vs悪竜王ハイネ(後)

 強引に悪竜王の加護を与えられたあやかは、そのまま泥の海から浮かんでこなかった。そして、その代わりに水面を突き破ってくる巨大な影。

 漆黒の汚泥から浮き上がる巨人を、ハイネは神妙な表情で見上げていた。無数の触腕が大波を作り、巨人の周囲で周遊する六つの眼球が異様な圧力を振り落とす。


「口惜しい⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯まさか、適合せなんだとはな」


 ハイネがぽつりと零した。その声色に乗る寂しさと落胆は、果たして本心からのものだったのだろうか。

 悪竜のブレス。群がる触腕が一掃される。

 だが、終わらない。新たに生えた触腕が漆黒の水面を叩く。揺れる。掴む。這い出る。そうして、泥の海から黒い少女が無数に湧き出てきた。その姿はあやかに瓜二つ。

 一斉に襲いかかってくる黒少女どもを、ハイネは軽い所作で薙ぎ払った。臆さず群がってくる黒少女の群れが、虫の如く蹴散らされる。悪竜王の一挙手一投足が、少女を次々と泥へと崩していく。


「死んでもうたか⋯⋯?」


 巨人が振り落とす腕を、ハイネは片手で受け止める。力が有り余っている。彼女が放つ悪意は未だ途切れていない。巨人の半身をブレスで消し飛ばして、ハイネはぐるりと当たりを見渡した。


「ははっ! 毒ごときで終わらず安心したぞ!」


 一周してまた前を見る、いた。虚ろな双眸でハイネを睨むあやか。その肉体は再生の途中だった。ハイネは首を傾げるも、すぐにその答えに至る。


「リロード⋯⋯リペア」

「後ろのデカいの、、ということじゃな?」


 無限に強くなり続けるあやかは、それ故にハイネの力を強化し続けた。そして、地力の差を覆す前に勝負が決した。

 少なくとも、ハイネはそう分析した。


「インパクト、キャノン⋯⋯!」

「⋯⋯もうよい」


 適当に跳ね除けた拳には目もくれず、極限まで膨れ上がった悪竜のブレスが巨人を消し飛ばした。六つの眼球は跡形もなく塵芥と化し、その奥に現れた三ツ目の球体にヒビが入る。

 そして、世界すら隔絶した結界が崩壊を始めた。


「⋯⋯しまった。随分と時間をかけてしまったのう。年甲斐もなく時間を忘れて遊び呆けてしまったわい」


 ハイネは崩壊を続ける結界を背に、自身が掌握しているエネミーから情報を探った。異界にヒビが入ったことで、ようやく元の世界とコンタクトを取ることが可能になったのだ。が、『浄化』の魔法の使い手の居場所は掴めない。完全に姿を眩ませてしまったようだ。


「⋯⋯アレが、ネガ。ということは、あの『浄化』がワシのブレスを消し飛ばせたのも結界とやらに引き摺り込んだだけか。であれば⋯⋯『浄化』の光はもはや警戒不要じゃな」

「――――おい、勝手に終わらせんな」


 声に振り返った直後、あやかの掌底がハイネに突き刺さった。衝撃は通った。この世界からも悪意の供給を受けていたが、あの漆黒の異界に比べたら未だ微々たるもの。


「こっの――」


 足を払われる。倒れかけるハイネは強引にブレスを放ち、あやかの身体を薙ぎ払う。そして、仰向けに倒れたあやかが動けないように足で踏みつけた。


「⋯⋯異世界ってすげえな。自分に並べる奴がいなかったなんて悩み、なんてちっぽけだったんだって実感しているよ」

「言い残すことはそれだけかの? ワシの血に適合できなかった以上、ここで容赦なく踏み砕くだけじゃよ?」

「そうか⋯⋯じゃあ、ちょっと聞いてく「やっぱやだ」


 そして、ハイネはそのままあやかの心臓を踏み潰した。


「時間稼ぎという役目はしっかり果たしよったか。これは一本取られたわ、い⋯⋯⋯⋯?」


 踏み砕いたはずの少女が、泥と溶けていく。そして結界が完全に崩壊したと同時、泥は完全に消滅した。

 ハイネは、その一連の現象をじっと見つめていた。何が起こったのかは理解している。だが、感情が追いつかない。あれほどの精神汚染の影響から一気に解放されたせいか、心の動きが鈍っているのかもしれない。


「やりおったわ、奴め⋯⋯⋯⋯まあよい。此度は存分に楽しませてもらった。それに――――大収穫には違いないしのう」


 高月あやかといったか。『浄化』の従者でしかない認識だったが、ここに至ってその名前が心に刻まれた。悪竜王を楽しませたヒトの内の一つとして。

 両腕を広げるハイネの後ろ、大地から少女の形をした石の体躯がいくつも浮かび上がってくる。その勢いは止まらない。ハイネはあの異界で吸収した悪意を、自身の手駒である『甕持ち【悪竜ノ魔装】』に注いでいた。


「これくらいでよいか」


 その数、一万。その姿は一様にあやかの形を模していた。

 これでもまだ悪意の力は有り余っている。ハイネはその力を自身の治療と強化に使った。これほどまでに満ち足りた感覚は果たして何百年、いや何千年ぶりだろうか。


「かっかっか! これはよい! 愉快な手駒ができてしまった! 情念の怪物とやらは悪竜と非常に相性がよいのう!」


 非常に機嫌が良い。そう顔に書いてあるかのようだった。悪竜王はうきうきでセントラル地下の根城に帰る。

 その途中、彼は思い出したかのように一言だけ漏らした。



「これはあれじゃな⋯⋯地下遺跡の彼奴にもちょっかいを掛けてみるか」

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