vs 古火竜レダ(後)

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯?」


 ジョーカーは身震いしながら目を開いた。極寒の大気に肺をかれる。意識が飛んだのはほんの数十秒だった。しかし、その間に周囲の景色は変貌してしまっている。現状を夢と思わなかったのは身を巻くなけなしの温もりがあったからだ。


「⋯⋯無事、かい?」

「ミブさん⋯⋯⋯⋯」


 彼が吐く息は、赤くて白い。このリージョンは業火噴き荒れる煉獄の谷。そんなリージョンに似つかわしくない吹き荒れる猛吹雪から身を呈して、ジョーカーを守っていたのだ。

 レダが放った爆縮のブレスは愛銃エボニーの『閾祁討閃いっきとうせん』で威力を削ったが、レダ自身の能力以上の威力を発揮したブレスの相殺には至らなかった。庇ったシンイチロウも、庇われたジョーカーも、ダメージはかなりのものだ。


「ごめん、なさい⋯⋯私、なんかを⋯⋯⋯⋯」

「いいんだ。君が無事で僕は嬉しいよ。これくらいで倒れるほどヤワな修羅場を潜っていないから⋯⋯まあ、心配しないでいいさ」


 恭しく立ち上がらせる彼の仕草に、ジョーカーは小さく頭を下げる。その頬は少し赤い。だが、決して安心できる局面ではなかった。視界が悪い猛吹雪を割って、女のシルエットが浮かび上がる。


「へえ――二人も生き延びたんだ。見事ね。今のは私の渾身の一撃だったのに」


 部分的に青いメッシュが入った赤い髪を、後ろで太く束ねた大人の女性。顔に大きく刻まれた「×」の傷跡を撫でながら、不敵な笑みを浮かべている。古火竜レダ、その人化形態。

 あまり人化形態に慣れていないのだろう。足や手は竜のモノのままで、衣服も身に付けずに胸と下腹を赤い鱗で覆うだけだ。その背中の赤い翼がはためくのと同時、周囲から凄まじい熱量が雪崩れ込む。


「⋯⋯熱か。吸収と放出、それが脅威の本質だ」

「ご明察。これで分かったでしょう? 脆弱なヒトの身で小細工を弄したところで、竜種に対抗なんて出来ないのよ」


 爆縮と氷縮。熱エネルギーの吸収と放出。

 世界の物理法則を操作するほどの、まさに天変地異。大自然の覇者たる竜種の能力としては申し分ない。だが、相対するシンイチロウの表情には笑みが浮かんだままだ。


「渾身の一撃、だっけ? その言葉に偽りはないね?」

「⋯⋯どういう意味だ」


 レダの言葉に、シンイチロウは不敵な笑みを浮かべたまま愛銃アイボリーを構える。レダは大きく息を吸い込んだ。

 氷縮の吸気。

 周囲の熱エネルギーを吸収し、再び極寒の大気が降り満ちる。シンイチロウは銃口を上に向けた。即座に発泡。無傷のレダが大きく笑う。


「足掻きは無駄。大人しく蹂躙されなさい」

「いいや、喰らいつくね!」


 火傷と凍傷と打撲と裂傷と――――とにかくズタボロな少女の姿。

 焼け崩れた仮面の残骸が、熱気と冷気の狭間で浮き上がる。明かされた素顔を見て、レダはゴクリと唾を飲み込んだ。


「はっ――まさか『化け物』の類だなんて、侮ったわ」

「失礼だなぁ、セクシーな姉ちゃん! 俺様はれっきとした『人間』、高月あやか様だぜ!」

「まさか、君が⋯⋯⋯⋯?」


 マギア・ヒーロー、高月あやか。

 シンイチロウは、彼女の存在を知っていた。宇宙大将軍が率いる『完全者』討滅の中心人物であり、かの廃都時空戦役でも活躍した異世界人。『トランプ』の組織でもその存在は知られており、『悪竜王』がここ数日で使役し始めた黒い影の大元として、と認知されていた。

 だが、その顔は異様だった。艶やかな黒髪は乾いた白髪に変貌し、額から目元にかけて黒いヒビが入っていた。その眼球は漆黒で、どんよりと濁った柘榴ざくろ色の瞳が揺れている。


「⋯⋯そう、失礼したわね」

「いいぜ。これから無茶苦茶失礼するからな!」


 少女の異様な姿に何かを感じたか、レダは素直に引き下がった。そして、これだけの傷を負ってなお構えを崩さない彼女に対して、もはや油断は無かった。レダの筋肉が膨張し、竜としての強靭な鱗が――――竜化、キャンセル。

 頭上スレスレに弾丸が通り抜けたから。


「チッ!! 外したか!?」

「⋯⋯⋯⋯さっきの銃弾か」


 外したのではなく、『時空』の固有魔法フェルラーゲンを併用した時間差攻撃。レダからブランジミストの能力を封じた『封凛禍散ふうりんかざん』の弾丸だ。


「次に封じるのはそのご自慢のブレスだ。ブレスを封じたエボニーの弾丸は何度も撃てないが、アイボリーの弾丸は連射可能だ⋯⋯覚えおけよ」

「⋯⋯見え見えの挑発ね。そんなもので私の気を引こうっていうの?」


 目前の化け物少女は、レダに向かってくる勝算があるらしい。シンイチロウがその勝率を少しでも上げようと姑息な企みを抱いていることはすぐに見抜いた⋯⋯見抜いてしまった。それこそが彼の術中とは知らずに。

