vs悲哀のマルシャンス(前)

【エリア7-1:マッドシティ】



「痛みはねえか?」

「うん、すごいねコレ」


 チューブのような止血剤で傷口を塞ぐ。何かと生傷が絶えないバッドデイが常備している異世界の便利技術らしい。それに、遥加の『浄化』の魔法は生命に対する回復効果もある。彼女の知る『治癒』や『増幅』の魔法と比較すると微々たる効果ではあったが、これくらいの傷であれば戦線復帰には問題ない。


(『浄化』の効きが良い……やっぱり、あの一射を放った相手は――――)

「バッドデイさん、ここは任せられますか?」

「あたぼーよ! シートベルト着用くだされ!」


 律儀にシートベルトを締めようとする遥加だったが、加速のGに流されてうまく締められなかった。軽いの冗句のつもりで言ったらしいバッドデイは気にせず加速し続ける。


「え、あの……本当に大丈夫?」

「任せろ。ここら一帯は俺様の庭だぜ!?」

「何をしに、来ているのか――詳し「ヒュウィゴウ!!」ぃぃいぃいいいい――――……」


 言葉が加速に溶け落ちた。遥加は舌を噛まないように口を固く閉じた。装甲型の戦闘ロボットが浮遊移動で殺到してくる。乱射されるミサイルやガトリングは純粋なハンドルテクニックで回避。そして、サイドミラーに雷光が灯る。


「俺の愛車は100万ボルトだぜぃ!!」


 スパーク。

 莫大な電圧で放たれたらしい電流がロボットの群れに炸裂した。数多の機体が煙を上げて沈黙する。陣形を整えようとする魔物に、バッドデイは合法改造された自慢の愛車を向ける。


「ハイ★ビーム!!」


 とんでもねえ極太ビームが魔物を消滅させ、空いた路地に改造車両(合法)が突っ込んだ。ややスピードを落とす。


「ひゅぅ、クレイジー!」

「HAHAHA! だが油断は禁物だぜ? 連携の質が段違いだ。こりゃすぐに対応されるな」

「……バッドデイさん。無茶を承知でお願いしたいんだけど」

「皆まで言うな。アンタをあの尖塔まで送り届ける。それで良いんだろう?」

「……ありがとう」


 男は、左目を閉じて右手で拳銃を撃つジェスチャーで返事をした。その仕草が妙に様になっていて、遥加は小さく笑ってしまう。

 バッドデイがスピードを上げた。背後から掃射されるガトリングの嵐を直角90度のドリフトで路地から脱出する。そのまま直進。謎にバリケードが積まれているショッピングセンターに直進。


(ぶ、つ、か、る――――)


 任せた手前、遥加も下手に文句が言えない。そうでなくともこの爆速。まともに喋ろうとすれば舌を噛み切り落として即死だろう。

 ふと運転席のスピードメーターを盗み見るが、あまり針は傾いていなかった。しかしよく見ると。


(あれ、私の知ってる車のスピードメーターより『0』が一つ多いよう……?)


 最大時速1800kmで表示されているが、流石に嘘だと思いたい。ちなみに、今の速度は時速300kmと少しだった。


(映画の世界だああ――!!)


 ぶち破ったバリケードの先、隣のエリアからやってきたゾンビどもが何故か籠城していた。背後から迫る装甲戦闘ロボットBattle Armed Robotの無慈悲なガトリングの掃射で肉片と散っていく。バリケードを盾に必死に抗う亡者と生活雑貨エリアの商品棚を壁走りする改造車両(合法)。遥加は声を上げずに笑った。

 笑うしかなかったのも確かだが。

 それ以上に――――やっぱり楽しかったのかもしれない。

 それでも楽しんでばかりはいられない。ここは生きるか死ぬかの戦場で、笑い事ではない危機が背後から迫っている。時速350kmの爆走に追いつく危機に。


『バッドデイさん』

『うお! コイツ脳内に直接!?』

『言葉と裏腹に念話お上手ですね⋯⋯じゃなくて』


 思念による対話。実はほんの少しだけ女神の権能に関わる彼女だけのささやかな魔法だった。


『追ってきているの、分かりますか?』

『ああ。どうやって撒こうかルートを模索している』


 爆発炎上するショッピングモールを背に、バッドデイは空中で器用にドリフト走行を披露した。到達時速は400km、トロくさい朽ちた列車を轢き飛ばして錆びたレールの上を走る。

 その右後ろ、犬のような形状の機体。

 その左後ろ、猫のような形状の機体。

 この速度域でも獲物を狙う獣のようにぴったりとマークしていた。魔物も、ゾンビも、B.A.Rも、その全てを置き去りにしてようやく浮き彫りになった脅威。


「さあて、どうすっかな⋯⋯」


 バッドデイの声は、この速度に至っては助手席の遥加にもまともに届かない。

 さらに速度を上げて追っ手を振り切るという選択肢。彼にはそれしか浮かばなかった。バドワイズ・フレッチャー・デイモン、この恐るべきスピード狂は時速1000km強くらいのGであれば生身で耐えられるように肉体改造に励んでいる。

 だが、隣の少女はどうだろうか。正直、この時速500kmの速度に彼女が耐えられること自体が信じ難い事実だった。魔法とやらで通常の人間よりかは頑丈であることは聞いていたが、それにしても限度がある。


