女神、忘れ去られた工場にて『悲哀』と企む

【エリア7-2:先端工業地帯】



 メガロポリスの生産を一手に担っていた巨大な工場群。人と竜の戦争は遥か昔の出来事ではあったが、今も稼働し続けるこのエリアはその時代の証とも言えるだろう。


「明らかにこの世界の文化レベルにそぐわなくない?」


 遥加は首を大きく捻った。西陽のキツさからさり気なく守ってくれているマルシャンスに笑顔を向ける。


「⋯⋯そうね。それに、この辺りの魔物どもはほとんど傘下に入れちゃったけど、それまでにはまともに立ち入れる環境じゃ無かったわ」

「え!? やっぱ奴らを束ねてたってか? やるなあ、兄ちゃんー!」


 調子の良いバッドデイに、マルシャンスはグッとサムズアップした。実際に、『悲哀』の参入はこの辺りの勢力圏に大きな変化を与えていた。


「この辺の魔獣や装甲型ロボットたちは宇宙大将軍がハンターたちを堰き止めるために利用していたんじゃないかしら? アタシがその支配を乗っ取っても強硬策に出なかったのは多分、そういうことよ」

「マルシャンさん、流石は策士! 狙ってたんですか?」

「うん、そうね。あの勢力をこのエリアに抑え込むことがアタシが悪竜王陛下から賜った勅命のようなものだから」


 将来的にセントラルに攻め込む予定であろう宇宙大将軍一味も、その戦力を整えるのには一朝一夕にはいかない。お互いに利を取れる均衡を維持していたところに、遥加たちが突っ込んでいった構図と彼は分析している。

 そして、ここまで理想値として均衡状態を維持出来てきた理由は他でもない。宇宙大将軍の勢力が有する戦略性が『悲哀』と同等、もしくはそれ以上のものであるということ。


「へえ、考えてんだな。お互いに睨み合っている限りはセントラルに被害はいかねえのも狙ってたのか?」

「そこは結果としてそうなっただけ。どちらもセントラルの平和を脅かす勢力だっていうのは意識しておいた方がいいわ」


 妙に意味ありげな笑みを浮かべる遥加に向かって、マルシャンスは人差し指を口に当てた。彼女には何でも見透かされてしまっているかのような気がしてしまう。


「だからこそ――――遥加ちゃん、覚悟はいいかしら?」

「うん。そもそもそのつもりで来たんだもん」

「⋯⋯どういうこった?」


 言って、バッドデイもすぐに気付く。『悲哀』が戦線を維持している間に、かの勢力はその力を蓄え続けていたことだろう。であれば、その勢力圏を広げようとすることは想像に難くない。


「んじゃ、俺は愛車の復活に精魂尽くすかね」

「おねがーい! バッドデイさんの車がないと私も帰る足がないからね⋯⋯」

「世知辛い事情⋯⋯いえ、アタシのせいだったわね、ごめんなさい」

「いいってことよ! 済んだことだ! その代わり俺たちの女神様を他のだぜ!」

「いやだもう、女神様なんて⋯⋯!」


 顔を抱えてイヤイヤする遥加に二人の口元が緩む。慣れた足取りで工場群に向かってタイヤ一式を転がすバッドデイを見送って、遥加とマルシャンスは工場内の仮眠室に足を運んでいた。


「ああ、これは⋯⋯」

「ええ、まあ、すごいわね⋯⋯」


 荒れ果て、朽ち果てまくった部屋。二人は見なかったことにして踵を返す。


「あ、見て見て! 食料なんかはここで取れるみたい!」

「どのくらい経っているのか分からないけど、まだまだ問題なく稼働しているのが恐ろしいところよね⋯⋯⋯⋯一応、品質的には問題ないことは確認済みよ」


 生産工場。古代の人間たちはここから食料を確保していた。増え続ける人口と、竜に脅かされる生活圏。食糧問題を解決するために当時の人間たちが導き出した答えがコレだった。


「明らかにこの世界の文化レベルにそぐわなくない?」


 遥加は、もう一度同じ疑問を口にした。


「……そうね。明らかに自然な文化の成熟じゃないわ。これだけ異世界との交流を開放的にやっているんだから、無理な話ではないと思うわ」

「そうかな……この世界の歴史をちゃんと知りたいな」

「あら、勉強熱心なのね?」

「もー、からかわないで下さいよー!」


 懐いた猫のように身体を擦り寄せる遥加の頭を、マルシャンスは優しく撫でてあげる。彼女と一緒にいると、彼の抱える『悲哀』が少しは癒えるのかもしれない。そう考えて、仮面の下の表情が少し曇る。


(アタシがこの仮面を被り続けるのは、抱える『悲哀』を、この涙の跡を覆い隠すため。そして、秘める『悲哀』こそが私の力――――そう、アタシはこの力で)


 遥加が彼の手を掴んだ。マルシャンスは少し驚いたように口を開き、そしてもう片方の手を乗せる。


「ありがとう。大丈夫よ。さあ、暗くなる前に寝床を確保しないと」


 夕日の逆光にその輪郭が薄れ、掴まれた手が優しく振りほどかれる。遥加がその手を開いて、少し黙る。


「ん? どうしたの?」


 何食わぬ顔で言ってのけるマルシャンスに、遥加は曖昧な笑顔だけを返した。


「ふふ――――、言ってね」







 色々歩き回った結果、物資の生産工場が寝床として最適だと判断した。何のために生成され続けているの分からない大量の寝袋の中から3つ拝借して、二人はバッドデイの戻りを待つ。

 最初こそ楽しそうにおしゃべりしていた遥加だったが、次第にその目蓋が重くなっていく。


「先に寝ておきなさい。見張りも兼ねてアタシが彼を待っているわ」

「ほんと? ごめんなさい……ちょっと色々あってつか、あわわわわ」


 何かを失言しかけたのか、遥加は慌てて自分の口を押さえる。マルシャンスは大弓の手入れをしながら小さく微笑んだ。


「ね、マルシャンスさん」

「なあに?」

「ジェバダイアさんの件が終わったら、マルシャンスさんのお話を聞く約束でしたよね?」

「ええ、そうね」

「それまで、居なくならないでくださいね?」

「……ええ、もちろんよ」


 僅かに言い淀んだ逡巡に気付かなかったふりをして、遥加は寝袋に潜り込んだ。


「……早かったわね。アタシ、そんなに信用無い?」

「出来る男は仕事も最速なんだぜ?」


 入れ違いに、まるで見計らったかのようなタイミングでバッドデイが戻ってくる。手ぶらだ。


「ああ、ここを実質支配してやがる『機械王』の奴が不在だったんでな、色々と掻っ払って近くで組み立ててるよ。その子には内緒な?」


 怒られちまうから、と伊達男は笑った。


「そう。役に立つなら言うことないわ。アタシと貴方で交代で見張りをするわ。貴方は先に休んで……くれなさそうね」

「ザッツライト! 出来る男は72時間ぶっ続けで働けるから問題ねえぜ!」


 マルシャンスは肩を竦めた。観念して自分の寝袋に入る。


「……なあ、その仮面は付けたままなのか?」

「ええ、そうよ。これはアタシの目的を果たすまでには決して外さないの」


 バッドデイは何かを口にしようとして、彼にとっては珍しく口を噤んだ。

 そして、そのまま――――――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る