vs古狼テルミナートル
「山が動いてやがんな⋯⋯」
雪白の体毛。クロキンスキーの言葉で、あやかは息を飲んだ。すぐ目の前にいる。気配は掴めていたが、位置までは大まかにしか把握出来ていなかった。6メートルはあろう巨体の前足が振り下ろされる。冷静に発砲したクロキンスキーがそれを弾く。古狼には傷一つついていない。
「っらあ――!」
追撃の拳撃。派手に吹き飛ばされた古狼が吹雪に消える。この極寒の中、あやかの額に冷や汗が浮かんだ。
「手応え全くねえ!? アイツ俺様の拳に合わせて後ろ跳びやがったぞ!」
ダメージは全くない。油断なくライフルを構えるクロキンスキーと、雪を踏み固めながら拳を構えるあやか。初撃の奇襲を防いだにしてはその表情は緊迫に満ちている。
「オッサン、マジでよく気付いたな⋯⋯」
「敵を見るんじゃない。山を見るんだ」
「⋯⋯は?」
「山以外が敵だろうが」
「⋯⋯最強の登山家、なるほどねぇ!」
あやかは獰猛に笑った。そして、足を前に出す。
「おい、迂闊に「オッサンは動かないでくれ。離れていても攻撃出来んだろ? 動かれると俺様が場所を把握出来なくなる」
「オッサンではない。クロキンスキーだ」
「ツッコむのそこかよ!」
吹雪に紛れた牙を、あやかは掴んでへし折った。狼の悲鳴が吹雪に掻き消される。
「大体分かった」
戦意ごと砕かれた冬狼を派手に投げ飛ばす。柔らかい雪原においても力強い踏み込みを発揮し、思いのほかよく飛んだ。吹き乱れる吹雪。風向き、雪の量、そして地形。ここまで二本の足だけで踏破してきた経験は確かに根付いている。
「クロちゃん!」
「なんだあやちゃん!」
「援護射撃頼み!」
「あたぼーよ!」
あやかが雪原を駆けた。二人を囲う冬狼の群れなどお構いなし。脚力に任せては蹴り飛ばし、白飛沫を上げながら爆走する。
「⋯⋯なんて派手な。あれじゃあすぐに居場所がバレて⋯⋯ああそうか」
目視出来ているだけでもそれなりの数、であれば実際は倍以上の数の冬狼を引きつけているはずだ。この大雪山の狼ほどうまく潜むことなど、絶対に不可能だ。だから目立った。誘き寄せ、引き摺り出す。それも隠れ過ごすことが出来ないほど強引な行動で。
「はっ――――来いよッ!!」
両手を高く掲げ、あやかは獰猛な猛禽の目付きを魅せる。まさに獣の威圧。向かってくる冬狼を手足で跳ね上げる。その一挙手一投足の全てが次の打撃に繋がり、その動きは決して止まらない。
一方で、クリキンスキーはその場に留まったままライフル銃を構え続ける。彼の扱う極圧縮真空ライフル銃は風の魔術装置が組み込まれた複雑な機構をしている。火薬を必要とせず、発射時に音がしないが、一発撃つごとにリロードが必要。連射が出来ないため、援護射撃はここぞというときに。
動かず、身体の向きだけを変えて。
(ん…………この動き?)
そして、遠くから見ていて気付いた。あやかはクロキンスキーを中心とした半径五メートルほどの円周から外に出ないように戦っている。あくまでも冬狼の群れを外に追い出すような戦い方。
(俺を庇ってるつもりなのか……?)
だとしたら、心外だ。しかし非難は出来ない。彼女がいなければ自分はあの群れに喰い殺されていたのだから。
だから、出来ることをやる。
「古狼はどこだ」
最初の奇襲以降、完全に姿を眩ませている。普段は森林によって吹雪がある程度緩和されているこの地が、今この時は猛烈な吹雪を吹き荒ぶいている。この状況を生んだ特大の不幸。でなければ、いくら古狼だってこの距離でここまで存在をくらまし続けることは難しいだろう。
「っらぁああ!?」
一際大きな怒号。派手に吹っ飛ばされた冬狼を視認し、クロキンスキーは頬にべったりと付着した血を拭った。
(獣の血じゃない)
発砲。弾丸に込められた術式機構が生む風の軌跡から着弾を確信する。
そして、猛吹雪に囲われた白い靄が一瞬揺らいだ。その形状は少女のものにしてはあまりにも巨大。体長六メートルほど。つまり。
「そこに――――いるのか!?」
リロード。即、発砲。
弾丸に込めた風の術式機構を着弾と同時に破裂させる。その絶影爪牙に右腕を引き裂かれたあやかの鮮血が辺り一面にぶちまけられていた。狙いは明確。弾丸を二発受けても傷一つない古狼が返り血にマーキングされていた。
「衰えてねえ……その戦意」
見えた一瞬の表情。
負傷を感じさせないギラついた表情。
覚えがある。彼にも、覚えがある。
「……はっ」
世界を渡る前の自分。どんな山でも踏破出来ると信じて止まなかったあの頃。負けるはずがない。だからどんな傷でも貪欲に受け入れる。
果たして、この世界に来てから。
このあまりにも壮大な氷壁に敗北を重ねて――――今の自分はどうだ。
「っしゃあ! 掴まえたぜッ!!」
古狼テルミナートル、生ける伝説となった魔獣。
クオルト氷壁に挑む者にとっては最重要の脅威の一つだろう。狡猾に身を隠し、強靭な狩りを行い、群れの統治者として猛威を振るう。そんな古狼に、猛禽のような目つきの少女はその身一つでしがみ付いている。
「っ――――し!」
ついに円周の中に。クロキンスキーは動じない。ここに来て狙いが読めた。クロキンスキーを中心にした半径五メートルは、隈なくあやかが踏み鳴らした範囲。踏み固められた雪原。クロキンスキーを案じたものというよりかは、自分の闘いやすいフィールドに持ち込んだのだ。強靭な踏み込みが雪原を揺らし、絶影爪牙を潜り抜けた拳が土手っ腹に叩きつけられる。
が、古狼はその拳撃を自重で押さえつけた。筋肉が軋み、骨格が悲鳴を上げている。あやかは大きく息を吸い込む。その冷気に肺を斬り裂かれるような錯覚を覚えた。脳裏にリフレインするのはかつての女神との会話。
――――あやかちゃんはさ、マギアになる前からとっても強かったんでしょう?
