vs冷笑鏖殺(転)
(さむい⋯⋯)
睡眠薬で眠らされてからの、強制的な覚醒。氷水を頭から被せられた真由美は、周囲の状況を見渡した。
どこかの廃ビルの中だろうか。露出した配管に埃っぽいコンクリート。どの窓にも目張りがされていて外の光は入ってこない。明らかに後から持ち込んだ豆電球だけが視界を確保するための光源だった。
「おはようございます」
「っ」
せめてもの抵抗で睨みつける。一切の表情を浮かべないあの少年を。彼は一人用のソファに身を沈めながら、空になったバケツを弄んでいた。
真由美はフラつきながらも立ち上がった。両腕は後ろ手で縛られているが、それだけだ。足は自由に動かせるし、目隠しも猿轡もされていない。捕縛というには不十分な印象。
「この世界には女神リア以外にも、色々な女神が干渉しています。君が仕える主人以外の女神に覚えは?」
真由美は無言のまま首を振った。アリスがこうしてこの世界にいる以上、可能性としてはあり得る話。けれど、それだけだ。彼女は本当に知らなかった。
「うん。じゃあ、女神アリスは今どこにいるの」
真由美は唇を噛み締めて首を振った。少年はソファの後ろに隠していたバケツを引き寄せると、少女に向かってぶち撒けた。また、氷水。溶けきっていない氷が身体のあちらこちらを叩く。
「分かりやすいね。君が把握出来る場所にはいるんだ」
ガチガチ。
ガチガチ。
寒さと恐怖で歯の根が噛み合わない。
「こうやって、他の人たちも⋯⋯殺したのね⋯⋯⋯⋯!」
「強情だ。じょう識人だね」
睨む。その顔を少年はやはり無表情のまま空のバケツで払った。
「女神アリスの関係者は、君の他にはいるかい? 人数は?」
床に散らばる氷の一つを、少年に蹴り飛ばす。
「お転婆さんだ。おててだけでも拘束して正解だった」
「⋯⋯私が、正直に話すと思う?」
「他にも関係者はいるのか。でも、数は少なそうだ」
「なんで知って!?」
「図星」
(もうダメね!)
顔を上げた真由美の周囲に、無数の白球が浮かび上がる。これぞ彼女が誇る『創造』の
空中に生成した刃が拘束を断ち切り、水色の炎が体温を上昇させる。やろうと思えばすぐにでも出来たが、相手の隙を伺っていたのだ。だが、情けないことにこれ以上はボロしか出てこない。
「君の異能の正体、それだけは分からないままだった」
空中に無数の刀剣類が浮かぶ中、少年は冷たい笑みを浮かべた。
「これが女神アリスから分け与えられた力だとすれば、僕はその対策を練らなくてはいけないわけだけれど」
「対策を練る必要はないわ」
「どうして?」
「お前の悪事はここで終わりだからよ」
右腕を振るう。一斉掃射された刀剣類が少年の両手足を縫いつけて、それで終わり。命まで取るつもりはなかったが、これまでの仕打ちから三途の川くらいは拝ませてやらないと気が済まない。
だが、少年は前に進んできた。真由美の真正面に。彼女の周囲に展開する脅威の数々への安全地帯。それは他ならない魔法の行使者が立つ位置だった。
「まあ、聞けそうなことは聞き出せた。今はききを突破するほうに集中しようか」
そのまま顎下を蹴り上げる。脳を揺らされて標準が狂った凶刃の数々があらぬ方向に飛んでいき、それが分かりきった結果のように確認すらせずに真由美の腕を引っ張り倒す。
「どうせ、殺すのが目的だ。ろすタイムはもう不要」
起きあがろうとする真由美が、妙な寒気で動きを止める。その間に、少年は袖に忍ばせていたバタフライナイフを首筋に突き立てる。悲鳴すら上げる間もなく、少女は血の海に沈んだ。
人造言霊による凍死を攻略されたのは初めての経験であったが、それも単なる力技に過ぎない。人体はここまで急激な体温の変化に対応出来るようなものではない。案の定、彼女の動きはとても鈍かった。
「少しは楽しめた⋯⋯のかな? やっぱり分からないや」
冷たい笑みを張り付けながら、少年は言った。命じられたのは女神およびその関係者の抹殺。ただインプットされた命令を実行するだけ。全ては皆殺しだ。
