vs『〝同一〟の概念体【Theseus's】』

【エリア6-1:マルダーグラード】


 ウィンタードリームカントリーからセントラル市街地に向かうためには、専用の足が必須だった。ハングアップからを聞いていた遥加だが、その全てを断っている。

 というのも、こういうときにとっても有用な従者がいてくれるのだから。


「少し遠回りでも平野部を通って正解でしたね。この分ならあと二日もすれば着きそうです。この世界なら恐らく最速の走りですよ」

「ありがとう。流石は真由美ちゃんだね」


 褒められて小さな従者はそっぽを向いてしまった。耳がほんのり赤い。彼女があんまり褒められ慣れていないことはよく知っている。

 『創造』の魔法で生み出されたこのキャンピングカーは、オフロード用のバギーの外装と乗り心地重視のキャンピングカーの内装を組み合わせた移動用の拠点だった。『創造』の魔法は構造を理解できないものは生み出せない。たくさん勉強しただろうことが感じられた。


「良い子良い子」

「ぁの、子ども扱いは……ぁぅう////」


 大人しくなった真由美を撫で回しながら、遥加は窓の外を見た。天高く聳え立つビル群。そこに感じる


(あっちは確か、不滅のメガロポリス。旧人類が最後に拠点にしていた大都市群だっけ。黒壁の摩天楼……いや、その手前かな?)


 物思いにふけった一瞬、妙な揺れを感じて窓の外を二度見した。

 景色が違う。一面の流砂。何も無い、死んだ世界。


(ネガの結界――――ッ!? いや、違う……そんなはずは)


 そして、遥加と真由美は巨大な廃船の上に立っていた。




【エリア6-1:マルダーグラード?】


 一息遅れて、真由美が異常を認識した。


「これ、ネガの結界!?」

「……違うよ。似ているけど、これは異界というより――――


 知覚よりも、感覚。

 遥加は純白の大弓を構えた。だが、真由美がその前に立ちはだかる。


「アリスは、下がって。ここは私が」

「……もぅ、真由美ちゃん。ここじゃ遥加って呼んでって言ってるでしょ?」

「あ、はい……叶さん」

「は! る! か!」

「いや、なんか……そう呼ぶと、黒くて不吉な陰気女がとても睨んでくるような錯覚が…………」

「ああー…………はぁ、それは素直に恐いね。いや、なんか、ごめん……」

「あ、いえ…………」


 そんな悠長なやり取りをしている猶予は無かった。


『その髪は私。その爪は私。その指も、その眼球も、その垢も唾液も心音も』


 同一性―――― Identity Paradox


『私私わたしワタシわたし私全てが私たとえ欠損しようと断裂しようと破断しようと私が私であるからには私は必ず私である』


 異様。

 ボロボロの布切れのようなものを幾重にも身に巻いた矮躯の女性。髪を振り乱しうなされたように何事かを呟き続けるその姿は、とてもじゃないが生きている人間とは思えない。


『わたしは、わたしじゃなくても、わたし???』


 死んだ船を死んだ世界が流していく灰色の世界。

 歪曲された法則の観る果ての夢。

 同一性のパラドックスに狂った概念と、女神と、その従者だけ。

 それがこの世界の構成員。


「…………テセウスの舟」


 魔法のフィールドスコープを覗き込んだ真由美が、そう呟いた。


「同じ川には二度入ることは出来ないってやつだっけ?」

「それはヘラクレイトスです。いえ、内容的には同じようなものですが」

「概念体、ね……」


 それは、情念の怪物に近しいものではあっただろう。人の情念が現実を歪めるのとは対照的に、理屈の概念が場を歪める。

 そして、何より。


(制御できていない)


 伸ばした右腕が刎ね飛んだ。真由美が振るった水色の刀が鈍い光を反射していた。が、概念体の腕は既に元に戻っている。その再生の速さは、斬り落とした真由美自身もがその手応えを信じられないほどだった。


