悲哀、悪竜王から密命を受ける

「くくく――――中々愉快な見世物だった。『完全者』撃破の命、よくぞ果たした。褒めて遣わすぞ、マルシャンス」


 『悲哀』は、遥加を抱いたままかしずいた。

 『悲哀』が深く頭を垂れる先には、距離を離して金髪黒目の少年が立っていた。見た目は遥加よりも歳下に見えるものの、妙に大人びた顔立ちと深い影が浮かぶ笑みからは見た目相応の年齢にはとてもじゃないが思えない。


「『空虚』や『絶望』は討たれてしまってな⋯⋯やはり出来るのはお主だけのようじゃのう」


 少年の顔に、悪辣に満ちた笑みが浮かんだ。

 煌びやかな服装に、王冠と豪奢な黒マント。そして、特筆すべきはその耳と尻尾。両耳は竜の翼の形状をしていて、黒い尻尾は明らかに竜種のそれだった。


「⋯⋯お戯れを、悪竜王陛下。その言葉を聞かれると『苦悶』に妬かれてしまいます」

「全くだ! 彼奴ワシのこと、大好きじゃからのう」


 悪竜王ハイネ。

 人の悪意を至上の娯楽とする悪竜の王。


「して、その娘が例の?」

「はい。この娘が陛下の血を浄化した魔法の使い手です」

「おお、怖い怖い! この娘にかかればワシの悪意の力も浄化されてしまうぞ!?」


 何が可笑しかったのか、ハイネは大声で笑い出した。その笑い声が収まるまで、『悲哀』は頭を下げたまま動かない。そして、笑い声が止んだ後、彼は言った。


「では、そろそろ殺しますがよろしいでしょうか? それとも御身自ら手を下されますか?」

「うむ、まさに天敵じゃからな。不安の種は早々にワシの手で摘んでしまうか⋯⋯」


 言いながら、『悲哀』は恭しく遥加の身を差し出していた。

 だが、少女の身体を立たせるような格好で向けられるも、ハイネは近づいて来ない。不審に思った『悲哀』が進言する。


「お早く。『完全者』に対抗するために強者が揃い踏んでおります。囲まれればいくら陛下といえど⋯⋯「『時空竜』の話をしたことは、あったかのう?」⋯⋯はい?」


 『悲哀』が頭を上げると、ハイネの表情から笑みが消えた。

 『悲哀』はすぐにまた頭を下げる。


「⋯⋯はい、ございます。かつての脅威として。しかしながら、陛下のお力でかの竜は封印されたとのこと」

「復活した」

「さようでございましたか」

「マルシャンスよ、その娘と組んでかの竜を討て。旧いが勇んでいる。奴は強いし無策ではなかろう。合流するがよい」

「⋯⋯勅命、承りました。ですが、よろしいので?」


 『悲哀』は遥加の身体を揺らす。ハイネは小さく溜息を吐いて、首を横に振った。


「『時空竜』を討った直後にでも、適当に殺しておけ」

「⋯⋯同じ手が二度通じる相手ではございませんよ?」

「なら、別の手で通せばよいだけじゃ。ワシの眷属で随一の智略を誇るお主になら可能じゃろうて」

「はっ」


 『悲哀』が遥加の身体を下げる。


「その娘を殺せたら、再びワシの血を分けてやる。信用を得るためならば、今再び眷属とすることはじゃろうて?」

「流石のご慧眼、痛み入ります」


 言って、ハイネはその姿を闇に溶かした。しばらくはその身を動かさず、遠くの激戦の音が止むまで待つ。

 そして、夜闇の空に光の帯が走った。あれが決まり手だとすぐに確信した。





『もう大丈夫よ、遥加ちゃん』


 その声に、ぱっちりと遥加の両目が開かれた。まるで今目が覚めたかのような所作で、ふらつきながら立ち上がる。


「あはは、少し意識飛んでたよー⋯⋯ありがとね、マルシャンスさん」


 倒れるフリをして、マルシャンスに支えられる。そして、彼の耳元で囁いた。


「あれが、悪竜王⋯⋯本当に来るなんて。私が起きていたこと、気付いてたと思う?」

『確証はなかったと思うわ。でも、企みには勘づいているわね。伊達に悪竜の王を名乗ってはいない。もしあそこで近付いてきたら⋯⋯⋯⋯貴女の魔法で力を削いで、袋叩きにしてやれたのに』


 遥加は小さく笑って、傷だらけの身をマルシャンスに預けた。


「あやかちゃんたち、勝てたかな? バッドデイさんもどうしたんだろう⋯⋯」

「⋯⋯彼は自分の作戦に妙に自信満々だったわね。あとあっちは大丈夫でしょう。アタシの見立てだと全員がアタシたちより格上だもの」

「あはは、世界は広いねえ⋯⋯」


 マルシャンスが遥加をエレミアの近くまで運ぶ。


「まだ魔力は残っているわね? 細かい調整をする余裕はなかったから身体に悪影響が出ちゃうかも。彼女の体内の薬を浄化してくれないかしら?」

「はーい」


 『浄化』の力がシスターの身体を包む。少しして、彼女の身体が身じろぎをし始めた。


「マルシャンスさん」

「なに?」


 遥加が、マルシャンスの仮面をじっと見つめていた。表情の抜け落ちた顔に、考えが読めない。果たして、何を指してなのだろうか。慎重に言葉を選んでいる彼に何かを感じ取ったか、遥加は大弓をエレミアの頭にぶん投げた。


「んぶぅ!? あれ⋯⋯リア様の、怨敵は⋯⋯?」


 しれっと大弓を消した遥加が指差した先には、ジェバダイアの亡骸が横たわっていた。


「お、おおう⋯⋯? 実感ないですけど、やはりリア様のお力は偉大です! リア様万歳! リア様万歳!」

「⋯⋯ほんと、元気でおめでたい子ね」

「エレミアさんとリア様のお力でなんとかなったよ! ありがとうございます!」

「なんのなんの! リア様の御業があればこそ、当然の結果です!!」


 遥加は、たおれたジェバダイアの姿を見た。野望が潰えた姿、想いが途絶えた跡。そして、その姿は。


(私が、やったんだ⋯⋯⋯⋯それに、まだ、戦いは何も終わっていない。この世界で、私が為すべきことは――――)


 遥加は仲間たちが誰一人欠けることなく戻ってくるのを見た。

 そして――――その全員が、近くの大戦乱を感じ取っていた。

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