vs悲哀のマルシャンス(中)
「
マルシャンスが放った一射を、遥加は右に避ける。耳元で空気が裂ける音をはっきりと聞いた。彼女はまだ光の矢を放ってはいない。大弓を引き絞りながら前へと走る。
(無傷⋯⋯会心の手応えはあったけど、うまく避けられたのかな? それともあの人は『悪意』だけで戦っているわけじゃないのかも?)
「あら、お転婆さん」
だが、距離がある。マルシャンスは既に次の矢をつがえていた。
「必死ね。諦めてもいいのよ?」
向けられる矢尻に、遥加が下がる。放たれる豪弓を辛うじて回避するも、至近距離を抜けた衝撃が少女の小柄な体躯を吹き飛ばした。
「あなた、こんなところで何をしているの?」
壁に叩きつけられた遥加は、光の矢を向けたまま姿勢を直す。その間にマルシャンスは次の矢をつがえ終わっていた。
「⋯⋯追撃、しないんですね?」
「必要? あなた如きに?」
真っ直ぐ仮面を見つめる遥加に、マルシャンスは大袈裟に溜息を吐いた。
「間違って足を踏み入れたのなら今すぐ帰りなさいな。ここは危険よ」
「マルシャンスさん、貴方は私を殺さないんですか?」
「その価値がある? アタシ、必要な時しか手を汚さない主義なの」
「本当に?」
動きが止まる。
プロパガンダ・ブレス。マルシャンスは言葉に魔力を宿す。聞く者の感情を刺激し、消極的な言葉で戦意を削ぐ。言葉は届いているはずだ。それでも、少女の双眸はこちらを見据えたままだ。
彼には知る由もない。少女が戦い続けた『囁きの悪魔』の存在を。言葉の魔力で感情を揺さぶる脅威に、マギア・アリスは対抗してきたのだ。いくら心が揺さぶられても、『本物』の想いを礎に。
「私にその言葉は効かないよ」
「⋯⋯ご丁寧に、どうも」
豪弓一射。悪竜王の血を飲んだ彼の魔力は、その強靭な膂力にも活かされている。遥加が走るのは真正面。スライディングの要領で下をくぐり抜け、床に叩きつけられた反動で姿勢を起こす。
「攻撃しない気? 随分と甘いのね」
「私、甘くないです」
次の矢をつがえたマルシャンスの目前、矢尻が触れ合う間合いに遥加の姿があった。距離を取ろうとしたマルシャンスと対照的に、遥加はそのまま光の矢を放つ。
「ここが私の間合いなので」
マルシャンスが大きく体勢を崩した。上体を左に倒すように『浄化』の矢を回避し、転がるように距離を取る。だが、目前、次の『浄化』をつがえた少女の姿。
「私の魔法、貴方は受けましたよね。どうでしたか?」
脅威。
その二文字がマルシャンスの脳裏に浮かぶ。
光の矢が放たれる直前、彼の重心が前に傾き、その足が伸びた。蹴りだ。手元を狂わされた遥加が矢を上方に外し、マルシャンスはその首筋に手を伸ばす。
「――――――ッ」
「効いた、んじゃないですか?」
遥加は光の矢を――――つがえなかった。
その矢をまるで剣のように構え、自らそこに突撃しかけていたマルシャンスは大きく跳んで遥加の背後を取る。だが、遥加が振り回した大弓が着地の足を引っ掛け、マルシャンスは体勢を崩す。大きく下がる一歩。
「私の魔法は『悪意』を滅します。ううん、ナニカに歪められた異常の情念を『浄化』する――が、より正確ですね」
少女は既に懐に飛び込んでいた。放たれる『浄化』の矢は、悪竜王の眷属と化した彼にとってどれほどの脅威か。片腕に掠っただけの一射を思い返す。
だが、必殺の光を放つことなく、遥加は右前方に跳んだ。情けをかけたわけではない。マルシャンスが矢筒から引き抜いた矢でそのまま突いたのだ。そして、大弓を振るって殴打の追撃をかける。
「その魔法もとっても脅威だけど――――それ以上に、あなた面白い戦い方をするわね」
さらなる追撃を避けるために投げつけられた瓦礫の破片を右手でガードする。遥加は殴打を受けた右肩を『浄化』の光で回復させ、マルシャンスは血が滲む右手を『裏返しの感情』で癒す。
そして次の矢をつがえる。タイミングは全くの同時だった。
「これは、どうかしら?」
涙の雨。魔力が込められた弓矢が無数に分裂して遥加を襲う。その威力は尖塔に辿り着く前に思い知らされていた。
「フェアヴァイレドッホ――――
光の大弓が大量に浮かぶ。乱れ打つ『浄化』の魔法だが、数も威力もマルシャンスの方が上だ。
「灯れ! 光れ! 輝きを!」
数も威力も押し負ける。だから、遥加が選んだ勝負場は光量だった。眩い光が視界を遮り、心の準備ができていた遥加だけが石床を蹴る。
前へ。死線を潜る。大弓を振るい、マルシャンスの手元から大弓を叩き落とす。だが、読まれた。逆に大弓を絡み取られて遥加の手から弾き飛ばされる。