凍え切った酸素をありったけ吸い込み、全身に力を送り込む。
――――私も知ってるの、魔法なんてなくてもとっても強い人たちを
叩き込んだ拳を流し、膝のクッションを使って肘のカウンターを突き刺す。
――――あやかちゃんの
古狼の自重を活かしたカウンターも、鎧のような毛皮に阻まれて有効打にはならない。
――――それでも、私の『救済』の方がずっとずっと強いんだよ
離脱を図る古狼の下顎を脇で抱え込み、捻るように首を折ろうとするもびくともしない。
――――これじゃあ、私には勝てないね
「焚き付けるようなこと――――言いやがってッ」
噛んだ舌から溢れる血を口内に溜め、古狼の片目に吹き付ける。関節技を振り切った古狼の動きに鈍りはない。
「――――リロード、リペア」
右腕を再生させる。ただの魔法の発動が、自分の力のはずなのに、どこか敗北感を植え付けていく。だが、止まらない。少女はいつだって止まらなかった。魔法なんてなくとも、人としての力強さが彼女にはあった。
獣の眼光が交錯する。
あやかは片耳を手で引っ張り、クロキンスキーはそれを見て天に発砲した。
合図。両者が動く。鋭い爪による連撃は、あやかのフットワークには遠く及ばない。しかし、潜り抜けたあやかの拳撃は古狼の毛皮を撃ち抜くに至らない。心臓の位置に当たりをつけて掌底を叩き込むが、古狼の動きは依然変わらず。
「⋯⋯⋯⋯なにか狙ってるな?」
次弾を装填しながら、クロキンスキーは呟いた。構えるだけで発砲はしない。男は少女に賭けた。撃つのは残り一発、次を考えずにライフル銃内の術式機構の出力をさらに上昇させる。
あやかは拳から掌底に攻撃を切り替えていた。それも攻撃箇所を随分と散らす。踏み固められて安定した足場が、絶影爪牙が発する衝撃に荒らされていくもお構いなしだ。
理由は、分かる。
自分の行動と同じだからだ。
「「ここで決める」」
奇しくも呟きが重なった。
古狼が身震いをした。あやかはその隙を見逃さない。腹の下、古狼テルミナートルからすれば死角だ。滑るように駆け抜け、勢いのまま尻尾を掴んで引きずり倒す。堪らず振り向く古狼の下顎を蹴り上げ、両腕で大口を抱え込んだ。
「ここだ」
古狼の動きが、完全に二秒止まる。その半秒前にクロキンスキーは引き金を引いていた。
ミランの魔弾。
弾丸の軌道上が瞬間的に真空となり、吹き荒ぶ吹雪を越えて伝説の古狼へ――――至らない。
「…………いいぜ」
あやかが拘束を解いて跳んだ。ミランの弾丸は古狼の左耳を掠める。
そして――――派手な破裂音とともに風が弾けた。
同時、古狼の右耳。
「っ――わッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」
思いっきり叫んだ。その大声は風の魔弾の破裂音に匹敵する。
「お前は、目じゃねえ」
「この猛吹雪で鼻が利くかよ」
耳。
無音の森にて発達した過剰聴覚が獲物を決して逃がさない。二人はそんな古狼の武器を逆手に取った。両耳が拾う爆音が脳を揺らす。あやかの連撃に為す術もなく、されるがままに。そして。
「ここだ」
左胸のやや小角。鋭い掌底が音もなく刺さり、古狼はついに動きを止めた。肩で息をするあやかに、
「お前さん、これを探しとったんか?」
「ん? あ、気付いた?」
「鎧通し、打撃のインパクトを深部に移す技術。昔一夜をともにした女がそんなことを言っていたよ」
あやかの脳裏にあの、お洒落なマギアのお姉さんの顔が浮かんだが、きっと気のせいだろうと思い直す。
「あの分厚い毛皮を通すにはそれしかねえと思ってな。けど、俺様あんなでっかい狼の体内構造なんて知らねえから……どこで炸裂させれば効くのか分からなかったんだよ」
「……場所自体は自在というわけか」
あやかはぺろりと舌を出した。
一息ついている内に、古狼がよろよろと立ち上がる。クロキンスキーはライフル銃を構え、あやかは真正面からその目を睨みつけた。睨み合いがしばらく続き、古狼はよろめきながら吹雪の中に消えていく。大量の冬狼たちがその後を追った。
「……追わねえのか? あの毛皮を剥げば一生遊んで暮らせるぜ?」
「……俺様はいいよ。流石にちょっと疲れた。アンタがそうしたいなら撃てば?」
「聞いて驚け。このライフル銃はあと20分は撃てない」
「バカじゃねえの!?」
強がっていても、お互い満身創痍だった。それでも、尻尾を巻いて逃げ帰ったのは相手の方だ。吹雪に負けない音のハイタッチを響かせ、二人はにっかりと笑った。
「「俺たちの勝ち」」
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