従者、悪魔に踊らされる

「魔法少女力が強そうなおぱんつだ――――感心感心」

「⋯⋯⋯⋯な、何してるんですかっ」


 捲られていたワンピースの裾を戻しながら、真由美は顔を真っ赤にしながら立ち上がった。正確には、立ち上がろうとしたが目眩でそのまま倒れ込んでしまった。

 見知らぬ天井、寝心地の悪いベッドだった。


「あ、本気で突いちゃったからしばらく動けないと思うよ。ごめんね、普段はダウン取る時は緩めるように言われてんだけどね」

「あ、いえ⋯⋯ニュクスさんは、その、あの――――」

「はにゃ?」


 真由美に笑い掛けるニュクスは、魔法少女の変身を解いていた。

 膝裏まで届くほど長い黒髪と真っ白な肌、自信に満ち溢れた橙の瞳は変わらない。服装もへそ出しタンクトップにショートパンツと、露出度高めであることも変わらない。高身長スレンダーな体型も相まって、まるでモデルさんのような出立ちだった。


「結構、元気なんですね⋯⋯」

「うん、鍛えてるし」


 ニュクスが頭に野球帽を乗っけて笑ってみせる。快活な印象が強烈に上乗せされて、ギャップが凄まじい。キャップだけに。

 地力も魅力も差を感じて、真由美は肩を大きく落とした。


「いやいや、でもあなたの戦いも見事なもんだよ!」


 にこやかにじゃれついてくるニュクスに真由美は困惑する。試合の時のような露悪的な態度はすっかり息を潜めていた。


「いえ、最近稽古につけてもらえる師匠せんせいの教えのおかげで⋯⋯」

「いいなー、師弟関係! 私は我流だから憧れるぅ!」

「ニュクスさんは、独学でここまでの力を⋯⋯?」

「うん、そだよー。あとプライベートでは小夜さよでいいよー! 人前ではニュクスでよろしくねー! メルヒェンちゃんはどんなお名前なの?」

「あ、え⋯⋯私は真由美、です」


 急な自己紹介に真由美は慌ててしまった。友達が少ないもとい人見知りな彼女にとって、慣れていない相手との会話はそれだけで気を遣ってしまうものだった。


「真由美ちゃんね! 私今年で17だけど、真由美ちゃんはいくつー?」

「⋯⋯14です」

「わっかーい!! 将来有望だぁ!!」

「あ、いえ、そんな⋯⋯⋯⋯」


 褒められて顔を伏せた真由美だったが、表情を覗き込んでみるとそんなに悪い気はしていないようだった。ニュクスこと小夜はにやにやしながら真由美の両手を掴む。


「かわいい」

「あ、の⋯⋯小夜さんだって、素敵です」

「⋯⋯これは磨けば光る!! あなた、本格的に魔法少女格闘業界でデビューしてみない!?」

「なんですか、その愉快な業界」

「細かいことぁいいんだよ! あなたなら新しいスターになれる! 私がに掛け合ってあげるからさ!」


 その名前を聞いて、真由美はすっと冷静スイッチが入った。『人事の悪魔』エルト・シェイド。今回の標的の名前だ。


「⋯⋯そう、なんだ。そのエルトさんって人は――「話は聞かせてもらった」きゃああああ!!?」


 瞬きした一瞬に男が増えていて、真由美は素の悲鳴を上げてしまった。

 濃灰色の髪に、着古したスウェットとジーンズの上にカラスの紋章が描かれた立派なマントを纏っている。長い前髪がその左目を覆い、見える右目の瞳は深紅に染まっていた。


「エルト・シェイド、リクルーターだ。そこのニュクスも俺がスカウトしたんだ。派遣業って形でこの魔法少女格闘業界で働いて貰ってる」

「私は戦えればなんでもいいんだけど、フリーだと根回しやらなんやらが面倒で……」

「……魔法少女、格闘業界?」


 ちょっと繋がりが見えてこない文章に、真由美は首を傾けた。


「ありゃ、ご存じない? 世界が違うと常識が通じないからにゃー?」

「ま、格闘大会の魔法少女版って奴だ。色んな世界を股にかけているウチの会社からしてみるとニッチな業界ではあるんだが、


 隙間産業への進出。経営学を囓っている真由美には、魔法少女の格闘業界というぶっとんだ業界名は置いておいて、エルトが言っていること自体は理解できた。


「……それで、私もそこに?」

「ああ、そうだ。君は可愛いし、強い。この業界におけるアイドルの原石だと俺は思うがね」

「か、かわ……っ」

「そだよー! 自信持って!」


 頬を染める真由美に、エルトの右目が深みを増す。


「ウチは福利厚生もしっかりしててよ。残業無し、休日出勤無しがウリの一つなんだ。もちろん業務内容もお給金も応相談。つまりやりてぇ仕事だけ、やりてぇ時だけやれるってわけだ」

