女神、敗走の果てに
【エリア1-1:クリアウォーター海岸】
悪竜王の魔の手から逃げ切るためには、セントラルではダメだった。むしろ下手に追いつかれてしまったら未曾有の大災害に発展してしまうだろう。逃げ込むにしても、最低限悪竜王を追い返せるほどの戦力を有している必要がある。
そんなマルシャンスの分析に従い、バッドデイはとあるホテルに逃げ果せていた。真由美が、というより三人でチェックインしているホテルだ。先の廃都時空戦役で部隊を率いていた指揮官たちが経営に携わっているらしい。
「………………」
意識を取り戻した真由美は、自分のベッドからはとっとと抜け出して、隣のベッドに横たわる遥加の様子を見ていた。治療の環境は卓越していた。見るからに重体だった少女は、今や穏やかな寝息を立てるくらいに回復している。
「……私、なにもできなかった」
遥加の白髪を、自分の指に巻き付ける。事の顛末はマルシャンスから聞いていた。悪竜王が警戒していた『浄化』の
――――コン、コン、コン
小さなノックの音。真由美は遥加の頭を小さく撫でると部屋の外に出る。すぐ外には今や見慣れた仮面の男がいた。
「あの子は?」
「ぐっすり眠ってます。貴方から聞いた話の通りだと、あそこに行くまでもずっと強行軍じゃないですか。どうしてそんな無茶をさせたんですか」
「それを言われると、面目がないわね……本当にごめんなさい」
冷ややかな真由美の声に、マルシャンスは頭を下げた。このやり取りももう何度目だろうか。真由美は小さく溜息を吐いた。
「大丈夫? 疲れてない? 飲み物持ってきたわ」
「……いただきます」
ホテルの売店に並んでいたジュースだ。ちょうど喉が渇いていたし、粘ついた口内も少しはさっぱりした。気が利く男であるのが、かえって真由美の心をイラつかせる。
重い沈黙が再び落ちた。
「おいおい暗いぜお二人さん!」
そんな二人に割って入ったのは、狂乱の運び屋バッドデイ。彼は間が悪く、ちょうど三人分の飲み物を持ってきていた。視線が刺さる。
「お、俺の分だよ!?」
強炭酸の栄養ドリンクをまとめて口に放り込むタフガイに、真由美とマルシャンスは揃って頭を抱えた。
「へい! 実は仲良いんじゃないの、オタクら!」
「別に喧嘩してるわけじゃないよの……ややこしくしないで」
「あの、叶さん寝てるのでちょっと音量落としてください」
「やっぱ仲良しなんじゃねえか……」
バッドデイは部屋のドアを見た。真由美は、淑女の寝室に野郎どもを頑として入れたがらなかった。
「そろそろ元気出せよ。命に別状は無かったんだろう?」
「あたりまえです」
睨み付けるような少女の仕草に、バッドデイは肩を竦めた。
「アナタも見たんでしょう……?」
「ああ、まあそうだな」
無事として素直に喜べない理由。
それは叶遥加の変わり果てた姿にあった。
その双眸からは光が失われ、目元には大きな隈ができている。それに、顔からは生気が失われ、まるで死人のような相貌だった。瞳孔反応はあるため視力を失っているわけではなく、バイタルも健康そのものとの診断結果ではあった。だが、肉体よりももっと深刻な傷を負っていることは見て取れる。
「ネガ読み」
ぽつりと真由美が声を落とした。言うか言うまいか、これまで逡巡していた。これは、彼女たちの存在の根幹に関わることだった。
『原因は、もう分かっている』
突如頭の中に響いた言葉に、マルシャンスとバッドデイが動揺した。
『幻聴です……幻聴を引き起こす魔法を使って、貴方たちに話しかけています。一方通行なので、聞いて、そのまま飲み込んでください。他の方には知られたくありません。あの方が――アリスが信用したお二方だからこそお話しします』
二人は黙って頷いた。
『悪竜王のブレスを防いだのは、ネガの結界に引きずり込んだに過ぎない。隔絶された異界で、あの方のネガは悪竜王のブレスをその身で受けた』
