vsグローセ・トート(前)

【エリア5-3:クオルト氷壁】



「⋯⋯流石に寒いな」

「え! なんだって!? 俺様むしろ暑いぜ!!」


 炎熱ツルハシとトレッキングポールの足場を利用しながら氷壁を登る。果たして何時間経過したのか。無限に体力が有り余っているあやかと、山に関しては百戦錬磨のクロキンスキーのコンビは、体力的にはまだまだ余力を残している。

 だから、問題はこの極限の極寒環境だ。


(やはり酸素が薄い。俺はまだ余力があるが⋯⋯)


 隣を見る。素人ながらここまで着いてきている事実は驚嘆に値するが、やはり経験不足が仇となっている。呼吸が妙に深い。過呼吸気味なのが見てとれた。そして、魔法のジャケットの前を開け放ち、防寒装備ごとズボンを下ろして――


「おい待て! 何してる!?」

「暑いんだって!! 俺様ずっと身体動かしてんだから身体が暖まっちまってんだって!!」

「嘘つけ! マイナス200度近い冷気でそんなはずはあるか!? それは体温が奪われ続けて身体が無理に温めようとしているだけだ!! 暑いのはただの錯覚、低体温症で死ぬぞ!?」

「マジかッ!!?」


 矛盾脱衣、という現象がある。

 人は極寒の環境下に長く居続けると、肉体は生命の維持のためにそれ以上の体温低下を阻止しようとして、熱生産性を高め、皮膚血管収縮によって熱放散を抑制することにより体内から温めようとする働きが強まる。このとき、体内の温度と外部の体感温度との間で温度差が生じると、極寒の環境下にもかかわらず、まるで暑い場所にいるかのような錯覚に陥り、衣服を脱いでしまうといわれる。


「俺様、ずっと運動していたら凍死しないんだと思ってたぜ!」

「錯乱してるな。高山病の症状が⋯⋯いや、素でおバカなだけか?」


 クロキンスキーは雑にホッカイロを投げ渡す。あやかも雑に服の中に放り投げた。


「あっつ!?」

「元気だけは無限だな⋯⋯」


 そして、ツルハシを叩きつけた場所に赤いテープが埋まっているのを発見する。クロキンスキーは動きを止めて、『命綱』を引っ張ってあやかの行動も止める。


「どった!?」

「そろそろ、来る」


 言葉と同時、あやかの腕を掴んで自分の方に引き寄せた。さっきまであやかが居た位置に巨大な氷塊が振り落ちる。


「これがさっき言ってた?」

「ああ。氷壁の守護者の仕業だ」


 氷壁の守護者。

 それはクオルト氷壁に挑む登山戦士たちの通称でもある。中腹より上部、それもこの赤いテープラインデッドラインを境に、ソレ、もしくはソレらの活動は活発になるという。


「いけるか?」


 あやかは頭上を見上げる。吹き荒ぶブリザードで視界は最悪だったが、聴覚と触覚を併せて探り当てる。


「不意打ちはキツイが、分かってれば多分」


 氷壁へと張り付くように姿勢を保持しているクロキンスキーの両肩にあやかは飛び乗った。万が一足を滑らせても、『命綱』のおかげでクロキンスキーが踏ん張りさえすれば滑落は防げる。


