6-3
クリスに、告解しろって言われてからジェレミーはしばらくおとなしくしていた。つっても、単に夜中に出歩かなくなっただけで、寝る前に長いことお祈りすんのは変わらない。たまに日曜のミサにアマンダたちが来てるのを見ると、ものすごく嫌そうな顔をしてる。アマンダなんか信徒席の一番うしろから、祭壇の上のジェレミーに向かって舌を出している。ガキかよ。あいつらときたらまったく、狼人間とヴァンパイアくらい仲が悪いな。
だけど、なにごともガマンは体によくない。
やつが墓地を散歩するシュミがあるってわかった日から数えて三回目の満月の夜、ジェレミーはやっぱり起き出して、着替えて出ていった。
こんなこともあろうかと俺はしっかり寝たフリをしていたので、Tシャツ・ハーフパンツのまま、こっそりやつのあとを追った。
司祭館の玄関の陰からうかがうと、ジェレミーはこの前みたいに墓地に直行するんじゃなく、どうやら納骨堂のほうへ歩いていく。
ああ、だからクリスがあそこでお祈りするかどうか気にしてたんだな。俺はまた顔がにやけてきた。
ま、今のうちにいい夢みていればいいさ。今日のところは見逃してやるけど(決定的瞬間をおさえたいし)、これであんたはおしまいだ。いくらクリスに理解があっても、神父見習いがそんなことしてる現場をおさえられたら一発で
スマホをもってくりゃよかったと思ったが、さすがにフラッシュたくのはまずいだろう。
お相手はどこかときょろきょろしていたら、墓地のほうから影みたいなのが現れて、俺もちょっとゾッとした。細っこいからだろうけど、イザベルは猫みたいに静かでほとんど足音を立てない。
今夜の彼女はこのあいだ見たときみたいな白いドレスじゃなくて、
気合入ってるなぁ。あの
ふたりは揃って納骨堂へ入っていく。扉を閉められたらまずいな――あの両開きのドアは
俺は気づかれないように、ふたりが中におちつくのを待って、片方のドアのかげに身を寄せて聞き耳を立てた。
ライターかなにかを擦る音がして、ドアのすきまからあかりと一緒に、しゃべっている声が漏れてきた。
「――さすがに、それは、ダメだよ、イザベル」ジェレミーの声はちょっと苦しそうだった。
「君もカトリックならわかるだろう、僕はまだ司祭じゃないし、内陣より先に君はあがれない」
「こんなことをお願いするわたしはあなたには悪魔に見えるでしょうね……でもわたしはあなたがいいの、ヘレミアス、マクファーソン神父さまじゃなくて。だってあのかたは……」
クリスがなんだって? 俺はそっと中をのぞきこんだ。
マリア像の前の台のところにふたりがいた。ロウソクが何本かついていて、ジェレミーの影の中に女がおさまっている。外で会っていたときよりずっと距離が近い。
「……あなたほどかたい信仰をお持ちでないように思えるんですもの。もちろんわたしみたいな女が司祭さまのことをあれこれ言うなんて許されないでしょうけど……でもあなたのほうがずっと……」
うーん、それは
「そのことについては僕にも思うところはあるし、たしかに君が言ったように、あの人が聖堂になにかおかしなものを隠しているのは事実だったけど……それでも一応あの人は神父だし、君が聖体の秘蹟にあずかろうと思うなら……」
「いいえ、わたしはあなたから永遠の命をいただきたいの、ヘレミアス、あなたから……」
言って、イザベルがつま先立ちになって――見かけによらず大胆だなオイ――そのほっそりした両腕をジェレミーのがっしりした首にからみつかせた。やつはここからでもわかるくらい真っ赤になってうろたえてななめにあとずさり、大理石の台にぶつかった。
なにやってんだ馬鹿――
思わず舌打ちしかけたところで、半開きになったドアから風が吹き込んでロウソクの炎を揺らした。ついでに納骨堂の中の空気も掻き回されて、俺の鼻にも届いた。
――血と腐った土のにおいだ。
なんかのまちがいかと思ったけど、賭けてもいい、まちがいじゃない。背中をゾクゾクが這いあがる。
そいつは
なんでそんなやつがこんなとこに――
「――イ、イザベル、その……」
ジェレミーの阿保は女の手を引きはがす以前に
おい、しっかりしろよ神父見習い、その女は生きてる人間じゃない――どうしてお前らは気づかないんだよ、このまぬけ!