「アットホームで素敵な職場だよ!」

「あ、もちろん魔法少女としての仕事だけじゃねぇぞ? 君の才覚なら、色んな分野の仕事を取ってこれると思うぜ。ま、その辺は営業担当と調整だな」


 真由美は、自分の思考に靄がかかってくるのを感じた。悪魔の囁き。人を惑わすその特性を、彼女は剣鬼から聞いていた。『創造』の魔法で耳の中に栓を作り、音をシャットアウトして唇を読む。


(剣鬼はまだ遠いな。ご丁寧に道案内とはお仕事熱心で結構結構。メルヒェンもあの女に俺の能力は吹き込まれているな。対策はしてきているみたいだが、まだまだ隙だらけだ)


 地獄耳。

 この大会の会場全てを余裕でカバーできる情報収集能力。最も警戒すべきセントラルの最強剣士の動向は完全に筒抜けだ。


(……にしても、このガキ。あの『ソルベー亭』を下したって話は本当か? 代理戦力の少年兵としてスカウトするようなんて弊社も無茶いいやがる……ま、臨時ボーナスと特別休暇のためだ)


 そして迷っている素振りを見せる真由美がスコープを取り出そうとしたのを、彼の観察眼は見逃さなかった。手首を掴まれて取りこぼす。


「あれ、話聞いてる?」

「ちょっと、エルトさーん。女の子に手荒したらダメなんですよー」

「……っ」


 ニュクスの言葉に二人の意識が逸れた隙、真由美は逆の手首にチクりとした痛みを感じた。一瞬で消えてしまったが、黒い蛇が噛み付いていたのを見逃さなかった。魔法の制御か狂い、耳の栓が崩れる。


(マズい、毒か……)

(剣鬼はまだ道案内してやがんのか……意外と余裕があるな)


 エルトは懐から契約書を取り出した。


「悪い悪い。ま、登録だけでも良いから気楽にしてくれな? ニュクスも仕事仲間がいた方が楽しいだろう?」

「もっちー! あなたと一緒にまた戦いたいしね」

「あの、私は…………」

「そうそう。それに今回の大会が大変なことになっちゃってね……なにしろ参加者二人でドローでしょう? 外馬賭けてた奴らが詐欺だなんだのすごい剣幕で……責任、感じない?」

「うわぁ、それは本当にごめんなさい……」


 真由美は言葉を失った。誠心誠意の土下座謝罪。そして、そんなニュクスに噛み付いている黒い蛇。判断力が毒に腐り落ちる。

 真由美は、事前にエルトの能力を剣鬼から聞いていた。知っていれば対策は取れると思っていた。甘い考えだ。プロとして動いている者の実力を、彼女は見誤っていた。


(マズい……)

「ほら、ニュクスもこう言ってるし。?」


 契約書にサインしようとする手を、止められない。自分の身体のはずなのに。剣鬼からは禁じられていた実力行使を、ここで。


「――――――――っ」


 そんな逡巡が数秒。

 真由美はなんとなく天上を見上げて――――そして固まった。


(ん、なんだ……? てか剣鬼はまだ道案内を――――)

「って、んなわけあるかぁ!!?」


 エルトが大きく飛び退くのと、天井裏から飛び降りたホノカが『咲血さっけつ』を振り抜いたのは同時だった。


「同じ道を何度も何度もぉ!! 録音データなんて雑な手で騙されるとは思わんかったわ!!」

「――はぁ。真由美ちゃん、どうして反応しちゃうかな……すぐ斬って終わる話だったのに」

「あ、いえ……ごめんなさい」


 真由美はニュクスの隣で土下座した。


「『人事の悪魔』エルト・シェイド。ついでだから聞いておくけど、どうしてもセントラルにちょっかいかけ続ける気?」

「ここはいい世界だよ。女神サマとやらが次から次へとカモを寄越してくれる。たまにチートっつうネギ背負ってるのも居るし、旨味がでかすぎるんだよな……諦めるには惜しい。惜しすぎる」


 エルトが指を鳴らすと、無数の黒い蛇が二人の間に湧き出てきた。そして、先端に赤い宝石がはめ込まれた黒い杖を取り出す。杖の先端の宝石、その音叉のような形状から嫌な振動が漏れた。


「ま、そのガキ捨てるには惜しいが――――


 そして――――その場の三人目掛けて洪水のように襲いかかる。

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