従者、氷壁の伝説に挑む

【エリア5-3:クオルト氷壁】



「さあて、山を登るぞ」

「山⋯⋯⋯⋯?」


 肩周り腰周りをほぐすクロキンスキーと対照的に、あやかは言葉を失っていた。フロストマギアの北半分を占める大雪山。

 大雪山――――山だ。

 標高一万メートルを超えるらしいものも、1エリアの半分しか占めていない異様。それは即ち。


「壁、じゃなくてか?」

「それがと呼ばれる所以だ」


 中腹くらいまでは、辛うじて登り道と呼べるほどの傾斜だった。しかしながら、そこから先はまさに『氷壁』と言って差し支えのない文字通りの光景が広がっていた。


「え⋯⋯アレ、どうやって登んの?」

「中腹まで登ったら説明する。簡単に言えばこういうことだ」


 クロキンスキーが持ち手グリップから先がツルハシのような形状の登山杖トレッキングポールを投げる。明らかに登山道から外れている斜度80度の氷道にズシリと刺さった。よく見るとツルハシ部分は高速振動して炎熱を発している。


「お、おおう⋯⋯⋯⋯」

「登るだけなら⋯⋯⋯⋯多分、俺はとっくに成し遂げている」

「てことは」

「そうだ。こそが最大の魅せ場だ、あやちゃん」


 超一流の登山技術を有しているクロキンスキーが踏破叶わなかった『氷壁』、その意味をあやかは改めて考えさせられる。登山技術だけではない腕っ節が必要だ。

 あやかは登山が初めてだった。何の障害がなかったとしても、これほどの自然の脅威を踏破出来ていたかどうか。一方、腕っ節だけはすこぶる自信がある。クロキンスキーにも戦える力はあるが、それでも足りていないのだ。

 雪原から氷壁への境目、入山口。

 多くの足跡によって踏み固められたからか、積もった雪の上からも硬さを感じた。







 猛烈なブリザードと、ホワイトアウトする視界。

 目前に揺れる赤いライトを目指してあやかは一歩一歩を踏み出していく。


「無事か、あやちゃん!」

「あたぼーよ、クロちゃん!」


 歩き始めて早1時間。このやり取りも10回目だった。この距離でも既にあやかはクロキンスキーの全身を目視できていない。彼が背負う巨大なバックパックに取り付けられた赤い発光体。その光だけが山に不慣れなあやかを繋ぎ止める唯一の道標。


(こりゃあ⋯⋯見積もり甘かったぜ。一人で挑んでたら死なねえにしても、一生遭難しちまうぞ⋯⋯⋯⋯)


 少なくとも凍死の心配は無さそうだった。真由美の『創造』の固有魔法フェルラーゲンが構成した魔法の防寒具。細かい調整を追求しただけあってか、動きやすさや防寒性には言うことがない。外気は−100度を下回る極限の環境だが、平地と同じくらいの活動が出来ている。


「クロちゃんは寒くねえのか!?」

「寒くない! お前さんと同じくこの登山着は特別性だ! 古狼の毛皮が手に入ったら怖いもんなしだったんだがなぁ⋯⋯」


 後半は聞こえていなかったようだ。死んだ仲間の中で一番彼女の体格に近かった者が使っていたトレッキングポールを器用に操り、この急傾斜にも慣れてきているようだった。


(飲み込みが異常に速えぇ⋯⋯若いっていいな)


 ブリザードの勢いが強過ぎて、雪そのものはそこまで積もっていない。これまで多くの登山戦士たちが切り拓いた登山道が踏み固められ、辛うじて氷の道を形成出来ている。


「道があるだけまだまだマシってもんだ――――中腹までは、な」







 丸々半日以上歩き通した。もはや時間の感覚も湧かない。

 中腹、と便宜上は呼んでいる。無音の森のような大雪原。相変わらず強烈なブリザードが吹き荒ぶが、それでも一息入れられる貴重なスポットである。

 そして、ここが辿だった。


「はは、これがねー⋯⋯⋯⋯」

「クオルト氷壁、ここからが本番だ」


 もう、壁だった。本当に壁だった。どこを見ても切り立つ崖しか見えない。最も緩やかな所でも斜度80度は下らない。しかも。


「こりゃあ⋯⋯すげえな」


 中腹のあちらこちらに氷像が乱立していた。まさか美術品などという冗談も成立しまい。氷壁踏破の伝説に挑んだ登山戦士たちの成れの果てだ。これまでもいくつかあったはずだが、視界が開けたこの場に来るまではまともに目視出来ていなかったのだ。


