vs グローセ・トート(後)

 クロキンスキーは上へ向かい、あやかは敵に向かった。目配せによる意思疎通は一秒にも満たない。あやかは炎熱ツルハシを勢いよく振り上げた。

 見据える先、敵の全景をようやく視認する。

 白色をベースに、朱色でラインマーキングされた機体。全高15.5mの巨体は超硬度金属の装甲で覆われており、即ち必然的な結果として。


「クロちゃん、踏ん張れええ!!」


 最大出力のツルハシが爪楊枝みたいにあっさり折れた。そのまま落下するあやかを、クロキンスキーは氷壁に突き刺したトレッキングポールで肉体を保持しながら『命綱』越しに受け止める。


「ゴムの反動で戻ってこい!」

「猶予がねえ! 投げろ!!」


 言われるがまま、クロキンスキーは『命綱』をぶん回した。謎の巨大ロボットグローセ・トートは、胸部装甲の連装機関砲をこちらに向けていた。喉の奥が干上がる感覚。


「っおらあッ!!」


 発砲の瞬間、下から跳び上がってきたあやかが蹴りで無理矢理機体の向きを逸らす。

 直後。

 耳の奥が干上がるような轟音。

 頑強な氷壁に無数の穴が空いた。そのどれもが炎熱ツルハシとは比較にならないほど深く抉っていたが、それでも氷壁そのものはびくともしない。


(じゃあ⋯⋯⋯⋯アレ、なんだ?)


 投げ上げられた先で見えた光景。氷壁の一部が大きく崩れ落ちていた。幾星霜もの固められてきたこの大自然の要塞が、だ。


「後ろだああ!」


 クロキンスキーの言葉が耳の届く。動きは氷壁が反射する光が生んだ影で把握していた。脚部のスライドブレードを逆袈裟斬りに振り抜くその刃。チェーンソーのように高速回転する凶刃に触れぬよう、スライドソードの腹を蹴って軌道を逸らす。同時、『命綱』をグローセ・トートの足首に引っ掛けて体勢を崩した。

 叩きつける掌底。


「――――しッ」


 叩きつけ、衝撃を内部で爆発させる。浮遊する機体の腰部でさらにあやかが拳を振り上げ。

 ガシャン、と。

 二連装の機関砲が彼女の身体を押し退けた。砲身の向きはもちろん彼女に向けて。


「リロオオオドオオ!!!!」


 振り下ろす拳の威力が爆発的に膨れ上がる。『増幅』の固有魔法フェルラーゲン。機関砲の一つを辛うじて破壊するも、暴発した弾丸がいくつかあやかの肉体を貫通する。


(魔法抜きの攻撃が全然効いてねえ!? 装甲だけじゃなくて中身も頑丈だぞコイツ!!)


 空中で漆黒の道を生成し始めるが、グローセ・トートが両手に近接用のスライドブレードを掴む素振りを見せ、大人しく自由落下に身を任す。


(今突っ込んでたら真っ二つになってた⋯⋯⋯⋯動き、読まれてやがる)


 搭乗者はいない。内部破壊の打撃で機体内の組成を確認したあやかには分かる。それでも、この恐るべき機体には戦士の駆け引きが出来る。あやかは『命綱』の反動で跳び上がりながら、グローセ・トートを睨みつける。

 目が合った。

 少なくともそう感じた。


(俺様の目線、読んでるのか⋯⋯⋯⋯?)


