vs悲哀のマルシャンス(後)
悪竜王ハイネが作りし『悪意の甕』を持ったゴーレム。『悪意の甕』は人の悪意を増大させ、その悪意を蒐集しては悪竜王に献上する。
かの悪竜王の眷属である『悲哀』には、総勢十体もの甕持ちが与えられていた。『悲哀』のためにチューニングされた性能を有するソレらは、どれも動物型の機械の姿をしている。そして、『悲哀』直属の甕持ちは彼の指令に忠実に動く。
『悪意』の矛先は、あの少女に差し向けられた。
♪
陣地形成に際して、マルシャンスが仕込んだ策の一つ。石床に突き刺した五指を力任せに握り潰した。握力に任せて石床を砕いたのだ。そして、連鎖してフロアの石床がまとめて砕けた。
結果、マルシャンスと遥加が落下する。遥加がここで光の矢を放たなかったのは英断だっただろう。マルシャンスは落下しながら、たった一本だけ矢を回収していた。姿勢を崩したまま射って外しでもすれば、勝負はそこで終わってしまう。
その周囲、動物型の機械どもも一緒に落下する。遥加は決着の場に『悪意』の奔流が渦巻いていくのを感じた。
そして。
(吹き抜け⋯⋯!?)
尖塔は、最上階以外は地上階まで吹き抜けになっていた。下から物理的に上がって来られない構造。多数のエネミーを従えている彼にとってはデメリットよりもメリットの方が大きい陣地構成だった。
落下の衝撃に備えていた遥加は予想を外される。物理的にかっ飛んできたから分かりようもない。だから対策も何も無かった。その間にマルシャンスは最後の一矢をつがえ終えている。
(あなたの答えを、見せてちょうだい)
何も言わず、マルシャンスは大弓を向けた。遥加も大弓を構え、そこに『浄化』の光が宿る。落下しながらの睨み合い。甕持ちが『悪意』の奔流を渦巻かせ、マルシャンスの中に巡る悪竜王の血の効力を増幅させる。
「マルシャンスさん⋯⋯!」
どうして、だろうか。
仮面の下に覗く口元を、彼ははっきりと綻ばした。少女にはきっと、その意味を理解できるだろう。そんな奇妙な確信があった。
「言葉で語って、全てを解決出来ると思う?」
「思いません。だから私は――――⋯⋯」
「⋯⋯?」
遥加は曖昧に微笑んだ。秘めることは力になる。その想いにはっきりと向き合えているのであれば。それはお互い同じことだ。秘めたる想いを指針に、言葉を、行動を、示した。だからこそのぶつかり合い。
きっと、『悲哀』ではない彼が必要としていたぶつかり合いだ。大弓を引く彼の肉体が隆起していくのを感じる。力、それは自らの意志を通すもの。
「マルシャンスさん」
「なぁに?」
「勝負、してもいいかな?」
「もちろんよ」
渦巻く『悪意』の奔流の中、そこにもはや敵意は無かった。アリスは死闘を経て通じ合う物語を識っていたし、『悲哀』は――
「
そして、マギア・アリスは想いを巡らす。
渦巻く『悪意』の奔流、それこそが彼女の真の敵だった。
「――――
願いの形を、夢の果てを、口にする。
「穿て――――我が『悲哀』の
対抗するのは悪竜王の眷属としての『悪意』の力、そこに加わる彼本来の実力。仮面の裏に秘めた何もかもを、その一射に乗せる。まさに乾坤一擲。回避不可能の空中決戦にて全てを決するつもりだった。
(貴方は、強いね)
その想いの積み重ねを正しく理解して、だからこそ遥加は邪道に走った。彼女がこれまで紡いできた物語の中で、光に対する影となることを祈った少女を想う。
遥加は、光の矢を振り下ろす。まるで、そこに亀裂を放つかのように。そして、現実はイメージに呼応する。
(なに、あれ⋯⋯⋯⋯?)
空間が歪むのを、仮面の男は確かに見た。聡いマルシャンスはすぐに理解に至る。『悪意』に凝縮された空間そのものを、『浄化』の光が打ち消したのだ。
(悪竜王陛下――)
決して口には出さず、ただただその真実を想う。
(貴方は、この子に、討たれますよ)
あらゆる正負が相殺された結果、そこには真空が生じた。周囲の空気を吸い取った果て、まるで空間が歪んだかのような――――錯覚では無かった。
「歪め」
現象としては、彼の乾坤一擲の一射が大きく標的を逸れた。彼の全てを込めた一射は、黒の想念に歪められたのだ。わざわざ口に出した彼女は、きっとこの結果を想定していただろう。仮面の下で自然と口元が綻ぶのが止められない。
歪み、排する、拒絶の壁。それもこの純白の少女が担うからこそ別の意味を持つ。歪曲、『時空』の
(ありがとう、えんまちゃん)
彼女の魔法に発想が至らなければ、ここで全てが終わっていた。
「あなたにも積み重ねがあった――――アタシは、それさえ⋯⋯」
マルシャンスは抵抗をしなかった。光の『浄化』を大人しく受け入れる。悪い気は、文字通り、一切無かった。だが、それでも。
背中が大地を認識する。尖塔の底、入り口のフロアに至った。しかし、彼の肉体に傷はなく、その身を駆け巡るはずの衝撃もない。光の矢は頭上スレスレに突き刺さっていた。彼女の技量で外すとは思えない。それを裏付けるように、光の絨毯が二人を受け止め、消えていった。
「逃げなさい⋯⋯⋯⋯」
だから、敗北を悟ったマルシャンスは口にした。『浄化』の光が、彼に巣食う『悪意』の血脈を滅していくのを感じた。それは即ち、『悲哀』のマルシャンスが悪竜王の眷属としての力を失うという真実。
「マルシャンスさん」
呼びかける少女の顔を直視出来ない。奇妙な後ろめたさがあった。
「私はね――――想いに向き合うって、決めているんだ」
遥加が『浄化』の矢を真上に放つ。彼女らを取り囲む六体の悪意の甕。一斉に起爆を仕掛けるソレらを、上から飛来した六本の光の矢は完全に封殺した。
「だから、貴方の『悲哀』を、私は否定しない」
倒れた男に手を差し伸べる。
悪意の甕が、どっぷりと溜め込んだ『悪意』ごと消滅していく。二人を取り囲む甕持ち、尖塔への道で倒したものを加えると、計八体か。そして、その光景が、降り乱れる光の奇跡が、彼には神話の一ページと映ったのかもしれない。
「女神――――⋯⋯」
(やべ、バレた⋯⋯?)
額の冷や汗を拭う遥加は曖昧に笑って誤魔化した。彼はその小さな手に自分の手を重ねようとするも、力無くその手が落ちる。傷は深くない。力を使い切って意識を手放したようだった。
「ん。お疲れ様です。お互い疲れちゃったね」
たはは、と気の抜ける笑みを返した遥加はぺたんと地面に座り込んだ。そして、亀裂まみれで今にも割れかねない窓に目線を向ける。遥加たちがやって来た方角と逆方向、異様な雰囲気を醸す大きな建物に。
「さて、アリスが来たよ。どうするのかな?」
力無く横たわるマルシャンスの頭を膝に乗せ、遥加は差し入る朝の陽射しを身に受ける。
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