まさに――――冷笑鏖殺。
「待ちなさいッ!!」
だから、その言葉にはどう反応して良いのか分からなかった。死んだはずの少女が立ち上がっていたのだ。そこには驚きという感情があって然るべきだったが、あいにくと冷笑鏖殺は感情そのものが凍結されているのだ。
「女神の加護?」
「自前のッ! 私の魔法よッ!」
彼女の首筋に灯る緑色の魔法。彼には知る由もなかったが、真由美の『創造』の魔法は構造さえ読み解ければ他者の魔法も再現出来る。彼女が使ったのは『治癒』の
「自前か⋯⋯その表情は、本当のようだね」
「見透かしたこと言いやがって⋯⋯⋯⋯!」
感情が凍えた彼とは対照的に、彼女はとても激情家のようだった。右手に握る水色の日本刀と、左手に握る魔法のフィールドスコープ。少年には、使い慣れたバタフライナイフ一つで十分だ。空いた手には氷水入りのバケツを。
「女神アリスの関係者が全員その出鱈目な力を持っているわけではないんだ。安心した」
本当に、心にもないことを口にして、冷笑鏖殺は真由美にバケツを投げつける。雑な作りの水色の壁が空中に生成され、バケツごと冷笑鏖殺に押し返される。豆電球の灯りが落ちる。
だが、これは単純な幸運だったが、真由美がさっき暴発させた刀剣類の掃射が窓の目張りをいくらか剥がしていた。自分の手元だけが辛うじて視認出来ている。
「逃げる気!?」
しかし、姿を眩まされたのも事実。真由美は魔法のフィールドスコープを覗く。
「あ」
その大いに頼れる『ワールドヘッジ』が遠くに飛んでいった。弾き飛ばされたのは
「迂闊。不覚。君がかつのはふか能、王道どおりにおう殺実行」
ここまで来れば、流石に真由美も攻撃のタネが見えてきた。彼女の両耳を覆う水色のヘッドホン。言葉に魔力を乗せる相手には覚えがある。
(囁きの悪魔と同じ。わざわざ口にしている以上、発語した言葉を媒介にしているはず! だから聞かなきゃ効かない!)
しかし、冷笑鏖殺はプロの暗殺者だ。真由美もそれをすぐに理解する。周囲に充満する甘ったるい香り。危険はない。根拠ある推理としてそう判断した。狙いがはっきりと読めたから。
視覚は限られた。
聴覚は自ら封じた。
だから嗅覚を潰しに来たのだ。
真由美は唾を吐き捨てた。ついさっき気付いたが、舌が妙に痺れている。あのアイスティ仕込まれたのは睡眠薬だけではなかったか。味覚をやられている。
「この状況を作るために、わざと拘束を緩くした。今出来る最大限の拘束をしたところで、私の魔法が未知数だから有効かどうか分からなかった。だから、私が対応出来る状況自体を潰した」
どんなに桁外れた魔法でも。
魔法を使うのは、あくまでも真由美なのだから。
推理の答えは返ってきたが、肯定か否定かは分からない。耳を封じているから。返事があったのに気付いたのは、音の振動を肌で感じたから。
(肌で感じた――――私に残ったのは、触覚しかない)
心は熱く。この想いまでも凍えさせられたら決して勝てない。
頭は冷静に。打つ手をしくじれば絶対に届かない。
刀を両手に、周囲に水色のリボンが這い回る。情念の具現こそが魔法の本懐。込める力の濃淡を、情念の波をコントロールする。
「り、りりり――――りり」
魂の鼓動を舌で鳴らす。わざわざここまで念入りに感覚を潰してきたのだ。逃げるとは微塵も思っていない。お互いにここで決着をつけることしか選択肢にないはずだ。
(捕らえてみせる。奴に対抗できて、今の私が高い練度で行使できる魔法を)
ゆらりと動き出す真由美の背後で、じゃらりと鎖の音が響く。ここまで不覚を取ってきた。だから、彼女の反撃はこれからだ。
(今の私なら、出来るはず――――さあ、勝負よ)
※すみません、想定の倍以上長くなってしまいましたが次で決着です……
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