従者、地獄の特訓で地獄を見る

【エリア0-1:セントラル市街地】




「……………………」

「お、よく似合ってるじゃないか」


 袖がぶかぶかの無地白Yシャツを手首の位置まで几帳面に折り上げ、魔法で黒染めした長髪をポニーテールに括る。すらっとしたパンツスタイルに低めのヒール。ダークグレイのベストに収まった淡い水色のネクタイの位置を調節しながら、真由美は鏡の前で顔をしかめていた。


「千階堂さん。これ、メンズスタイルじゃないですか?」

「あー……ごめんね。ちょっと制服の予備が……」

「私の体格で合うメンズの予備ならあると?」

「レディースなら、お下がりの巫女服しかないけどそれでもいいかい?」

「なんで…………?」


 手渡された水色のアンダーリムの伊達眼鏡を苦々しく受け取る真由美。男性職員しかいない職場なのかと思ったが、見渡してみると慌ただしく動いている女性もそこそこいた。

 というか、伊達眼鏡は制服の内に入るのか。そもそも制服着用の職場なのか。

 紺色の、オーダーメイドと思われるスーツを着こなす千階堂に非難めいた視線を送る。


「私なら自分の魔法で服くらい作れますけど」

「……おーけー、白状する。女神アリス様からのオーダーだ。これで文句はないだろう?」

「なんで…………?」


 千階堂は肩を竦めた。まあ、当然ながら彼にとっても疑問しかないだろう。

 こうして、この日謎の(一般職員には素性を秘密にしている)男装少女が臨時外務補佐に就任することとなった。







――――誰あの子、コネで補佐役?

――――千階堂さんのご子息かな?

――――女の子らしいよ

――――あの人、子どもとかいたんだ

――――あれ、独身じゃなかった?

――――隠し子か!?

――――相手は誰だ!?

――――どことなく剣鬼に雰囲気が似てないか?

――――え、まさか…………


 とんでもない流れになってきた予感がして、真由美は妙に慌ててすっ飛んできた。


「あ、あの――ぶぇ」


 で、コケた。

 慌てて立ち上がり、耳まで真っ赤になっているのを手で隠しながら(隠れていない)、頭を深く下げる。


「あの、私……大道寺真由美と言います。別の世界からやってきて、故あって千階堂さんのお手伝いをさせていただくことになりました」


 頭を上げて、ぎこちない愛想笑いを浮かべる。


「分からないことばかりで、皆さんにもご迷惑おかけしてしまうかも知れませんが――――お役に立てるよう精一杯頑張りますので、よろしくお願いします!!」

「ちょっとでな。俺がみんなの負担にならねえようにするし、何なら稼働を減らせる救世主になるかもしれない。ま、新しい仲間としてよろしく頼む」


 まだ状況を飲み込めていない職員たちも、千階堂の言葉で状況を受け入れつつある。真由美は小さく口元を綻ばせた。


(なんだ、信用あるじゃない……)

「さっきは見事だったな、大道寺」

「はい?」

「礼儀正しい挨拶は、第一印象で信用を得るためにはとても大事だ。君にはしっかりとした礼節が備わっているようだね……それに、あの中々あざといズッコケ方。部下たちの警戒を解くために狙ってやったのだろう?」


 真由美は曖昧に笑って誤魔化した。


「さて。じゃあ事前に説明した通り、昼まで君には執務作業とギルドの受付のヘルプに入ってもらう。今日は受付に余裕があるから、俺の執務作業を手伝ってもらうことが主だった業務だ」

「はい!」


 自然と言葉に力が入る。人として生きていた頃はまだ中学生だった。当然ながら社会で働いた経験はない。しかしながら、この世界では彼女よりも若く見える少年少女だって働いている。文化が違う。法も整備されていないとのことだった。

 そして、千階堂の執務室に入った真由美は絶句する。

 まるで漫画のような書類の山が決済箱の中に積み上げられていた。


「よし。基本的な流れは昨日説明した通りだが、恐らく何一つとして説明できてはいないだろうな。やってて判断に困るなら聞いてくれ。だから」


 目のハイライトがふと落ちた外務委員は、真由美の肩に手を置いた。


「仲良く。半分こ。な?」







 午後。

 セントラル一の使い手が稽古に付いてくれるとかで、真由美は行政区の端にある道場に足を運んでいた。


「……………………」


 慣れない書類作業に埋もれた真由美は、その表情に疲労の色が濃く現れていた。マニュアルも何もあったもんじゃないケースバイケース案件だったが故に、小さな少女でもやれることはあった。

 労力の大きさは考えないものとすれば、だが。


「……失礼します」


 道着に袴姿。今度はサイズや見てくれを気にする必要はない。『創造』の魔法で作ったオーダーメイドだった。


「…うん。ようこそ」

「お願いいたします」


 正座のまま一礼し、お互いに向き合う。

 長い黒髪に、何故か巫女服。見た目は真由美と同じ日本人の目鼻立ちだ。巫女服のお下がりってこの人かぁ、と真由美はなんとなく思う。


「うん。じゃあ時間もったいないしやりましょうか」

「実戦形式ですか?」

「そう。実戦経験者なら一番効率よく学べる」


 剣鬼ホノカ。

 その名は、女神リアの次に有名である。彼女が担っているのはセントラル市街地の治安維持。剣の鬼が咲血さっけつを持ってそこに座っているだけでその効果は絶大との触れ込みだ。