 あやかには知る由も無かったが、グローセ・トートには機体の制御に脳髄が複数組み込まれている。生体は機体内にはいなかったが、人が持ちうる知能の粋がその身に詰まっている。

 あやかが退いたのを見て、グローセ・トートは胸部装甲の連装機関砲を掃射する。クロキンスキー引き寄せられたあやかは、その攻撃が牽制であることを読んでいた。


「強ええな⋯⋯」

「⋯⋯だろうな。生身で戦う相手じゃねえぞ。エネルギー切れでも狙うか?」

「そうじゃねえよ」


 言って、あやかは犬歯を剥き出しにして笑った。

 翼状のブースターを広げる強敵グローセ・トートを見据える。あやかは、なんとなくエネルギー切れは狙えないと直感していた。


(通じるなら、その動きはありえねえ⋯⋯)


 集中力を滾らせる。『増幅』の固有魔法フェルラーゲンを十全に振るえば、あやかは24時間だって全力で戦える。それ以上の時間で考慮すべき点なんて、くらいだ。


「よお、アンタ!」


 クロキンスキーの肩を土台に跳び上がりながら、あやかは叫んだ。


「朝からそこに居たんだろ!? 氷壁の守護者たちと戦っていたんだろ!? それでも虎視眈々と俺様を詰める戦い方をしてやがった!

 根性――――あるなあッッ!!」


 展開しかけていたマイクロミサイルを引っ込める。クロスレンジに迫るあやかに対しては、高速回転するチェーンソーの刃が凶音響かすスライドブレードが効果的だ。射程圏内に収めるクロキンスキーではなく、情熱的に迫る彼女に脅威の比準を重く。


「リロード!」

――――それでも、私の『救済』の方がずっとずっと強いんだよ


 煽るような言葉が、あやかの脳裏をチリチリと焦がす。尊厳を傷つける言葉だった。それでも、あやかは言い返せなかった。あの、人の身のまま神の座に至った異常性アブノーマルを秘めた少女に、あやかは負けたのだ。

 純然たる事実。

 敢然たる真実。

 それでも。少女は想う。この湧き上がる情念に応えないのは、きっと嘘だ。拳を握り、全力を尽くし。魔法の根源を想起する。


「イ ン パ ク ト キャ ノ ン ッ!!」


 爆散。グローセ・トートが振るったスライドブレードが砕け散った。

 真正面から愚直に突っ込むばかりではない。効果的な角度を見極め、強大な威力を叩き込む。逆脚のスライドブレードを抜こうとするその姿を、今のあやかが見逃すはずがない。


「リロードロード――――確率変動」


 踏み進む力の『増幅』、ロードの魔法。宙空に顕現する漆黒の道があやかを運ぶ。そして、ロードの魔法の重ねがけ。複数発動の漆黒の道が各々伸びて、あやかはたった一つの始点に足を乗せる。

 結果、同様に確からしい現象がすべからく実現した。

 幻覚ではなく、本当に蹴りが分裂した。彼女はこの魔法の使い方を見たことがあった。ことがあった。膨れ上がる無数の腕がグローセ・トートの手元を弾き、取り零したスライドブレードが奈落に落下していく。


「来い」


 ガードを固めるあやかに殺到するマイクロミサイル。攻防の間に射程距離から逃れたクロキンスキーが『命綱』を引き、絶死圏から引き上げられる。

 はるか眼下、無数の爆発音が木霊こだまする。


「⋯⋯倒せるか?」


 余裕はない。クロキンスキーは単刀直入に切り出した。そして、あやかは力強く頷いた。


「だが、倒せるまでだ。俺様はここでリタイアかな」


 『命綱』の解除スイッチに伸ばす手を、男は制した。


「相棒、俺は往くぞ。なにすんだ?」

「俺様、最高の作戦思いついちゃった」


 下方から睨みあげるグローセ・トート。幾度とぶつかり合った結果、あやかには一つの目算が成り立っていた。


「めっちゃ強ええ一撃でぶち抜く」


 クロキンスキーはもはや何も言わない。ミランの魔弾で巨体の動きを牽制する。もちろん頑強な装甲は貫けない。百戦錬磨の山男は、正解に辿り着く。

 上から、下へ。


「俺様は、アンタを信じていいのか?」

「信じろ。ダメなら道連れが増えるだけだ」


 跳び上がったあやかは、『増幅』した脚力で氷壁に両足を突き刺していた。ほぼ垂直な角度で聳える氷壁に対して、さらに垂直にあやかが

 そして構える。跳び出す姿勢、クラウチングスタートの姿勢。


「リロード」


 グローセ・トート。脳髄が複数組み込まれた知性ある機体に、焦りの表情が見えた。ような気がする。そんなはずはない。


「リロード、リロードリロード――――!」


 それでも。

 そこに戦士としての勘は間違いなく備わっていたし、だからこそ全ての武装を一斉に開放した。並みの生命体であればチリ一つでも残れば至上の幸運だろう。あやかは、獰猛に、にっかりと笑った。