「よっ」


 軽い掛け声とともにあやかが彼の肩を土台に跳び上がった。声と正反対に、猛禽のような目付きは獲物を捉えたかのように細められる。


「らぁ――――ッ!!」


 鋭い呼吸とともに放つ大蹴り。氷塊が砕け散り、あやかはその反動を利用して

クロキンスキーのバックパックを掴む。それなりの衝撃が掛かったはずだが、びくともしなかった。


「流石はあやちゃん。アレへの対抗策があるだけで話はだいぶ変わってくる」

「流石はクロちゃん。びくともしねえな落ちる気しないぜ」


 それから、登る速度はだいぶ落ちた。謎の氷塊をあやかが防ぎ、傾斜がさらに激しくなった氷壁をクロキンスキーがあやかを抱えながら登っていく。


「悪いな」

「言うな。素人のお前さんをここまで来させた時点で俺が謝る立場だよ」


 あやかがやるべきことは、酸素が薄まったこの超高度で呼吸を整えること。深く、過呼吸になりがちな呼吸を制して、なるべく平常な呼吸へと戻していく。


「⋯⋯ひょっとして行けそう?」


 半信半疑であやかが尋ねた。クロキンスキーは力強く頷いた。


「お前さんの力あってこそだ。多分、もう俺が登ってきた最高高度を超えている。、頂上まで至れない道理はない」

「そうか、は安心だな」


 あやかは眠気に落ちかけていた意識を、炎熱ツルハシに頬擦りすることで強引に覚醒させた。クロキンスキーは言われるまでもなく削った氷を彼女の頬に押し当てる。


「は、あの得体の知れない守護者どもだけが心配だな。この極限環境、はまともに活動できるわけがねえ。エリアを支配する竜種どもでも、な」

「へ、じゃあ⋯⋯俺様たち、すごいんだな」

「あたぼーよ、相棒」


 そして、二人はついに守護者の姿を見た。


「なんだ、ありゃ⋯⋯?」


 全身から無数に氷の結晶をはやした謎の立方体が浮いていた。中心部に見える目のようなものが二人を捕捉した瞬間、ふよふよと二人に近づいていく。


「クロちゃん、俺様を投げろ!?」

「ほいきた!!」


 謎の立方体が猛烈なブリザードを吹きかける。投げられる瞬間、あやかは重心をズラして軌道を変える。クロキンスキーは炎熱ツルハシの出力を咄嗟に最大まで上げ、その攻撃を防いでいた。


「ぺろ――これは液体窒素!?」


 そして、凍り付いた毛皮の外套から攻撃の正体を看破する。


「ロード!」


 一方、あやかは空中で漆黒の道のりを顕現し、変速軌道で氷壁の守護者に迫る。吐き出される凍結液も、乱射される氷塊も、彼女の動きには追いつけない。


「喰らいやがれ!!」


 そして、渾身の右ストレート。氷壁にブッ刺さった立方体に、自由落下を受け入れるあやか。クロキンスキーが『命綱』を巻き上げ、ゴムの反動であやかは上に上がってきた。


「氷の結晶を剥がせ!!」


 紫電を周囲に放つ守護者に何かを感じたか、クロキンスキーが叫んだ。ゴムの反動のまま、あやかはブリザードの中で器用に身体をコントロールする。


「ッし!!」


 拳ではなく、掌底。立方体の中心に衝撃を鎧通す。派手な爆発音とともに、氷の結晶が剥がれ落ちていった。落下前に、あやかは炎熱ツルハシを氷壁に突き刺して身体を固定する。


「ん、こりゃあ!?」

「ああ、そういうことだったか」


 完全に機能を停止した立方体を見て、クロキンスキーは結論付けた。これまで多くの登山戦士を死に追いやってきた守護者、その正体を。


「コイツは魔獣じゃねえ。機械――防衛用のドローンっていったとこか」

「つまりはロボか! てか詳しいな!?」

「ウインタードリームカントリーにな、素性を隠した占い師がいるのさ。俺の装備を整えられる技術者の情報はそこで買った」

「はえーー」


 異世界からの技術者も取り込んでいるこの世界では、歪な技術体系が発展している。故に、どこにどんな技術者がいるかの情報も、把握さえ出来るのであれば大層お金になるだろう。


「しっかしまあ、機械か。そりゃそうだ、この極限環境でまともに稼働出来る生命体なんておらんだろう」

「でも、脅威は終わってねえんじゃねえか?」


 あやかは頭上を指差す。氷壁の守護者、あの守護者どもが何体もの周遊しているのが目に入った。

 クロキンスキーが無言でライフル銃を発砲する。中央の目のような部分を撃ち抜かれた守護者はそのまま落下していった。


「いや、機械と分かれば対策はある。電磁波の研究をしている技術者がどこかにいたか⋯⋯情報を持ち帰るためにも一度下山するのも手か?」

「そうは俺様が卸さないぜ! 何分、結構急ぐからな!」

「そうか。じゃあ登ろう」

「え、いいの?」

「俺はお前さんの何億倍も急いでんだよ」


 夢の果てが、目前まで迫っている。


「二人なら、行けるさ」

「だな!」


 拳を合わせる。このまま守護者どもの分厚い壁を超えて、史上初の氷壁踏破の伝説を成し遂げる。そんな結末を無邪気にも信じていた。

 唐突に、あやかは今朝叩き起こされた爆撃音を思い出した。

 そして、奇しくも。


「耳ぃ塞げええ――――ッ!!!」


 あやかの叫びを掻き消すような爆撃音。クロキンスキーとあやかは、まずお互いの安否を確認した。そして、粉々になりながら落下していく守護者どもの姿を見た。大量のマイクロミサイルが生んだ爆風がブリザードすら斬り裂いていた。晴れた視界に映る光景は。


――――この極限環境、あらゆる生命体はまともに活動できるわけがねえ

――――最後にとんでもねえ敵でも出てこない限りは安心だな

――――しっかしまあ、機械か

――――そりゃそうだ、この極限環境でまともに稼働出来る生命体なんておらんだろう


 思い返される会話。

 氷壁の道を阻んでいた守護者どもは、機械だった。

 そして――――最後の最後に立ちはだかるのも。



「「そぉぉおりゃあねええええぜ――――ッ!!!?」」



 二人して、同じ言葉を叫んだ。

 全高15.5m、超巨大な戦闘型ロボットがあらゆる武装をこちらに向けていた。

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