 大型拳銃アイボニーの特殊能力『封凛禍散ふうりんかざん』。

 特殊能力を封じられるのは、。要するにハッタリで気を引いただけだった。それでも、少しでも集中を削ぐことができれば。


(『時空』の魔法の本質までは見抜かれていないはずだ⋯⋯少しでも集中力を削る。重荷を背負わされるようで申し訳ないけど、大きな口を叩いた分は頑張ってもらうよ⋯⋯)

「ありがとよ、シンイチロウ」


 そのささやかな気遣いに、あやかは表情を変えないまま礼を言った。情念の動きをエネルギーとする彼女は、しかし感情を全く感じさせない表情のまま戦う姿勢を崩さない。

 情念を魔法と為すマギアであれど、高月あやか個人の実力はそれだけに留まらなかった。魔法はまだ使えるジョーカーも、もうまともに戦える状態ではない。シンイチロウの役目は彼女を守りながら、あやかの援護に徹することだ。


「単純に利用してやるだけのつもりだったが⋯⋯今は普通に尊敬してるぜ」

(消えた⋯⋯?)


 それはレダの感想だ。少し離れた位置にいるシンイチロウにはその全容が見えていた。初動で死角に潜り込んだ。あやかは既にレダの右膝にキスするほどの間合いに迫っている。

 ほとんど地面と並行な姿勢のままのタックル。人化形態のレダを地面に組み伏せ、ブレスを警戒してか顎を蹴り上げて強引に口を封じる。


「いいわ――――とても、いい」


 膝蹴りで拘束を解き、レダは悠々と口を開く。『封凛禍散ふうりんかざん』の弾丸が断続的に襲いかかるが、どれも竜化を警戒する軌道で(表向きの)狙いは見え見えだ。警戒を割かざるを得ない状況ではあるが、それでも古火竜を脅かすには遠い。


「ここまで滾るのは、いつぶりかしら…………あぁ、もっと私を滾らせて」


 打撃で沈めにくる化物少女に向けて、レダは高らかに言い放った。化物少女は何も言わない。打撃の応酬に、流石に人化形態のままではマトモに食らえないと判断したレダがガードを固める。


「っ!?」


 レダがつんのめる。痛みは、足。打撃のための踏み込みと見せかけた足指潰し。体勢を大きく崩したレダを、あやかの背中が大きく弾き飛ばした。まともに受け身も取れずに背中から叩きつけられるレダ。その目前には、ほとんどドロップキックのような踏み付けストンピングが。


「なりふり構わないのね⋯⋯」


 レダは腹筋に力を入れた。あやかの足が鋼鉄のような感触を認識する。攻撃した側の骨にヒビが入るような肉体強度。竜と人との圧倒的な種としての差。

 レダは大きく息を吸い込む。氷縮の吸気。当然あやかは封じようと顔を狙う。その腹にレダの膝蹴りが突き刺さった。

 竜としての聴覚が銃声を捉える。追撃を止めた目前に『封凛禍散ふうりんかざん』の弾丸が通り過ぎた。


「⋯⋯嫌な戦いだわ」

「悪ぃが、俺様も必死なんだ」


 声は背後から。気配は全く掴めていなかった。足運びと呼吸の間断。脇腹を突き抜ける拳撃は、流石に応えた。だが、致命傷にはならない。


「入ったぜ⋯⋯!」

(この程度で)


 思考は続かなかった。

 咄嗟に捩った身体の動きを先読みしたかのような追撃。


「『機神』も、『悪竜王』にも勝てなかった。でも、随分と学ばせてもらったぜ。今なら、もしかしたら――――⋯⋯」


 『時空』の魔法で拘束しようとするジョーカーを、シンイチロウは手で制した。その手は小刻みに震えている。彼にだけは全てが見えていた。

 1秒遅れて、古火竜レダの肉体は横倒しになった。レダの動きへのカウンターのように放たれた掌底。あやかの一撃が顎下から斜めに突き上がっていた。


「⋯⋯君。もしレダが竜形態だったとして――同じことが出来たかい?」

「無理だな! 今は、な」


 鎧通し。拳撃のインパクトを脳そのものに炸裂させた。言葉にすれば簡単なことだ。しかし、それでも、それがどれほど荒唐無稽の一撃だったのか、シンイチロウほどの実力者だからこそ認識出来る。


(達人技⋯⋯いや、まさにか。こうして目の前で見ても信じられない)


 全身からの出血が激しい。そんなあやかは、それでもしっかりと立っている。ぐったりと立ち上がらないレダとは対照的で、それは即ち。


「俺様の――勝ち」


 人が、竜を、超えた瞬間だった。

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