気色悪さに全身の毛が逆立って俺の骨も変化し始める。クソ、体中が痛い。
四つん這いになっても顔が前を向くようになり、耳の位置も変わって踵が伸びてつま先立ちになるんだから大仕事だ。爪もスパイクみたいに鋭くなるが、俺の場合は“できそこない”なので、手足の先は人間のままの不気味なハイブリッドにしかならない。
クリスを呼びに行こうかと一瞬考えたが、すでに狼の頭になっている状態じゃうまくしゃべれそうにないし、俺が不快な変身の痛みに耐えているあいだに、ヤバい事態は進行して、ふたりは熱烈に見つめ合っている。ニックみたいに催眠術でもかけたのか、それともやつが童貞だから単純に色気にやられてんのか――イテテ、なんか体以外のとこが痛い。
さっきまで空中を泳いでいたジェレミーの手は吸血鬼女の腰に回されていて、あとちょっとやつがかがめばキスもできそうな体勢だ。けどほんとにラ・ヨローナがキスしたらジェレミーはあの世行きだ。
ああ、ちくしょう、間に合わねえ!
俺は警告と戦いへの参加を呼びかける遠吠えをあげた。そんなもの住宅街であげたことはないから、クリスなら気づいてくれるだろう。
クリスの前に近所の犬どもが反応して、チワワやテリアの興奮した甲高いキャンキャンいう声、ゴールデン・レトリーバーやプードルの恐怖の叫びと鎖をガチャガチャいわせる音、ワケがわからず右往左往する飼い主の𠮟りつける声で、一帯はたちまち大混乱に陥った。
俺はそのまま石段を蹴って、納骨堂の中に飛び込んだ。
異様な遠吠えのせいでちょっとは我に返ったのか、ジェレミーは女の腰から手を離して入り口のほうを向いた。
「今のは一体――」
ラ・ヨローナもこっちを向く。大きくて猫みたいに丸かった黒い瞳は、驚きと、たぶん邪魔された怒りで――げぇ、真紅になっている! 身長差があるから野郎には見えていないみたいだが、ほんと、女って怒ると
俺はジェレミーに向かって低いうなり声をあげた。やつが本当に男なら、
「――な、なんだお前は……」
ジェレミーはふつうの犬にシッシッとやるみたいに、俺のほうに両手を突き出した。同時に、ラ・ヨローナを自分のうしろにかばおうとしている。
その女にそんなことしてやる必要なんてないんだよ!
俺はさらにやつのほうへ踏み出した。入り口から離れれば、ラ・ヨローナの逃げ道ができるからだ。
それなのにジェレミーの野郎はますます女をうしろへやるし、ラ・ヨローナときたら、ジェレミーの右腕にしがみついた。
「イザベル、危ないから放してくれ!」
ふりほどこうとするがますます強くしがみつく。
ビビってんじゃない。せっかくの獲物をのがしたくないんだ。相手は男だしおまけに(一応)聖職者だ。ニックの好みじゃないかもしれないが、男という男に復讐したい
ジェレミーの太い腕のかげから、死んだ魔女は俺をにらみつけた。いいところだったのによくも邪魔してくれたねといわんばかりに。ひょっとして、これまでやつが無事だったのは、先発ピッチャーを考えてたわけじゃなくて、お祈りしてたからかもな。
気が進まなかったけど、俺は狂犬病にかかった犬みたいに吠えた。
ジェレミーはびくっとして、ラ・ヨローナの腕を無理やりひきはがし、俺と反対側の戸棚のほうへ突き飛ばすみたいに押しやった。あいた手で、台の上においてあったロウソク立ての一本をつかみ、火のついたロウソクを引き抜いて捨てる。
ロウソクを固定するための尖った針みたいな部分を俺に向かって振る。
「さあ、お前の相手はこっちだ! ――イザベル、今のうちに君は逃げるんだ!」
「ヘレミアス、だめよ!」
イザベル――ラ・ヨローナはジェレミーに駆け寄ろうとした。しつこい女だ。焦りのせいか、叫んだ口からは立派な牙が見えているし爪は凶器みたいになってるけど、ロウソクが一本減ったせいで、やっぱり野郎の目には入っていない。
させるもんかと俺は吸血鬼女に飛びかかって床に押し倒した。女の口から金属をひっかいたみたいなするどい悲鳴があがる。
「――イザベル! こいつ……!」
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