第12話
「ちゃんと検査したわけじゃないから断言はできないけど、オリフィニアは恐らく〝ウム・ダブルチュ〟だと思うんだ」
「ウム……なんて?」
風の音でいまいち聞き取れず、イブは眉間に皺を寄せながら問いかけた。シェダルは前方を見すえたまま、「ウム・ダブルチュだよ」と言葉を続ける。彼の目には不穏なほど静まり返った海が映っているのだろう。
「原型のティアマトは十一体の怪物を生み出したとされていて、そのうちの一つがウム・ダブルチュ。風の魔物だよ。オリフィニアには恐らくその性質が現れている」
宿を飛び出し、二人はオリフィニアを捜してポルトレガメを駆けまわっていた。先ほどまで家々を襲っていた竜巻はいつしか消え、しかし強風だけが取り残されたように町に留まり続けている。イブは二手に分かれようと提案したのだが、この状況で離れるとなにかあってもお互いに助けられないとシェダルに首を振られた。
オリフィニアの靴はベッドわきに残されていたが、客室に荒らされた様子もなく、窓や扉が無理やりこじ開けられた様子もなかった。自分で出ていったのかとイブは考えたのだが、
「こんな夜に、自分の意思で出ていくかな。人一倍に好奇心はあるけど、一人でうろつくほどじゃないはずだし。なにより靴が残されていたっていうのが気になる」
「まさか〈機関〉に連れ去られた、とか……?」
「考えうる可能性としては、それが一番高い、かな。その次が呼ばれた、とか」
「……呼ばれた? なにに?」
決まってるだろう、とシェダルは無言で海を指さした。住人たちが訴えていた女の泣き声はいまだに聞こえてこない。
「とりあえず竜巻が発生していたってことは、オリフィニアが
イブは奥歯を噛みしめ、一層力強く地面を蹴った。竜巻が通ったのか、石畳は無残にはがされ、抉られた土がむき出しになっている。シェダルと共に名前を呼びかけながら、大通りだけでなく入り組んだ細い道もくまなく捜索した。
時間が時間なだけに多くの人々は眠りについていた頃合いだ。全半壊した家に取り残された者も少なくなく、町のいたる所で混乱が巻き起こっている。この状況で女の子を見かけませんでしたかと聞いたところで、誰もそれどころではないと相手にしてくれないだろう。
「神力で捜せたりしないの?」
「無理だよ!」
「無理って決めつけてちゃ出来るものも出来ないと思うんだけど!」
「出来なくはないけど、そっちに集中しすぎるから無理って言ってるの!」
町全体に神力を広げれば云々と説明してくれたが、要するに範囲が広すぎてそちらに意識を向け続けなければならず、走りながら、あるいは喋りながらなんてとてもじゃないが出来ないと言う。また時間がかかれば神力の消費もそれだけ増え、ナックラヴィーに襲われた時のように気を失ってしまう可能性が高くなる。
地道に捜すほか選択肢はない。イブは大声でオリフィニアを呼ぶが、どこからも返事はなく、必死の掛け声も風に絡めとられるようにして夜空へ吸い上げられていく。
「イブ!」
「えっ」
シェダルの声に振り返った直後、耳のそばでなにかが衝突する鈍い音がした。ハッと目を向けると、光の膜がイブの右半身を守るように出現していた。シェダルを見ると右腕を突き出したまま硬直し、やがて安堵のため息をついて力を抜いていた。
「守ってくれたの? ごめ――――ありがとう」
「気にしないで。家の壁みたいなのが飛んできてたんだ」
顔を上げてあたりを見回すと、瓦礫や土ぼこりが風に煽られて舞っているのがうかがえた。より注意しながら進まなければ、直撃を食らって打ち所が悪いと最悪は命を落としかねない。
周りに気を向けながら細い道に差しかかる。住宅に挟まれた一本道で、真っ直ぐに下って行けば港に出る道だ。この辺りは被害をあまり受けていないようで、他に比べると壁の一部がはがれている程度で大きな損害は見当たらない。