(……まるで核兵器のような扱いね)


 立ち上がり、お互いに取る間合いは十歩分。『創造』の魔法で水色の刀を生成する真由美。一方、ホノカは表情一つ変えず、竹刀を下段に構えていた。腰に差す刀には視線もくれない。

 真由美は刀の組成情報を同じ竹刀に組み直す。だが、実行に移す直前でホノカが手で制した。


「…………え?」

「呆けない。それに、いつも使っている武具じゃないと稽古にならないでしょ」

「あの、でも貴女は?」


 真由美の視線が咲血に注ぐ。ホノカは表情を変えないまま一言。


「死ぬ気?」


 真由美は首を横に振った。その一瞬でホノカはさっきの間合いまで戻っている。


「アリス様からは、魔法を使わない純粋な技量の稽古を任されています。なので、その刀で私に傷を負わせてください。殺しても構いません」


 出来るのならね、と。

 その言葉がハッタリではないことは、剣鬼が発する威圧感からも感じられる。だが、真由美とて幾度となく死闘を経てきた猛者だという自覚がある。自負がある。自信がある。


(……舐めてるわね。いざという時には『治癒』の固有魔法フェルラーゲンもある。私の実力を少しでもッ!)


 踏み込み。重心は大地奥深くに、あやかから教わった動きだ。力を乗せ、力を溜め、爆発的な速度の緩急で敵に迫る。


(突き)


 脇腹を狙った刺突は竹刀に刀の腹を叩かれて逸らされた。いなされた力を上に集め、振り被る上段からの袈裟斬り。ホノカは竹刀を滑らすように袈裟斬りの軌道を逸らす。振り下ろしのまま下から上に向かう刺突は身体を開いて回避した。


(攻撃の悉くが逸らされる)

「お上手ですね。優等生なだけではない、攻撃を届かせるための研鑽を感じます」

(カウンタータイプか……なら、向こうから攻めさせる)

「あれ、来ないの?」


 待ち。

 刀は正中に構え、重心はやや前気味。前方からの攻撃をいなして返しの一撃を狙う型だ。


「弱くはないけど、センスはない。頭は回るけど、状況を読み切れていない」


 要するに、という言葉は歪んで聞こえた。


、かな」

「痛――っ、たぁ……ッ!?」


 気付けば、真由美は道場の床で這い打ちまわっていた。強打した首を押さえて、苦痛に震える。


「十歩必殺。私に攻める隙を与えたら即、だよ。覚えておいて」


 歯を喰いしばりながら立ち上がろうとする真由美の足を、ホノカは鋭く払った。額から倒れた真由美の耳元に、竹刀が勢いよく叩きつけられる。


「アリス様から仰せつかったのは、器であれば、その技術と心持ちを伸ばしてあげて欲しいって」


 もう一発。耳元で響く轟音に、真由美は萎縮して全身を震えさせていた。ホノカが傍にしゃがみ込み、逆の耳に口を寄せる。不気味なまでに表情を変えないまま。



「器じゃないなら」


 耳を塞ごうとした手は、竹刀に弾かれる。


「戦おうとする意気をへし折って欲しいって。完全に、完膚無きまでに」



 何も言葉を返さない真由美を見て、ホノカは静かに立ち上がった。


「明日からは無理に来なくていいから。でも、千階堂さんに迷惑を掛けたらダメだよ。執務はちゃんとこなしなさい」


 そのまま道場を去っていく。

 すっかり静かになった場で、真由美は力いっぱい床を叩いた。手の皮を擦り剥く勢いで殴りつけた。


「――クソッ」


 悪態を吐いて立ち上がる。

 その目は、死んでいない。








「悪役お疲れ様です、剣鬼」


 あんまりな言われざまにホノカはむっと唇を尖らせた。


「私は私の仕事をこなしただけだよ、千階堂さん。女神様手当、本当に出るんでしょうね?」

「ええ、それはもちろん…………で、どう?」

「気にするね。小さい女の子が好きなの?」

「あらぬことを言うな」


 二人して道場を覗く。腹立ち紛れに滅茶苦茶な素振りをしている少女が目に入った。


「うわ、こわ」

「どっちが」


 見られていたことがバレると後が怖い。二人はそそくさと退散する。


「アリス様は本気であの子の戦う意志を挫きたがっていた。分かるよ。危なっかしくて見てられないもん」

「俺もそう思う。執務をやらせたらあの歳で中々捌くんだよ。戦うのには向いていない。他の道に才能があると思うんだ」

「「でも、なあ…………」」


 憤怒の形相を浮かべながら出鱈目な素振りで暴れる少女の姿を思い出す。火をつけたのは、間違いなく剣の鬼その人だ。


「ま、かんばれ」


 気楽に言い放った千階堂はにやにやしながら執務に戻っていく。ホノカは、彼女にしては珍しく、顔を苦々しく歪めていた。

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