デッドデッドデストラクト――――ッ!!!!」



 氷壁に煌めく漆黒の流星。

 その絶望的なまでに圧倒的な破壊の奔流は、グローセ・トートの頑強な機体を真正面から木っ端微塵に砕き果てた。そして、溢れる情念の発露はそこに留まらない。

 隻眼の登山家クロキンスキー。炎熱ツルハシ、トレッキングポール、『命綱』、そして鍛え抜かれた己の心身。その全てで以って氷壁にしがみつく。


「ぬぅ、ぬぬぬぬうううううううう、ううぅぅうおおおおおおおおおお――――――――ッッ!!!!!!」


 絶叫。まさに魂からの叫びだった。上から下。拳撃に位置エネルギーを足した。その威力は筆舌に尽くしがたかったが、それ故に余った運動エネルギーが地表に向けて炸裂する。

 『命綱』の解除ボタンを押しさえすれば、全てが解決する。彼は生き残れるし、ここまで来れば氷壁突破の伝説達成も秒読みだろう。それでも、しかし、そんな結果で自身の誇りを、果たして守れるのかどうか。


(俺が、山を⋯⋯登る、理由⋯⋯⋯⋯)


 何のため。

 何を成し遂げたくて。

 大いなる山々を踏破した先に見える景色。


「跳――――べええええええええ!!!!」


 『命綱』は千切れない。どれだけ細く尖り伸びようとも、しなやかなで強靭なゴムは千切れない。クロキンスキーは『命綱』を引いた。

 頂上の景色をいの一番に見るべきなのは、誰なのか。


(そう考えた時)


 これまで、滑落していった仲間を、たくさん見てきた。


(アンタなら、そう思っちまうよ⋯⋯⋯⋯)


 ついに、力尽きる。ツルハシごとトレッキングポールは砕け、これまで氷壁から落下せずに耐え切っていた男の身体がついに落下を始める。『命綱』からかかる負荷がふと消えていき。


「一緒だぜ、相棒」


 耐え切った。ゴムの反動で跳び上がったあやかが、落下しかけていた彼の襟元を掴み上げる。


「っらあああ!!」


 そして、投げ上げた。

 真上に輝く太陽が眩しい。ついに雲の上の世界まで来てしまった。その眩しさに男の腕は伸び、あの引っ掛かりにその指が届く。


「来いよ、相棒」


 登る前に、『命綱』のゴムを引き上げた。クロキンスキーは、無言のまま『命綱』の解除スイッチを押す。同じ目線の高さに、少女のはにかむような笑顔があった。二人して同じ引っ掛かりにその指を掛けていた。

 予感があった。


「「いっせええのッ!!」」


 落ちゆくグローセ・トートと目が合った気がした。一体、何の目的があってクオルト氷壁に挑んだのか。答えは分からないが、目的は確かにあったはずだ。踏み越えて、至ったのは二人だ。

 残った力を振り絞って、二人は断崖絶壁を登り切る。

 そして、見上げた先にもはや壁はなし。


 つまり。

 クオルト氷壁の頂上、記録上誰も踏破したことのない前人未到の地に。


 二人は、声なき叫びを上げながら抱き合った。叫んだ。泣いた。ここまでの苦難に思いを馳せる。そして、そして⋯⋯ようやく視線を下に移した。



「「え?」」


 クオルト氷壁の頂上。そこには広大なクレバスが広がっていた。

 そして、そこには。


「「なんじゃこりゃあああ――――――ッ!!!?」」



 を見て、二人は驚愕の叫びを上げた。

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