『あの追っ手は私が倒す。だからバッドデイさんはこのままぶっちぎ――――現状の速度を、維持して』

『⋯⋯平気ならまだまだ上げられ『現状! 維持!』


 結構いっぱいいっぱいだった。弱音を上げられる少女でバッドデイは少し安心した。彼なりの優しさで少し速度を落とす。どうせ、このくらいであれば追随されるのは変わらない。


(しっかし、なんだコイツら⋯⋯⋯⋯)


 異様。このエリアに何度か出入りしているバッドデイも初めてみる相手だった。明らかにまともな相手ではないことは見て取れる。そして、わざわざ隣の少女が打倒を宣言したということは。

 バッドデイは舌打ちした。

 どうもイライラが収まらない。

 遥加は助手席のシートに抱きつくような体勢で後ろを向いた。左右両方の手に握る大弓。つがえる光の矢は口で引き絞る。


「掴まれッ!!」


 バッドデイの怒号に、遥加は静かに頷いた。ここまで付かず離れずの距離を維持するだけだった犬猫が口から砲撃を放ったのだ。急ハンドルに叩きつけられるGの中、遥加は表情ひとつ変えずに大弓の照準を合わせ続ける。

 だが、敵の挙動が変わった。これまで追いかけてくるだけだった二機が急加速して車体に追いつく。しかもその軌道は不規則にジグザグに揺れ、遥加が構える大弓の照準が外される。それを見たバッドデイはハンドルを大きく手前に引いた。


「飛ぶぞ!」

(飛ぶ!?)


 流石の遥加も集中が途切れた。意図せず発射された光の矢があらぬ方向に飛んでいった。

 同時、車体のマフラーから豪快なジェット噴射が噴き出し、さらに無駄に格好良い効果音で車底からウィングパーツが飛び出す。そのまま本当に空を飛んだ。下を見ると、謎の二機が砲撃の構えを取っていた。


「は――――空中でもそこそこ機動力があんのよ!」

「違う、バッドデイさん! !」


 遥加が構える大弓、今度は一つ。しかし、つがえる矢は二本だ。バッドデイはその意図を汲む。ハンドルから両手を離し、腕を組んでバックミラーに目線を移した。

 悪意の砲撃――――発射。


「つらぬけ――――」


 遥加の『浄化』の魔法。あらゆる罪悪をみそぎ、悪感情の具現であるネガをはらう魔法。その魔法の効力は人の悪意を原動力とした砲撃にも効果を発揮し、砲撃ごと謎の機体はしていった。


「「いえい!」」


 二人して拳を合わせるが、問題はまだまだ解決していない。この勢いのまま、この勢力を率いる相手がいる尖塔を目指す。


「アンタのその魔法、やっぱりすげえな!」

「どうだろ。この先にいる人も、あのロボットさんたちも、誰かの悪意を攻撃に転化していた。だから私の魔法が効いて――――!?」


 声を上げる間もない。


「さあ、よくやったわ! 何かを為せたあなたたちは、とても意義のある存在になれた!」


 プロパガンダ・ブレス。響く言葉に、力強い想いが乗せられる。

 遥加が車体の周囲にいくつもの大弓を浮かべた。尖塔から放たれる無数に分裂した矢を、光の掃射で撃ち落とす。だが、尖塔のあちらこちらから飛び出してくる装甲戦闘ロボットB.A.Rが異様な迫力を示す。


「犠牲に感謝を! 存在の限りを尽くして目にモノ見せてやりなさい!」


 バッドデイがクラクションを思い切り殴った。自慢の改造車両が搭載している全ての武装を迎撃に向ける。その内の一つ、鉄骨のような形状の砲弾に遥加はしがみ付いていた。

 その一撃だけは不気味に見逃され、だから遥加には後ろを振り返る余裕があった。空中を降り注ぐ巨大ロボットの一団が――一斉に自爆した。


「バッドデイさんッ!!?」



 悲鳴を上げる遥加を乗せた砲弾が、尖塔の頂上に突き刺さった。衝撃に目を瞑り、見えた景色は。

 鉄屑と化した合法改造車両と。

 タイヤ4つを盾のように構える伊達男と。

 妙に自己主張が激しい配色で『安全第一』と浮かぶ謎のシールドだった。



(あ、全然大丈夫そう⋯⋯⋯⋯)


 パラシュートでご安全に大地に降下するバッドデイを見届けると、遥加は冷静に尖塔の最上階に降り立った。だだっ広い円型のフロア。見晴らしは良く、向かい合う相手との間に遮蔽物はない。

 遥加は光の大弓を構えた。

 フロアの円周上には、等間隔にあの動物型の機械が6体。まるで決闘の見届け人のように微動だにしない。

 正面の相手もまた大弓を構える。

 目を引くのは、顔の上半分を覆う仮面。タキシードにマントといった紳士スタイルで、緩くカールした金髪を背中で括っている。穏やかで落ち着いた所作が歴戦の場数を想像させた。


「おはようございます」

「ええ、おはよう」


 陽が昇る。

 尖塔の最上階フロアに光が走った。


「私は叶遥加。セントラルのハンターです」

「アタシはマルシャンス。悪竜王陛下から『悲哀』の名を賜っているわ」


 お互いに大弓を引き絞り、すぐにでも相手を射殺せる姿勢。



「それじゃあ」

「ええ」


「「よろしくお願いします」」



 夜明けに――――ぶつかる。

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