そんな中、道の中央で誰かが立ち尽くして行く手を塞いでいた。近くの住人だろうか。腕をだらりと下ろしたまま微動だにしない。像かとも思ったが、肩がゆっくりと上下しているところを見るに生きている。
「イブ、あの人なにしてるんだろう」
「分からないけど、気にしてる場合じゃないでしょ。オリフィニアを捜さないと」
ほら、とシェダルの腕を引いた時、ゆらりと何者かが顔を上げた。その瞬間、イブの背筋にゾッと悪寒が走る。異様にぎらついた瞳は血走り、反対に血の気のない肌は青緑色に変色しているようだった。
雲の切れ間から月が覗く。道をふさぐ何者かの体が、細く浅い月明りにぼんやりと浮かび上がった。
上から下まで黒で統一された衣服と、袖や襟を縁どる花模様の紫の刺繍。体格から考えて男だろう。
「〈機関〉だ」と呟いたのはシェダルだった。反応するやいなや、彼はイブの手を握って来た道を逆に走り出した。その頭上をなにかが通り過ぎ、二人の前方に落下した。
岩だ。粗く削られた巨石が二人の前に落ちて逃げ道をふさいだのだ。一体どこから、とイブが振り返ると、〈機関〉の男が近くの家の石垣に手を伸ばしているところだった。男は石垣から岩をもぎ取り、恐ろしい速さでこちらに向かって投げつけてきた。
シェダルが咄嗟に光の膜を張って防いでくれたが、弾かれた岩は高く上がり、地響きと共にイブたちのわずか後方に落下した。
「待ち伏せされてたってことね」
イブは腰からダガーを引き抜いて身構え、男に向かっていった。
岩を投げた動作もそうだったが、一つ一つの動きはひどく緩慢で隙だらけだ。身動きが取れなくなるくらいに痛めつけ、オリフィニアの捜索に戻ろう。イブが間近に迫ってもなお反応の遅い男の脇腹に、ダガーを突き立てた――はずだった。
「な……」
ぎん、と甲高い音が響き、手首がジンと痺れた。切っ先は腹に埋まっていない。立て続けに攻撃してみたが同じことだ。むしろイブの手に疲れがたまっていく。
衣服の下に防具でも仕込んでいたのか。男はゆるゆると腕を上げ、イブに掴みかかろうとした。しかし動きが遅く、避けるのはたやすい。あっさりと男の腕をかわし、イブは頭上を通り過ぎていった手を見て、ぎょっと目を瞠った。
「シェダル!」と声を上げながらイブは男の背後に回り込んだ。守りの薄そうな首を狙って飛び上がり、真横に切りつけてみる。だが何度やっても切っ先は弾かれ、傷一つ付けられない。
「こいつ本当に〈機関〉かな!」
「はっ?」
「幻獣じゃないかって言ってんの!」
顔や首、腕などは防具で覆っておらず、肌が露出している。にも関わらず武器が通じない。よく見ると肌は月明りを反射して光を放っていた。触れてみると肌らしからぬ滑らかさと硬さがある。
イブが乗りかかっていることに今さら気付いたのか、男は体を左右に振った。イブは男の頭を蹴って地面に降り、シェダルに駆け寄った。
「幻獣って、それ本当?」
「ただの人間ならもう少し機敏に反応するでしょ。それにどう考えても体が普通じゃない。防具もなしに剥きだしの皮膚が短剣を弾くと思う? どれだけ鍛えててもあり得ないでしょ……っと!」
男が再び石垣をもぎ取り、岩をぶん投げてくる。その瞬間だけ速さが跳ねあがり、動きの緩さに油断していると危険だった。イブはシェダルと揃って身を伏せ、岩は二人の上を通過して後方の地面を抉りながら落下した。
「見た目と感触から考えて、あの肌、青銅みたいだった」
「青銅? 本当に?」
「疑る気持ちも分かるけど本当。だから幻獣じゃないかって言ったんだよ。どこか弱点はないか探ってくる」
「ちょっ、刃物が通じないのに戦えるの?」
「逃げたところで追いかけてくると思うし、そもそも逃げ道が塞がれてるから戦うしかないじゃない!」
