vs 古火竜レダ(前)
【エリア6-5:煉獄の谷】
「どういうことなの、これは⋯⋯?」
困惑の声を上げるのは、『古火竜』の名を冠する体長20メートル以上の竜だった。竜形態でありながら見目は大変麗しい。そして、その顔に大きく刻まれた「×」の傷跡には、それも彼女の魅力と思わせるようなアクセントになっていた。
そんな彼女の目前に聳え立つのは、五十階建ての高層ビルそのもの。
「こんなに頑丈だなんて⋯⋯!」
無論、永久に業火が噴出し続けるこの灼熱のリージョンでまともに人が住めるはずもない。そこそこ長い間このリージョンを根城にしていた古火竜レダは、こんなものがこの場に存在していなかったことは百も承知だ。そもそも、ここまで爆縮のブレスを受けて無事な建造物なんて人の手で作られたとは思えない。しかも余裕で再生しているし。
だが、彼女は知っていた。
とある目的でこの世界の実情を探っていた彼女は、異界から渡った人の種が『トランプ』なる相互互助組織を立ち上げ、この世界でも活動している情報を掴んでいる。それだけではない。竜種の中でも名が知れ渡っている『黒竜王』や『悪竜王』、それに異界の様々な勢力が歪に蠢いている現状も。
「あなたは――――取るに足らない小粒の方かしら?」
長い黒髪が熱風に揺れる。その奥に浮かぶ双眸には、不吉の気が色濃く出ていた。黒の少女は敵の言葉には構わず、虚空から取り出した小銃を無言で向ける。
歪曲永劫ショッキングショット。
たかが鉛玉に古火竜の鱗が撃ち抜けるとは思わないが、何らかの能力もしくは特殊な素材の弾丸である可能性は十分考えられる。人の種が生んだ姑息な竜特攻の類であれば、警戒は必要だった。
「ん⋯⋯? ああ、あなたも生きていたのね」
背後から襲いかかる少女を尻尾で叩き潰す。手応えは薄い。ほぼ直撃だったはずだが、うまく受け流されたみたいだった。
「かわいそうな子たち。この古火竜レダと対するだなんて……あなたたちはこれから、ドロドロに溶けて何も残らないのよ」
銃声。反動でジョーカーの身体が仰け反った。レダの動体視力はその弾丸の軌道を読み取る。だが、それ故に。
(消えた⋯⋯? でも、関係ない)
ブランジミスト。
地面から噴出させた可燃性の液体が、想定外の方向から飛来する弾丸を焼け溶かす。だが、レダの口から漏れ出る爆縮の残滓が引火して、辺り一面に大爆発を引き起こした。
「は――――っ」
古火竜の下腹、潜り込んだ仮面少女が勢いよくトンファーを突き上げた。対するレダは単純に足を畳む。単に座るような仕草。弱く、脆い、人の肉体。自重で踏み潰すだけだ。
「ひゅう♪ やっぱりドラゴンはすっげえな! スケールが違う!」
目前で構える仮面少女と、彼女の背に手を当て、隠れるように棒立ちになっている黒の少女。仮面はともかく、不吉な黒には傷一つ無かった。
「姑息。ま、弱いのだから致し方ないわね。せいぜい足掻いて私を楽しませなさい」
爆縮のブレス。
強者に小細工は不要。
圧倒的な火力で灰塵と果すまで。
(これは⋯⋯⋯⋯?)