思い返す。忽然と消えたハイネとあやかの姿。同じ現象であることは想像に難くない。
『ネガは人の呪詛や欲望の具象。そして、私たちにとっては情念の原動力でもある。あの方のネガがどういうものだったのか、私は……ううん、誰も知らない。でも、叶さんの心そのものであることには変わりないの』
そこまでの説明で、二人はようやく状況を飲み込めた。具象化した遥加の心そのものを、あの悪辣なブレスは苛んだのだ。肉体の傷は癒やせても、心の傷は果たして癒やせるのだろうか。
いや、最早そんな次元の話ではないだろう。
『心が
二人は、真由美の肩に手を乗せて止めようとした。表情を変えないままとどめなく涙を溢している少女は、言った。
「そんなの――――ただの廃人よ」
同時、大きな物音に三人とも同じ場所を見た。彼女らがチェックインしている部屋のドアだ。真由美がすかさず大きめにノックをして十秒、何も反応がない。
「入ります!!」
大声とともに部屋に転がり込んだ真由美は、まず大きく開かれた窓を見た。続いてもぬけの殻になっているベッドを。そう認識した時にはもうマルシャンスは窓から飛び降りて、バッドデイは外から回り込もうとドアから飛び出していった。
「ここ十階よ!?」
言って、真由美も窓から外に飛び降りる。壁を伝いながら勢いを殺して落下しているマルシャンスに呆れながら、『創造』の魔法で二人分のクッションを生み出した。
「ありがとう」
「……どうも」
少し走って、遥加の姿はすぐに見つかった。ホテル裏の小さな公園で、なんか大きなブランコに乗ってはしゃいでいた。しかも、その恰好はいつの間に着替えたのか、シャツの上から黄色いブラウス赤いチョッキと赤いロングスカートといった、まるでスイスの民族衣装のようなよそよいだった。
「ヤッホーー! 低燃費ーー!」
「……廃人じゃなくてハ〇ジじゃない」
「……貴方はそれを知ってたらダメでしょ、世界観的に」
目に光はないものの、その姿は元気そのものに見える。マルシャンスはふとすぐそばに控えていた小柄なボーイに近寄った。
「貴方のお名前は?」
「ペヱターでございます」
「やっぱりハイ「やめて、それ以上喋らないでください」
「おおーい! なんだ大丈夫そうだなあ!」
階段を駆け下りてここを探し当てたのだろう。車両だけでなく走りも速い男だった。だが、足元で寝そべっている大きな
「やっぱ「んん!!」
真由美の咳払いがマルシャンスの声を遮った。
そして、角から現れた浮遊車椅子に乗った少女が。
「おや、君は先の戦争での「このタイミングで出てこないでください!」ええぇ!?」
あんまりな扱いを受けたこの方こそ、先の廃都時空戦役にて大暴れした参謀長モンセーその人だった。セントラル行政府の財務委員、即ち真由美の
「モンセー参謀長、申し訳ございません!! いや、あの私その……!」
「落ち着き給え。君の活躍は千階堂から聞いているよ。この様子だと元気そうで何よりだ」
見るからにボロボロのモンセー参謀長が皮肉交じりで呟いた。真由美は顔を青くして震えている。
「まったく、何してるんじゃい……参謀長、セントラルへの飛行の準備ができましたぞ」
「……ああ、助かる」
その後ろから現れたのはおんじもとい米津玄公斎元帥その人である。なんでもホテルで覗き騒ぎがあったらしく珍しく不機嫌だったみたいだが、それを知らない真由美は雰囲気をなんとなく察して冷や汗だらだらである。
彼は去り際、謎にはしゃぐ遥加をじっと見つめていた。時間にしてはわずか数秒か。だが、その時間で遥加はぷいっと視線を逸らした。玄公斎はそのままモンセーを飛行艇まで送り届ける。
その姿が視界から消えた時、遥加はぽつりと呟いた。
――――バレちゃったかな⋯⋯
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