の谷の地熱を利用しており、彼らは未だ煉獄の谷を動いていなかった。

 あの後、シンイチロウたちを心配したビルが迎えに来て緊張状態は解けた。(全員絶句していた)そして、血や汗や泥やナンヤカンヤデどろどろになっていた四人は、そのまま一纏めに大浴場に放り込まれたのだ。


(考えてみれば当たり前だけど、竜にも家庭とかあったんだな⋯⋯)


 無遠慮に根掘り葉掘り経歴を聞き出すあやかに、レダは完全に気圧されていた。負けてしまった手前、拒否することも出来ない。結果として、夫と息子を捨てて世界を渡った人妻ドラゴンであることも白日に晒されてしまった。人化形態での裸を晒すことに恥じらいなどないが、人間の小娘に好き勝手されていることには言いようもない羞恥を抱いていた。


「じゃあ、そろそろ仕切り直しでいいかい?」

「そろそろお背中お流しします?」

「違う。この子のこと、についてだ」


 大浴場の水面をぱちゃぱちゃさせてアヒル隊長を揺らしているジョーカーを見る。自分の話題になっても、黒の少女はとことんマイペースだった。


「んーー、といっても話し合うことなんかあるか? 元はと言えば俺様のネガから生まれた使い魔、俺様の能力の一部みたいなもんだぜ?」

「大ありだ。君には人の心がないのか」

「⋯⋯なくなったから、こんなことになっちゃってんだけどな」


 黒いヒビに縁取られた漆黒の眼球に、柘榴色の瞳が揺れる。


「⋯⋯⋯⋯君は、どうしたい?」


 シンイチロウは、渦中の少女に言葉を投げる。長い黒髪は、湯に入って痛まないように彼が軽く括っていた。されるがままだった黒の少女。彼女は黒首を傾げながら一言。


「私は⋯⋯どちら、でも」


 その言葉に反応したのは、シンイチロウよりもあやかの方だった。まるで捕食する獲物を見定めるかのような獣の仕草。シンイチロウは口を噤んで続きの言葉を待つ。

 ちなみに、レダは空気を読んでか、それともあやかから離れたいからか。一人だけ距離を取って口まで湯につかっていた。


「何も、覚えてないし⋯⋯特に、やりたいことも、ない」


 そして、ジョーカーから出てきたのは身も蓋もない言葉だった。


「というより、私に、出来るのか⋯⋯⋯⋯力も、少しずつ抜けていく気が、する」

「力って、魔法の?」


 ジョーカーは節目がちに頷いた。

 シンイチロウはあやかを見る。


「そりゃそうだ。コイツの魔力源は俺様だぜ? 俺様が魔力を失ってんなら、自分を維持している魔力を使い果たして消えてくだけだぞ」


 シンイチロウは頭を抱えた。その頭をジョーカーの小さな手がさすってあげる。


「⋯⋯大丈夫?」

「⋯⋯ありがとう。でも、大丈夫じゃないのは君の方なんだ」

「みたい⋯⋯です」


 ジョーカーも状況を理解したようだ。しかし、根本的な問題が立ちはだかる。


「でも、私は、出来ない⋯⋯やり方が、分からない」

「そうか、魔法の使い方すらまともに覚えていなかったから⋯⋯」

「いいぜ。ならお前は好きにしろ。俺様は魔法が無くたって戦ってみせる」


 あやかが飛ばした水鉄砲がジョーカーに直撃する。若干むっと表情をかげらしたジョーカーが、シンイチロウの腕に抱きつきながら陰に隠れる。


「君は古火竜レダを倒した。今ならもう、荒唐無稽とは笑わない」

「⋯⋯あんがとよ」


 あやかがふいと顔を背けた。しばしの沈黙が続く。重い空気の中、ジョーカーが水面をぱちゃぱちゃ揺らす音だけが響いた。



「⋯⋯⋯⋯本気、なの?」



 そして、沈黙を破ったのは隅っこで縮こまるレダだった。


「なんとなく、状況は把握したわ。あの『時空竜』に一撃を加えたというのならば、その魔法とやらの実力は申し分ないでしょうね。けど、それを抜かしたら貴女はただの人間なのでしょう?」

「ただの人間が弱いとは言わせねえぜ。お前は負けたんだ」


 レダには、竜種としての屈強な肉体ではなく、爆縮のブレス・氷縮の吸気・ブランジミストといった恐るべき能力があった。

 だが、それでも力は足りていないと感じた。だからこそ「原初の火種」という更なる力を欲していたのだ。


「現実的な話よ。人間の種としての肉体強度がどの程度なのかを考えなさい。貴女は確かに強い。でもね、⋯⋯それが人間の種としての強さだと私は思うの」


 レダは顔に大きく刻まれた「×」の傷跡を撫でた。


「貴女が戦う敵は、ここで聞いた話での推測でしかないけれど、それでも私なんかよりも圧倒的な脅威なの。魔法を失ったまま挑むというのなら⋯⋯新しい力でも見つけるべきだわ」


