女神、つよい
【ホテル「阿房宮」】
「ただいま、真由美ちゃん!」
「おかえり、なさい⋯⋯?」
米津翁の修行から戻ってきた遥加を出迎える真由美は、主の変貌ぶりに言葉を無くしていた。細く、華奢で、儚げな印象の白い少女。そんな彼女は今やガッシリした体付きで、ブレぬ体幹と立ち振る舞いから異様な威圧感を醸し出していた。
フシュー、と。
彼女の筋肉に振り降りた朝露が蒸気と果てた。少女の筋肉に秘めた熱量が起こした現象だ。
「あの、遥加さん⋯⋯ステロイドの投薬は、その、成長期の肉体にはあまり「自前だよ! 失礼しちゃう!」
ぷんすかしながらサイドチェストのボディビルポーズを決める遥加。衣服の下からでも確かな筋肉の隆起を感じられて、真由美は引き気味で苦笑いを浮かべた。
「⋯⋯随分、鍛え直したようね」
「マルシャンスさん! お久しぶり⋯⋯あ、一日ぶりか」
てへぺろー、とわざとらしくあざといポーズを取る遥加。マルシャンスの表情は仮面に隔たれて確認できない。
「じゃ! マルシャンスさん、お弓の稽古お願い!」
「⋯⋯一日くらい休んだら?」
「今の私がマルシャンスさんのお眼鏡に叶うかどうか見てみたいの!」
はしゃいでいる仕草は一見微笑ましくもなりそうだが、その実情を知っているマルシャンスと真由美は少しも笑えなかった。
(焦っているのね⋯⋯)
純粋な感想として、真由美はそう感じた。
状況が状況だ。一人足止めに残った高月あやかが『悪竜王』を打倒出来たという楽観は微塵もない。基礎鍛錬とマルシャンスとの模擬戦を経ていた真由美は、その間に米津元帥が率いる軍部に慌ただしい動きがあったことを雰囲気から掴んでいる。どうやら、『悪竜王』が打った手であるらしいことも。
(遥加さんは正面からの一騎打ちでこの人を破ったらしいけれど、やっぱり私にはまだまだ厳しい。経験値や立ち回り⋯⋯そういう総合力がまだまだ私には足りていない。私じゃ、今はまだアリスのお役には立てない)
『悪竜王』とは別に、『黒龍王』という存在が脅威として台頭していることも聞いている。さらに『宇宙大将軍』の背後に控える脅威の存在。あの『廃都時空戦役』で共に戦った面々も、既に次の戦場に赴いている。
そんな状況で、遥加も、真由美も、自分たちが足手纏いにしかなっていないことには自覚的だった。情念を失っている遥加には、真由美が抱くひりつくような危機感への焦りは感じていないだろう。しかし、状況を鑑みて、一刻も早い戦線復帰が必要な事実は、彼女も重々承知しているはずだ。
「⋯⋯それで、貴女の気が済むのなら」
「ふっふっふ! 私のパワーアップを知ったら、マルシャンスさんも驚いちゃうよ!」
一日、たった一日だ。少なくとも彼らの認識としては。
見た目からして基礎鍛錬は十分過ぎるほど積んでいるようだったが、それでもこの短期間で本人が豪語するような劇的なパワーアップは考えにくい。そもそもの話、マギアになる前から強過ぎたあの怪物少女と違って、遥加は生身での戦いなんて経験は皆無だったはずだ。
♪
ホテル内に、弓道場があった。
本格的な道場もあったのだ。それに、様々な世界の文化を取り入れて出鱈目に発展していったのがこの世界だ。真由美にはもはや突っ込む気力も湧いてこない。
(私の実家にあったのより、もっとずっと本格的ね⋯⋯⋯⋯)
このホテルのオーナーが、真由美がいた世界とは異なる日本から来ていることは風の噂で知っていた。これでも元は良家のお嬢様だった真由美は、習い事で弓道も少しはかじっている。
「60m、らしいわ。子どもの腕力では厳しいかもしれないけれど、今の貴女でどれだけ的に届かせられるのかを見せて欲しい」
マルシャンスは、引き抜いた大弓をその勢いのまま二射連続で放つ。一射目が的の中央を射抜き、もう一射がその矢を弾き飛ばして的を空ける。
弓道をほんの少しだけかじっている真由美が息を呑んだ。当然ながら、半分の距離でも真由美の素の腕力では届くか怪しい。それを、構えもなしにあれだけの達人技を。
(これが、本物の戦場に身を置いている人たちの実力⋯⋯!)
「うん、分かった!」
戦慄に震える真由美とは対照的に、遥加はのんきな笑顔を浮かべていた。彼女との付き合いが長い真由美は、やはり作っている感じを払拭できなかったが、演技をするだけの余裕はあるということだった。
渡された十本の矢。一本でも的に刺されば脅威的だろう。だが、この少女がそれぐらいのことは成し遂げるだろうという奇妙な確信が、真由美とマルシャンスの中にはあった。それでも、想像が及んだのはせいぜいそれくらいだった。
「バッドデイさん、すごいよね。質の良さだけじゃない。ちゃんと私に合った弓を選んでくれているって、米津先生も絶賛だったよ」
何気ない所作。十本の弓を一度に
「え、十連射⋯⋯?」
放ったのは、同時ではなかった。辛うじて目に追える速度での連射。実は、マルシャンスであれば同じことは出来る。だが、恐るべきは。
「魔法、戻って「ないよ?」⋯⋯はぁ?」
真由美が間抜けな声を上げた。
十本の矢の内、的に刺さっているのは一本だけだった。あくまでも、的には。的の中心を射抜いた一射。その矢に次の一射が正確に突き刺さっていた。それが十本分。正確に心中を射抜かれたためか、連結した矢は的に対して寸分狂いなく水平に伸びている。
「どう、マルシャンスさん?」
「いいじゃない? アタシに教えられることは、ないわね」
投げやりにマルシャンスは言った。
「その実力があれば、生身でも問題ないわ。もちろん、陛下や『黒竜王』に対抗するにはまだまだ力不足でしょうね。でも⋯⋯それはアタシも同じだから」
「やった、マルシャンスさんのお墨付き!」
大袈裟にはしゃぐ遥加を、真由美は引き気味に見ていた。
(やっぱり、自力でなんとかしてしまう⋯⋯高月さんも、きっとそう。だから、私がすべきことは、きっと――――)
「ねえ、真由美ちゃん! 私とマルシャンスさんは『危機』に対抗するために打って出るけど、一緒に来ない?」
「行きません」
まさか、断られるとは思っていなかったのだろう。誘ったままの姿勢で遥加が固まっていた。
「何もかも自力でどうにかしてしまう貴女に付いていったところで、あまり意味はないでしょう」
「え⋯⋯?」
「ああ、そんな顔しないでください⋯⋯私は、私にしか出来ないことをやります」
本当の意味で、隣に並び立つのであれば。
「ちゃんと追いつくので、ご心配なく」
強気に言ってのける真由美に、遥加は力強く抱き着いた。凄まじい圧力だったが、真由美もこの世界で随分と鍛え抜かれた。抱き返す力を、強く、強く、返す。
こうして、修行パートは終わった。
復帰した少女たちは――――より一層過酷な戦場に足を踏み出す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます