La Llorona

6-1

 あの王妃は誓いが大げさすぎる――

 シルヴェストルの野郎がひきあいに出すセリフの中で、俺にはよく意味がわからないやつだ。宿題を忘れてを哀願する生徒の前で言っているから、どういう意味なのかと俺はメルに聞いたことがある。

 やましいことがある人ほど大げさに誓うって意味みたいとメルは教えてくれたが、いまいちピンとこなかったのでクリスにも聞いてみた。

「返すあてのない借金をするときほど、絶対に返すからって言うだろう。もともとは、自分がなにかよこしまな思いを抱いていると他人から指摘されたときに、その思いが強ければ強いほど、むきになって否定する様子のことをいうんだ」

 ふーん、じゃあ今度ニックにぶつけてみようと俺は思った。あいついっつも、俺のことを、スキありゃクリスになにかしようとしてる狂犬みたいにいうけど、ホントにアブナいのはあいつのほうだ。たぶんクリスもその様子を見りゃ、「この吸血鬼は誓いが大げさすぎる」ってカンづくと思うし。

 それはともかく今はジェレミーのことだ。

 またあいつは夜中にフラフラと出ていった。

 俺の部屋の窓のうちひとつは墓地のほうを向いている。

 こんな風の強い日に墓地を散歩するのかと、俺はカーテンをあけた。

 月明りに照らされた芝生の上をなにか白いものが横切ったので、幽霊かと思って一瞬ぎょっとした――なにしろ前例があるしな。

 よくよく目を凝らすと幽霊じゃなかった。白くてふわふわしたサマードレスを着た若い女で、長い黒髪で横顔が隠れていたから幽霊ゴーストみたいに見えたんだ。

 ちらっと見えた感じでは、美人だ。風に吹かれる髪を押さえる手はほっそりしている。

 だけど、若い女がこんな時間にひとりで外にいるっていうだけでもじゅうぶんあやしい。

 しばらく目で追っていると、女はかろうじて街灯の光が届くくらいのところに立っている木の下までやってきた。

 なおも見ていると、表のほうからTシャツ姿のジェレミーが現れた。

 真夜中の墓地に白い服の女がいたらものすごくびっくりして、下手すりゃチビっちまうと思うんだが、やつは悲鳴をあげるどころか、急いで女に近づいていった。

 ……こりゃあ面白くなりそうだ。

 俺はそうっと窓をあけて、外に飛び降りた。

 下は芝生だし裸足はだしだから、足音もしない。もちろん、狼人間がそんなを踏むわけないけどな。

 俺は獲物に忍び寄るときみたいに姿勢を低くしてふたりに近寄っていった。

 墓石が並んでいる区画からはちょっと離れていて、身を隠せるものがほとんどないから、あんまり近づくといくらなんでもバレちまう。俺は蛍光ランプの光は届かないがギリギリ声は聞こえそうな木のかげに身をひそめた。

 ジェレミーとお相手は向かい合ってはいたけど、あのカタブツ野郎は女を抱き寄せるでもなく、はじめてダンスをしろって言われた中学生みたいに堅っ苦しい表情でつっ立っている。六フィート近くて肩幅のあるジェレミーに並ぶと、女のほうは少女に見えるといってもいいくらいだった。

「……やっぱりあなたは教会に行くべきだよ、イザベル」

 へえ、イザベルっていうのか。しっかし、してんのに言うセリフじゃねえだろう。色気もへったくれもないな。

「わたしは教会に足を踏み入れるのにふさわしくありません」イメージどおりのな声だったが、高いから、風の中でもわりかしはっきり聞こえた。「不義の子を産んで死なせた女ですから……」

 ……おいおいマジかよ。まだ二十歳はたちそこそこくらいに見えるのになあ。おまけに、そんなことをやつの前で言おうもんなら、即――

「……でもそれはあなたのお父上があなたの意に沿わない結婚をさせようとしたからで……その、必ずしもあなただけのせいでは……」

 ……おいおいマジかよ(二回目)。

 ジェレミーは腹でも痛むのか、なんだかむずかしい顔をしている。

「教会に来ている女性の中にも、不行跡ぎょうせきなのに反省のない人が……それに比べたらあなたは……」

 それってモリソンさんのことかよこの冷血トカゲ野郎。あの人は愛情深いのに男運が悪いだけで、生まれてきた赤ちゃんをなんとか自分の手元で育てようとしてるだけなんだよ。大体、男が参加しないで、あんな手のかかるチビどもをまともに育てられるわけねえだろうが。自分でやってみてから言え。

 女は首をふった。

「……いいえ、わたしにはその言葉だけでじゅうぶんです、ヘレミアス。こんな罪深いわたしの話を聞いてくださっただけでも……」

 ヘレミアスって誰だ? ああ、ジェレマイアのスペイン語読みか。ってことは、ラティーナかな。

「ほんとうなら、司祭さまになられるあなたと、わたしのようなけがれた女が一緒にいるべきではないことはわかっています」イザベルはお祈りするみたいに両手を組んで目を伏せた。「でもどうしても、あなたのやさしさに甘えてしまって……」

 ……おいおいマジかよ(三回目)。そいつはじいさんをあやうく殺しかけて、シングルマザーに首くくって死ねって言うような男だぜ。

 ジェレミーはほんとに腹痛はらいたをこらえてるみたいにぎゅっと目をつぶった。唇が動いているからなにか言っているんだろうが、小声すぎて聞こえない。お祈りか? それとも、ひいきのベースボールチームの次の先発でも考えてんのか?

 と思ったら、ついにイザベルを抱きしめた。

 ――わお、大当たりジャックポットだ。

 俺は思わず拍手しそうになって、あわててやめた。

 意気地がないことに、やつのほうも、うっかり銀に触っちまった狼人間みたいにすぐに女から離れた。

「……すっ、すまない、ええと……」

「……いえ、わたしの存在があなたを悩ませているんです。わたしのせいです」

 俺はもうにやにやしっぱなしで、顔が元に戻らないんじゃないかと思うくらいだった。

「……違う、あなたのせいじゃない、僕がその……」ジェレミーはなにかぶつぶつ言ったが、やっぱり聞きとれなかった。「……とにかく、僕は祈るよ、あなたと……自分の罪のために」

「わたしたちはもう会わないほうがいいのでしょうね」

 ――ええ~? こんな面白いこともう終わりにすんのかよ。まだ始まってもいないのに。

 それに、女が反語表現でなにか言うとき、求めてる答えは九十九パーセント「いいえ」だぜ。まちがえんなよ、ジェレミー。

「ああ……そのとおり……だね、だけど……」

 クリスだったらこんなとき絶対十字を切るのに、ジェレミーのやつはしない。雰囲気ぶちこわしだもんな。

「……だけどそんなこと……僕には耐えられない」

 やつの表情かおは殺人でも告白してるみたいだった。

 イザベルはにこ、と微笑わらって、握りしめられたジェレミーの手にその小さな手で触れ、そのままドレスをひるがえして、表のほうへ走り去っていった。

 白い子猫か妖精みたいな姿を見送るジェレミーは、ほっとしたような、泣きそうな感じだった。

 やつが表側から司祭館のほうへ戻っていくのを見て、俺もすぐに部屋の窓へ駆け込んだ。ベッドの上に飛び乗って、今の今までぐっすり眠ってましたっていうふうに、毛布を頭までひきあげる。

 すぐに部屋に帰ってくると思ったのに、俺が待ちくたびれて寝オチするまで、ジェレミーのベッドは空っぽだった。

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