魔力顕現アシスト


 遥加が真由美の背中に触れた。魔力が全身に漲っていくのを感じる。概念体が、今度は両腕を伸ばした。一刀両断。だが、即時再生。

 いや、これは本当に再生なのだろうか。

 称するならば――――と呼ぶべきのような。

 真由美はノータイムで廃船の甲板を踏み鳴らす。小型の砲台が『創造』の魔法で組み上げられ、放たれた砲弾が概念体の頭部を丸ごと吹き飛ばした。


「これ、は…………」


 真由美は攻撃の手を止めた。止めてしまった。

 だからはっきりと見えてしまう。代替された頭部から、が生えている。斬り飛ばした腕は肩からだけでは無く、腹や胸からも。自重で潰れた足からは蠢く腸が這いずり回っている。

 それでも膨張を続け、どこまでも膨れ上がり。


『どれも、これも、あれも、それもどれもこれもあれもそれもあのこのそのどのもわたしわたし――――ぜぇんぶ、わ、た、し?』


 真由美が水色の刀を正中に構える。その周囲に蠢く無数の白球が震える。

 遥加に伸びた腕(足)が悉く両断され、飛来する内蔵の数々が水色の大盾に防がれる。白球が組み合わさって生成された刀剣類が無数に概念体を両断し、残った残滓も砲弾の嵐が消し飛ばしていく。

 それでも、足りない。

 概念体は過剰代替を続ける。


「わたし? これ、わたし? わたし? わたしいいいい?」


 膨張する概念体は、それでも侵攻は穏やかだった。『創造』の固有魔法フェルラーゲンによる一斉掃射で脅威は押し留められている。しかし、この世界は限られた範囲。廃船の外は死の流砂しかない。膨張する巨体に沈むのも時間の問題だ。


『ほんと? ほんとに? これ、それ、あれ――――わたし?』

「うん。そうだよ」


 真由美がぎょっとした顔で攻撃を止める。大弓を構えた遥加が前に飛び出した。


「貴女が貴女だと想っている限り――――それを信じている限り」


 大弓に番える白矢。

 その光には『浄化』の固有魔法フェルラーゲンが宿っている。


「認められなかった。認めたくなかった。だから貴女はそんなにも苦しんでいる。その想いは、間違いなく『本物』だよ。貴女は、貴女だ」

『わたしは わたし  ――――?』

「そうだよ。私がそれを肯定する」


 だから、と。



「貴女の物語は――――貴女が貴女のまま終わるの」



 女神としての権能、『救済』の固有魔法フェルラーゲン

 そんな神の光を矮小化させた魔法、『浄化』の固有魔法フェルラーゲン。その威力がどれだけ落ちようとも、込められた想いは、この祈りだけは決して衰えない。


「つらぬけ」


 光り輝く白矢の一射。その一撃は〝同一〟の概念体の真中を穿ち、そして光が全身に伝播する。想いに代替はなく、抱える情念はその主だけのもの。歪な巨体がボロボロと崩れ落ちていく。

 残ったのは。


「わたしは――――私」

「うん。貴女は貴女だよ。その想いを魂に抱いている間は、ずっと」


 純白の光に包まれた女性が、穏やかな笑みを浮かべる。遥加はその身体を力強く抱き締めた。


「今まで、よく頑張ったね」


 〝同一〟の概念体【Theseus's】。

 入れ替わる肉体の部位に自己同一性を犯された者。それでも、自我を頑なに守り続け、そして守り切った。その想いの全てを女神アリスは肯定する。概念体が光と溶けて、散った。







「……アレは、なんだったのでしょうか?」


 気付くと、車の座席に戻っていた。摩天楼は、まだ窓から見える。


「さてね。けど、想いはソコに、確かにあったよ」

「あの、アリス「んんぅー?」ぁ、叶さん」

「なぁに?」

「……ごめんなさい。貴女を守れなかった。私は貴女の騎士なのに」

「そんなことないよ。助けてくれてありがとう。助けてくれようとする想いだけで、私は嬉しいんだよ」

「それでも、私は、高月さんみたいに強くないし。でも、ちゃんと貴女を守れるように……だって」

「うん」

「それが、私の夢だから。自分に胸を張れるようになることだから」

「その言葉、二言はないね」

「え?」


 想像とは違う言葉が返ってきて真由美が呆けた。にやにやと悪戯っぽい笑みを浮かべる遥加に、とんでもなく嫌な予感がする。



「真由美ちゃん――――これから君には、に突入してもらう!」

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