「強い――――ッ」
遥加が口にした言葉を聞いて、彼の口角が若干上がった。遥加は両手に光の矢を掴む。まるで二本の槍のように突き出し、翻弄する。
「単純な腕力勝負じゃ」
この至近距離で大弓を射ることはできない。掴んだ矢をそのままフェンシングの構えで突き出し、圧倒的な膂力でねじ伏せる。
「アタシに勝てない」
再召喚して盾にした大弓でマルシャンスの手元を絡める。致命打を回避した遥加は彼の右足を蹴り飛ばし、揺らいだ体勢の背後を取る。
「いくよ」
「させない」
発光。たった一撃で致命傷になりうる『浄化』の矢に、マルシャンスは怯まなかった。後ろ手に突いた矢が遥加の右手を傷つける。あの手では弓矢は放てまい。
だが、目を眩まされた隙に遥加は既に頭上へ。逆立ちのような姿勢でマルシャンスの首を太ももで締め上げている。
「そんな非力な絞め技が――――」
言いかけたマルシャンスの視界が回った。もちろんこんな短時間で締め落とされたわけではない。物理的に彼の体勢がひっくり返っていた。崩れた体勢と、足で頭部を捕捉しての投げ技。
見る者が見れば、「見事なフランケンシュタイナーだった」と口にするだろう。
辛うじて受け身を取り、頭から落ちる醜態は回避した。だが、その間に遥加は右手の治療を完了しようとしていた。仮面の男は深追いせずに身を起こす。
(あの子の目には、一体何が見えているの⋯⋯⋯⋯?)
決まるはずのない大技だった。しかし、今、この局面だけは実に効果的な一手。お互いに大弓を向ける膠着状態に戻ったものの、少女の双眸が見据えるものは決して揺るがない。
「マルシャンスさん、貴方は何のために戦っているんですか?」
理由。
仮面の裏に浮かべる、表情は。
「お話しませんか? 貴方の想いを、私は知りたい」
「悪竜王陛下――この身はあのお方に尽くすための器」
「ううん、違うでしょう?」
涙の雨。込めた魔力が、その悲哀が膨れ上がる。対する遥加はたった一射。散らばった矢の真中を貫き通す。マルシャンスの放つ膨大な矢の全てには対抗できなくとも、集中させた一射で道を切り拓くことであれば。
「悪竜王なんてものに、貴方は心までは支配されていない。貴方の想いは『悪意』だけじゃ「黙りなさいッ!!」
矢筒から矢を引き抜く猶予すらない。マルシャンスは大弓をそのまま剣のように振り下ろす。遥加の『浄化』も間に合わず、大弓で受ける。だが、膂力の差は歴然。三打の間に遥加の体勢は崩された。
「アタシの力は悪竜王陛下の力! アタシの意志は悪竜王陛下の意志! その真実を侮蔑することはこの『悲哀』が許さない!!」
声を張り上げる。まるで、周囲の機体に聞かせるように。
「じゃあなんで――」
マルシャンスの大弓に、遥加は『浄化』の矢を引っ掛ける。喉の奥を引き攣らせるような声。遥加は、その悲鳴を確かに聞いた。
「泣いているんですか⋯⋯?」
マルシャンス用にチューニングされた大弓を、遥加のような小柄な少女が、それも不安定な体勢でまともに射れるはずがない。それでも、力なく飛んでいく光の矢は、掠るだけでも全てが終わりかねない脅威であることは先刻承知。
回避は大振りだった。確実な緊急回避。そして、遥加が視界から消えて焦る。動きが、思考が、止まる。答えは下。膝下、衝撃。ここまで条件が揃えば、遥加の力でもタックルで引き倒せる。
「貴方の『悲哀』は、貴方だけのもの」
石床の上で仰向けに倒されたマルシャンス。その心臓の位置は遥加の足が押さえつけ、逃げられない。矢筒は彼女の手で遠くに放り投げられていた。
向けられる『浄化』の矢。その眩い光が、彼の魂に根付く黒い靄をチリつかせる。
「あなたは、そうね――――『正解』が見えているのね」
「⋯⋯だったら、いいですけどね。少なくとも私はそう信じて行動していますが」
その場その場の最適解を、きっと少女は見出してきた。そして、その答えを確実に遂行する意志の強さがあった。
実力はマルシャンスの方が上だ。冷静な判断として、それはお互いの共通認識だった。だが、それを覆すものがあるとすれば。
「覚悟」
「え?」
「あなたの覚悟には敬服するわ。それに、やっぱりその魔法は悪竜王陛下の脅威になる」
遥加が何かを言う前に、マルシャンスは石床に両手の五指を突き刺した。見晴らしが良くとも、老朽化が激しい。そんな場所に拠点を構えるとき、彼の戦略眼が見出した策の一つだ。
「本当の『正解』だと信じるなら――――掴み取ってみなさい」
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