「俺たちの未来の姿かも知れないから覚悟しておけよ」


 言いながらクロキンスキーはバックパックから鉄の筒を取り出した。ガチャガチャと操作していくと、何がどうなったか数人をまとめて覆える巨大な鉄傘に変貌する。


「なにしてんの?」

「今日はここで一泊する。残りの2000メートル強はどうしても崖のぼりが必至だ。この場でのキャンプは氷壁突破の定石だよ」

「あん? 俺様はまだまだ動け――――」


 轟音。

 思わず身構えるあやかだったが、クロキンスキーは気にせず鉄傘の下で簡易テントを組み立てていく。強度を確認して満足したか、鉄傘の持ち手を氷雪に深々と突き刺した。


「え、なにさっきの」

「上にいる化け物どもが吐き出した氷塊だ。奴らがうようよしてるせいで、氷壁踏破の難易度は跳ね上がっちまってるわけだ」

「うわお! そんな中キャンプなんて心踊っちまうぜ!」


 クロキンスキーの指示通り、簡易テントの組み立てを手伝うあやか。こんな殺伐したキャンプでも、キャンプには違いない。少女心がわくわくさんだった。

 三人用のテントに微妙な距離を離しての二人。糧食、水分、簡易トイレ、ウェットティッシュ、ホッカイロを分け合うと、何重にも重なったもこもこ寝袋にそれぞれ潜り込んだ。


「ちとブリザードがひどいな。収まるまで寝るぞ。お互い体力はあるに越したことはない」

「⋯⋯恋バナとかしないの?」

「しない。おやすみ」


 目を瞑ると、意外と早く眠りに落ちた。







 爆撃音。

 あやかはパッチリと目を覚ました。


「おおう⋯⋯寒ぃ」


 テントにクロキンスキーの姿は無かった。外が妙に明るい。あやかはテントから這い出す。


「お、これヤベーんじゃ!?」


 ベッコベコになった鉄傘が辛うじて原型を保っていた。クロキンスキーが何やらガジェットを操作していたが、反応する様子はない。


「あれ、俺様たちひょっとして寝坊してたら死んでた?」

「そんくらいの不運で力尽きるなら、この先も進めない。くっそ、高かったのにもう動かねえ⋯⋯」


 バックパックから取り出したカンカンの中身を鉄傘に振り掛ける。ボロボロと形を崩していく鉄傘が、そのまま雪景色に溶けた。


「すげえ!! なにそれ!?」

「山に人工物は置いてけねえからな。洗脳した微生物を使った処分液だよ」


 あっという間に微生物に分解され、あらゆる素材は自然に還る。しかも当の微生物はカンカンの外では数分で死滅するという。


「この世界、遅れてると思ったら妙な先進技術が発展してやがんだよ⋯⋯文化レベルがチグハグだ」

「あー似たようなこと俺様も思ったぜ。なんかこー、なんだよな⋯⋯色々と」


 天を仰ぐあやかは、ようやく気付く。あれだけの悪天候が見事な快晴に変わっていた。


「お、絶好の登山日和! 出だし好調じゃね?」

「⋯⋯んなわけあるか。クオルト氷壁の晴天なんて見たことねえ。なにか、起きてるな」


 言っている内に、氷の塊が一つ落ちてきた。雲行きが怪しい。遥か上空でブリザードが吹き始めるのが出来た。

 クロキンスキーはツルハシ付きのトレッキングポールと、もう一つ赤く発光する輪っかをあやかに投げ渡す。


「これは?」

「通称――――『命綱』。こう使う」


 言って、クロキンスキーも同じものを取り出した。腰元に嵌める姿を見て、あやかも真似る。そして。


「おわ!?」


 二つの輪っかの間で黄色いゴムが繋がった。あやかの腕くらいはある太さだ。見て、そしてあやかはその意味を理解する。


「俺様と、アンタを繋ぐ」

「そう、命と命を繋ぐ綱だ。これで俺らは一蓮托生、運命共同体ってやつよ」


 むやみやたらに頑強なゴムで遊ぶあやかは、右腰にある突起に気付く。ボタンだ。取り敢えず押してみようとしたあやかの手をクロキンスキーが制した。


「それは脱出用のボタンだ。押したら最後、『命綱』はさっきの鉄傘みたいに朽ちていく」

「それって」

「……ああ、そうだ。心中を避けるための……相方を生かすための、ボタンだな」


 妙に含んだ言葉だった。

 あやかはにっかりと笑って、言う。


「じゃあ、これは頂上についたら同時に押そう。抜け駆けして先押しちまったら……絶対に許さねえぞ」


 クロキンスキーは鼻で笑った。きっと、何度も言われたことのある言葉だったのだろう。ズシズシ進んでいく男の背を、あやかは追った。

 そして、目前。

 遙か高きまで聳える『氷壁』に、二人は勢い良く炎熱ツルハシを叩きつけた。

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