 あやかの表情は変わらない。いや、彼女は情念を失っているのだ。それが自然な機微であるはず。

 しかし、繕うことだけはいくらでも出来る。ここまで共に戦ってきたシンイチロウであれば断言できる。


はさ、でもずっとこの戦い方のつもりだぜ?」


 高月あやかにとって、魔法とは自身の一要素に過ぎない。『増幅』の固有魔法フェルラーゲンは、その力を目の当たりにした者であれば間違いなく脅威と思うだろう。

 それでも、あやかにとっては決して軸となるようなものではなかった。あらゆる情念を魔力に変換可能な特異体質も、彼女にとっては枝葉でしかない。


「どれだけ能力を拡張しても、戦うのは自分だ。自分自身が強くなんなきゃ、どんな力を身につけても勝てねえぜ」

「…………そこまで言うのであれば、よいでしょう」


 あやかの言葉に、レダはどこか思うところがあったようだ。ぶくぶくとお湯に口を沈めていく。これ以上の問答は行わない意思表示だろうか。


「で。現実的な問題、この子が君の魔法を復活させられない現状どう動くつもりなんだい? 次の目的地は?」

贖都しょくとエテメナンキ。そこに行くまでに茶々を入れられないように、このリージョンの主とやらを倒したんだからな」

「……そこはリージョンとしての有用性は見られなかったという評価と記憶しているけど。これもモンセーさんから?」

「うんや。これは独自情報」


 あやかが口元で人差指を立てる。彼女がアークアーカイブスにて入手した情報はこの世界にとってはまさに秘中の秘であった。


「どうやら、この世界とは別の神とやらが本格的に侵攻をかけにくるらしくてよ。俺様はソイツをぶちのめすのが役目なんだぜ」


 シンイチロウは何も言わないまま身を寄せてくるジョーカーの頭を撫でた。噂くらいは、流石に知っている。だが、あくまでも一時的にこの世界にいるだけの『トランプ』が積極的に手を出す必要性は皆無だった。


『それについては動きがあるよぉん┗(゚ Д゚ )┛ワッショイ ┗( ゚Д ゚)┛ワッショイ ┗(゚ Д゚ )┛オマツリダー』


 大浴場の窓に、やたらテンション高めな水文字が浮かび上がった。何も知らないレダの肩がびくりと跳ねる。


「ほう! これはかくかくしかじか……」

「四角いムー――――てやかましいわ!」


 シンイチロウのノリ突っ込み。


「さぁて、どうする? 俺様はもちろん乗るぜ!」


 言いながら、あやかは隅っこで口まで浸かっているレダに視線を送る。古火竜レダに参戦拒否の自由は無い。だから、彼女が問うのはシンイチロウとジョーカーの二人。


「行ってやる理由は無い……けどまぁ、義理だけならあるか」

「……ミブさんが、行くなら…………私も」

『ファイトー> ٩(,,•ω•,,)و⚑⁎∗』

「嬉しそうですね、ビルさん…………」


 シンイチロウの苦笑は、それでも満更では無かった。不吉な黒、ジョーカーは行かなければならない。他ならぬ彼自身がそう感じたのだ。彼女は自身の存在意義を模索し、選択をしなければならない。そんな予感があった。



(まあ、なんだ……ここまで懐いてくれちゃってるし、放っておけはしないかな)







 そうして。

 ビルの屋上、わざと目立つ位置に四人の姿はあった。


「うおぉお! でっけえ!!」

「いや、君、その格好は正気なのか…………?」


 レダとの激戦で仮面を粉々にされたあやかは、妙に彫りが深いひょっとこの仮面を身につけていた。こっちを真っ直ぐ見られると絶妙に怖い。

 ビルさんの悪ふざけで渡されたこの仮面も、あやかはノリノリで装着している。しまいにはスケッチブックにでかでかと「ヒッチハイク!」と殴り書きで主張している始末だった。


「ほう、これが人間の手で…………」


 レダの声色に関心の色が灯る。彼女はあやかの命令で、戦闘時以外ではなるべく人間形態と取るようにしていた。脅威の露出度にシンイチロウが無理矢理コートを羽織らせている。結果、余計に危うくなってしまったが。


「…………………」


 そして、黒いワンピースのジョーカーは無表情に飛行船を見上げていた。

 この飛行船がもたらす大混乱には、全くの無頓着のまま――――――



※南木様へ

大変お待たせしました!

こちらで合流お願いいたします!

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