続けざまに岩を投げられ、イブはシェダルの服を引っ張りながら道の脇に避けた。物音を不審がり、そばの家の住人が窓を開け、男の形相と道の惨状を目の当たりにして悲鳴を上げながら引っ込んでいく。
石垣に使われている岩には限りがある。投げるものが無くなるまで粘るという手もないではなかったが、逃げ回るうちに家や住人に危害が加わってはいけない。この場で仕留めてしまうのが最善だろう。
「さっさと倒してオリフィニアを捜しに行こう! あんたは邪魔にならない場所で待ってて!」
目の前の男が幻獣だと仮定すると、体内のどこかしらに〈核〉があるはずだ。だがナックラヴィーと同じように適当に突き刺して探るというわけにもいかない。肌が青銅である以上、短剣はまともに効かないと考えていいだろう。せめて一部分だけでも守りの薄い部分があれば良い、と思いながら素早く接近し、勢いよく腹を蹴り飛ばしてみた。
だが男は地に足をしっかりとつけ、微動だにしない。ぎらついた目だけが俊敏にイブを睨みつけたが、敵を排除しようと伸ばす腕の動きは一向に遅いままだ。あっさりと腕を避け、イブは何度か殴りつけたり蹴ったりしてみたが、結果は同じだった。
無策でひたすら殴っていたのでは体力を無駄に消費する。弱点を探ると言ったものの、動きが遅い以外にこれといった隙は無さそうだ。岩を軽々と持ち上げて投げたところを見るに、かなりの怪力であることがうかがえる。
「イブ! 足だよ!」
「足?」
シェダルの声に耳を傾けながら、イブはこちらに伸びてきた男の腕を力強く払いのけた。彼は指示通り家屋の影に隠れ、顔だけを覗かせている。手を貸したそうにしているが、神力の無駄遣いは避けてほしいというイブの意図は察しているようだ。
「僕の予想が正しかったら足が――正確にはくるぶしが弱点のはずだ!」
「くるぶしって言ったって」言われた場所に目を向けてみたが、男のそこはブーツに覆われていて見えない。「ぶん殴ってみればいいわけ!」
「いや、そうじゃなくて」
男が岩を投げたせいでシェダルの話が途切れた。どしんと重低音があたり一帯に響き、異変に気付いた住人たちが様子を伺いに来ては、危ないから下がっていてくれとシェダルが訴えている。
くるぶしが弱点だというが、殴ればいいかと聞いた際には「そうじゃない」と言われた。であれば切りつけるのが正解なのだろうか。イブはダガーを握り直し、身を低くして男のくるぶしを狙った。突き刺してはどうかと試してみたが、硬い感触があるだけで手ごたえはない。
「どうしろって言うの、もう!」
いらだち任せにダガーを振るい、ハッとした。ブーツは刃を受け、わずかではあるが破れ始めている。イブはすぐさま男の足に掴みかかり、しっかりと抱きしめながらブーツを切りさいた。
それなりに丈夫な素材を使っているらしく、簡単には破れない。また男も弱点を狙われていると感づいたのか、イブを振り払おうと脚を上下左右に動かし始める。地面を踏みしめるたびに体は激しい振動の影響を受けたし、頭をぐちゃぐちゃに振り回されている感覚がして吐きそうになった。けれど諦めずに切りつけ続けた結果、ようやく狙いの場所が見えた。
そこにあったのは。
「……なにこれ?」
くるぶしの骨がポッコリと浮き出た中心に、肌と同色の杭のようなものが刺さっていた。横目でシェダルに「これか」と視線で訴えると、引き抜けと言いたげに手を動かしている。
抜けと言われても簡単にはいかない。なにせ男は脚を絶えず動かしてイブを振り落とそうとしているし、杭を掴んでも手汗で滑ってしっかり握りこむことさえ難しかった。なんとか掴めたと感じた瞬間、一息に引き抜いた。
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