しかし、その目前で空間がぐにゃりと歪んだ。不吉の黒がその手を開く。歪んで接続された先は、あのビルの窓に腰掛けたシンイチロウの姿。
彼は、大型拳銃エボニーの引き金を引いた。発揮される『
そして、その先。
「セオリーは、ここだな」
レダがブレスを吐くために開いた大口に突っ掛けるように、仮面少女はトンファーを縦に捻じ込んでいた。顎の力に任せて砕こうとするレダだが、特殊な素材で生成されたトンファーは一筋縄では砕けない。
「ほぉんな、ふぉざいくで⋯⋯⋯⋯!」
喉の奥、爆縮のエネルギーが煌々と輝き始める。
「やばっ」
もう一本のトンファーを奥に叩き付け、無駄に牙の一つを蹴り飛ばしながらレダの口から転がり落ちる。咄嗟の衝撃に真下を向いてしまったレダは、自身の足元に高火力のレーザーを放ってしまう。
「⋯⋯⋯⋯決まった?」
棒立ちのジョーカーは、大きく下がった仮面少女に言葉を投げる。大きく抉れた大地はみるみるうちにマグマのプールに変わり、有毒ガスに引火して小規模な爆発を連発している。
「いや、向こうのターンだ!」
極温適応。人の身であるシンイチロウや仮面少女ですら耐えているのだ。生態系の頂点に座す竜種が耐えきれない道理がない。
「――――いいでしょう」
大地を砕くように飛翔する古火竜が、しかし攻撃の矛先を見失う。
「これは……」
頭上。ジョーカーが両手にそれぞれ握った小銃を頭蓋に放つ。だが、弾丸はレダの皮膚を僅かに裂くに留まる。ジョーカーの表情が初めて揺らいだ。
「脆弱。まさかわずかな竜特攻すらないとはね!」
間欠泉の熱水を自分目掛けて放つ。ブレスをさっきと同じ方法で封殺しようと右翼の付け根に潜んでいた仮面少女が、慌てて離脱した。
そして、レダが真下に放った爆縮のブレスが爆炎を撒き散らす。
「あら、ようやく見えたわ」
爆風が不自然に歪んでいた。隔てた空間に守られるジョーカーの能力とみて間違いないだろう。レダは屈強な両腕を伸ばし、歪んだ空間ごと締め上げる。
「やべえ!」
武器を失って丸腰になった仮面少女が爆風を縫って飛び出した。そのちっぽけな拳は意にも介されない。
だが、彼女が放つ掌底は竜の腕を痺れさせた。片腕の力が緩み、その隙間からジョーカーが脱出する。
「ほう」
頑強な竜の鱗を砕いたわけではない。打撃のインパクトを骨肉に炸裂させただけだ。凄まじい達人技であることには違いないが。
「だが悲しいなぁ――――非力が過ぎるわ」
この程度、ダメージにすらならない。竜の体躯、その質量と強靱さから放たれる隕石のようなパンチが少女を襲う。捉えたものと思ったが、その拳は大地に突き刺さっていた。
「いなしたか。少しは私を熱くさせてくれそうね」
焦げつく魔法装束を押さえるジョーカーが、仮面少女の後ろに立つ。そして、仮面の下から覗く挑発的な笑みがレダを苛立たせた。
「はっ――――よかったなぁ! 俺様たちの誰もが竜特攻を持っていなくて!」
「……口は減らないようね」
口内で焼け残ったトンファーの残骸を吐き捨てる。よほど頑強な鉱物を加工して出来た武器なのであろう。しかし、古火竜レダの火力からしてみれば塵芥に等しい。
「いいわ、来なさい。それとも――――大きな口を叩いて攻めあぐねでもしているの?」
背後に隠れるジョーカーが素直に頷いた。レダの表情に呆れが浮かんだ。
「準備に時間がかかるから」
同時、二人の姿が消える。
まるで、映画のフィルムをそこだけ切り取ったかのようだった。
「私、こういうチマチマした戦いはあまり好きではないのよね……」
レダは両翼を勢い良く広げた。姿を眩ました少女二人がその風圧に吹き飛ばされる。流石に時間を止めて移動していたことまでは見抜いていないようだったが、何かしらの方法で瞬間移動する能力であることには気付いている。
だが、関係ない。空間を隔てて襲いかかる銃弾の群れをまともに受けるが、無傷。その程度の鉛玉であれば、煉獄の谷の火柱の方がまだ脅威があるだろう。もっとも、どちらも効かないが。
「さっきの男はどうしたの? ダメじゃない、女の子に前線任せて自分は隠れていちゃ。あなただけは少し期待できそうなのよ?」
さっきの、爆縮のブレスを相殺した一撃。アレはよかった。滾った。だから待ったのだ。しかし、丸々一分以上待っても次撃が来る気配はない。
レダは自分が落とせなかったビルに視線を向ける。あれほどの防御能力を有していて、攻撃に転じる気配は全くなかった。今はもう、レダの興味も薄れていた。
懲りずに飛びかかってくる少女二人を適当にあしらいながら、レダはぼぅっと遠くを見渡している。明らかに戦いに集中していない。
(原初の火種――――この感じだと、もう見つかりそうもないわね……何のために、私はここにいるのかしら…………)
憂いに満ちた目で、古火竜レダは雑にブランジミストを撒き散らす。
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